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「お疲れ様っす、先輩方!」
コーヒーを飲み終えてアイラと談笑していると背後から快活な声が聞こえてきた。僕は空いていたもう一つの席を引き出しながら後ろを振り返る。
「ああ、お疲れヒナタ」
「お疲れ様、ヒナタちゃん」
こちらに歩み寄る赤髪の少女、ヒナタ・スタシア・レッドソードはひらひらと蝶のように手を振った。そして金属製の椅子に勢い良く腰かける。……結構鈍い音がしたけど大丈夫か?
椅子もヒナタも。
「いやー、ほんと疲れたっすよ。何で実技演習を二時間も続けてやるんっすかね、この学校は」
ヒナタが唸り声を上げながら頭を動かすたび、長いポニーテールが落ち着きなく揺れる。生気を失った声はまるで地鳴りを彷彿とさせた。さっきの快活な声は座った時に落としてしまったのだろう。
「それはわからないけど……、ヒナタは体動かすの好きでしょ?」
何の気なしに返事をした僕の顔に不機嫌を表出させたヒナタの顔がぐっと近寄ってくる。日光を反射した金色の瞳と牙のような八重歯が輝いた。一瞬噛みつかれるかと思ったが、どうやらそれは杞憂に終わったようである。さすがにその疑い方は失礼か。
「自分で体動かすのは好きっすけど、それとこれとは話が別っす! 先輩も強制的にコーヒーを飲めと言われたら嫌な気持ちにならないっすか!?」
……いや、飲めと言われたものがコーヒーなら飲むけど。
例えのセンスが致命的なため素直に頷くことはできないが、言いたいことはなんとなくわかる。確かに自由の利かない運動は運動好きにとっては不快なものかもしれないな。
「ねえ、ならないっすか!?」
「わかったから落ち着いて……」
このままだと本当に噛まれそ「かっ!」いやもう噛まれた。「あぐあぐ」鼻先を数秒間甘噛みされる。別に痛くないから構わないが何だこの状況は。
「ひ、ヒナタちゃん?」
「すみません、甘い匂いがしたもんでつい」
何だ、その蟻にしか許されていないような言い訳は。
当惑したアイラの声でようやくヒナタが口を離した。再び席に着いた時、テーブルに広がった空の包み紙を見つけたらしい彼女は露骨に口を尖らせる。
「何で私の分残してくれないんっすかー? いじめっすかー?」
「ヒナタちゃんには朝、部屋であげたでしょ?」
「放課後にも食べたかったっすー!」
姉妹のようなやりとりを聞きながらふとモニターの方に視線を移す。集まっていた生徒たちはもう散り散りになっており、余韻に浸る数人が残るだけであった。彼らが目を向けているモニターには何かのショーなのか虹色の泡が無数に映し出されている。
ピエロのような恰好をした女性が指を鳴らすと泡たちは一斉に、跡形もなく消えた。
人々が拍手を送る様子が画面に映るが、その音は聞こえてこない。
「ん? どうしたんっすか先輩?」
「今日は変ですよ? クロア君」
……アイラの言うとおり、今日の僕は少しおかしい。ばれないように小さくため息をついて二人の方に向き直る。
単純な疑問の視線と、揺れる不安げな視線。
そのどちらとも目を合わせづらくて、結局僕は席を立った。
「なんでもないよ。そろそろ行こうかなと思っただけ」
「えー、もう少し休ませてほしいっすー!」
椅子にしがみつこうとするヒナタの後ろ襟を掴んで立たせる。ぶーぶーと口からは文句がとめどなく溢れ出すが、暴れ出す様子がないので大して抵抗するつもりはないらしい。もう片方の手に二人分の荷物を持ちそのまま歩き出す。
……ごめんね、アイラ、ヒナタ。
僕は君たちに、隠していることがあるんだ。
言葉にできない罪悪感を、心の中で吐き出す。
しかしそれは僕の中で滞留するだけで、少しもすっきりしなかった。