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あのころ、初等部に入学して間もないころの僕は、今よりも少し乱暴な性格をしていた。
すぐに暴力を振るうとか、周りに暴言をまき散らすとか、そういう乱暴ではない。ただ一人を好み、口調が荒かったというだけの話だ。
師匠から指導を受けていたこともあって、周りを見下していたのかもしれない。
それとも血反吐を吐くような鍛錬の中で、心が荒んでしまっていたのかもしれない。
今更理由なんて忘れてしまったが、とにかく当時の僕は一人でいることに固執していた。
しかし魔法騎士学園は国を守る騎士たちを養成する学園だ。そのカリキュラムの中にはもちろん協同性の育成も含まれている。特に初等部ではその傾向が顕著で、二人での講義・訓練への参加が基本とされていたのだ。
いくら一人でいたいからと言っても選抜騎士団への入団を目的としている以上、学園の指示に従わないわけにはいかない。一学年通してのペアを決めるために設けられた時間、一度は抜け出していた僕だったが、とりあえずの相方を決めようと渋々教室へと戻った。
「……なんだ、あれ」
教室の片隅にできていた人だかりに、僕は大した興味を示さなかった。ただ見慣れた風景の中に生じた一つの違和、ペアを決めるというイベントの中なら不思議な話でもないと思い、ペア決めから外れた「あまりもの」を探していたのだ。
ねえ、ぼくとくもうよ。
だめよ、あたしとくむの。
しかし人だかりの横を通り過ぎた時、僕の耳に争うような声が聞こえてきた。それが少しだけ気になった僕は、熱気の中心、一人の少女が座っている席の前で足を止める。
たしか……、アイラ。
アイラ・バレットシード。
クラスメートの顔と名前なんてほとんど覚えていない僕だったが、怯えるように震えている少女の
ことはすぐに思い出せた。
でも、なんでこいつが?
顔と名前が思い出せても、彼女が囲まれている理由は納得できなかった。僕が言えたことではないが、当時のアイラは友人がいなかったはずだ。仮のペアを組む時でさえ僕と二人、よく「あまりもの」になっていたのだから。
では何故通年のペアを決めるこの大事な時に、突然引く手数多になったのか。
ねえきみ、ぼくといっしょにくまない?
その謎は、顔も知らない男子生徒の言葉によって解決された。
……なるほど、
アイラはその時総合位階二位、そして僕は総合位階一位。
普段の生活において全く友人のいないこの二人が、位階審査に関わるペア決めで突如人気者になった理由。
自分のため、か。
そんなもの、よく考えなくても答えは一つだ。
…………くだらない。
クラスメートの、いや、クラスメートの親たちの思惑に気づいた時、僕は無性に腹を立てていた。それが僕自身のための怒りだったのか、はたまたアイラのための怒りだったのか。今となっては覚えていないが、とにかくその時の僕は怒っていた。
「ことわる。ぼくにはもう、ペアがいるからな」
だから僕はあの時、
「なあ、アイラ・バレットシード」
不意な思いつきを、そのまま言葉にしてしまったのだ。
「――びっくり、というのが素直な感想です。だって、あまりにも脈絡がなくて」
「……悪かったよ」
せめてもの抵抗に口を尖らせた僕を見て、アイラが悪戯っぽく笑った。彼女がそんな表情を見せるのは久しぶりで、温和になった僕はあっさりと許してしまう。
しかし……、今思い返しても無茶な話だ。
一連の流れを思い返せばもう少し理に適った話になるかと思ったが、やはり思いつきは思いつきでしかない。利己的な理由からアイラを誘ったという点に関しては、他の有象無象と大差なかった。あの後アイラが首を縦に振ったのが、至極不思議で仕方ない。
……そういえば理由、聞いたことなかったな。
「じゃあアイラは、何であの時頷いたの?」
気になって聞いてはみたが、天性の人見知りと名高いアイラのことだ。きっと僕の勢いに負けてしまったとか、そんな理由だろう。「あまりもの」同士何度かペアを組んだことがあるだけで、あの時の僕とアイラには他に何の接点もなかったのだから。
「理由……、ですか」
軽い気持ちで聞いた僕とは対照的に、問いを受けたアイラは何故か真剣な面持ちへと切り替わった。突然訪れた沈黙に準備をしていなかった僕は、何かとんでもないことを言われるのかと少し身構えてしまう。「あなたの暗殺を企てていたからです」とでも言われた日には、ショックで一年は寝込んでしまいそうだ。
「私があの時頷いたのは、」
ついに口を開いたアイラの言葉を、僕は目を瞑って待つ。場合によってはここから逃げ出さなくてはならないと、身体強化の準備を始めた。
「クロア君だったから、です」
………………うん。
いや、え?
「私はクロア君だったから、ペアを組もうと思いました」
意を決して放たれたアイラの意見は、違う的を正確に射ていた。とりあえず身体強化の準備を解き、頭の中で彼女の言葉を反芻する。しかしその答えは、新たな疑問を生み出すばかりだった。
「えっと、それは、どういう……?」
恥を忍んで再び問いを投げかけた僕から、アイラが露骨に視線を逸らす。もしかしたらまた怒らせてしまったかと不安になったが、彼女はすぐにこちらへと顔を向けた。僅かに上気したその表情は、何かを覚悟したかのようにも見える。
「何度か仮にペアを組んだことがあるの、クロア君は覚えていますか?」
黙って頷く。アイラ以外にも何人かと組んだが、今でも交流があるのは彼女だけだった。
「その時からペアはクロア君に頼もうと、決めていたんです」
謎が謎を呼ぶとはまさにこのことを言うのだろう。アイラが理由を語っていくごとに僕の頭の中は疑問で埋め尽くされていく。
「クロア君だけだったんです。私を「位階二位」としてではなく「アイラ・バレットシード」として見てくれたのは。もちろんそれは私の勘違いだったのかもしれません。でも、クロア君だけだったんです」
アイラの白く細い手が僕の方に伸びる。ほとんど触れていないような優しさで頬を撫でた彼女は、いつかのように無邪気な顔で笑って見せた。
「私の名前を、憶えていてくれたのは」
――なあ、アイラ・バレットシード。
生意気だった僕の声が、脳裏に蘇る。
クラスメートに興味を示さず、ほとんど顔も名前も覚えていなかった僕は、何故か彼女の名前だけを憶えていた。
その理由は、もう覚えていない。
もしかしたらそれも、彼女の位階が二位だったからなのかもしれない。
しかし彼女は、それが理由で僕を選ぼうとしていたのだと言う。
「それだけか、と思われるかもしれません。でも、それだけなんです」
僕の心を読んだかのようにそう言った彼女は、勝利の輝きを瞳に宿す。
「それだけで私はあなたに、クロア君に一生ついて行こうと決めたんです」
美しく力強い言葉は、僕に反論することを許さない。
「……そっか」
だから僕は、素直に負けを認めることにした。
勝てないとわかっている勝負を、延々と続ける趣味はない。
「はい、そうです」
この話といい、今日の決闘といい、アイラは案外負けず嫌いなのかもしれない。友人の新しい一面に、僕の頬も思わず緩んでしまう。疲れ切った二人の笑顔はしかし、穏やかで和やかな時間を創出した。
「……そろそろ寝ましょうか。明日も早いですし」
「そうだね。何か手伝おうか?」
「いえ、大丈夫です。話してたら少し元気になりました」
日常的に過保護の兆候がある僕ではあるが、アイラの場合逆に気を遣わせてしまう場合がある。彼女の顔色は決して良くなったように見えないが、ここはその言葉を信じることにした。小さく息をついて立ち上がり、一人洗面場へと向かう。
一生、か。
鏡に映る自分と対しながら、アイラの言葉を反芻する。彼女にとっては思い出話の一環として言った、何気ない言葉だったのかもしれない。それでも似たようなことを願っている僕には、聞き逃すことができなかった。
……今のままじゃ、駄目だな。
コンタクトを外し、白銀の瞳を見つめる。このままアイラの元に戻れば、僕にも未来を話す権利が与えられるのかもしれない。
十年以上経ってようやく、本当の意味でアイラと向き合うことができるのかもしれない。
だけど僕はまた、コンタクトで真実を隠す。
それはきっと、彼女たちを巻き込みたくないというご立派な理由を建前とした、
「今」を壊したくないというだけの、臆病な防衛本能だ。




