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この世界に愛されなかった僕たちは  作者: 春秋 一五
「黒と白のプロローグ」
20/66

3-3

 アイラの悲鳴が狭い店内に響き渡る。


 彼女の目の前に立っていたそばかすの店員が、人で溢れ返る通りの方を指した。


「ひったくり! 誰か捕まえて!」


 他の客たちは突然起こった出来事に呆然としているが、一部始終を目の当たりにしていた僕とヒナタは既に席を立っていた。常習犯なのかかなり手慣れた犯行だったが、この距離で見逃すはずもない。人ごみの中に走り去っていく男の姿を僕たちは確かに目撃した。


「赤い帽子に、」


「茶色のコート、っすよね!」


 犯人の特徴を確認し合い、僕たちも通りへ飛び出す。こんな人ごみを走る人なんてそういない、目立つ帽子も相まってその姿自体はすぐに見つけることができた。


 しかし、


「人が多すぎる!」


「速すぎないっすか!?」


 状況を知らない人たちはなかなか道を開けてくれない。だからと言って事情を説明している暇などなく、人ごみをすり抜けていく犯人との距離は広がる一方だった。


「どうする……!」


 『雷鳴瞬動』を使えば追い付くことはできるが、あれは体を雷に変えて高速移動する魔法だ。こんな密集地帯で使えば何かしらの被害が出る。『雷光一閃』で狙い撃つことも考えられたが、絶対に手元が狂わないとは言い切れない。


 ここは訓練所ではなく、多くの人が行き交う観光地だ。


 少しでも不安要素があるのなら、それを実行するわけにはいかない。


「先輩!」


「どうした、の! ヒナタ!」


 声がした方を横目で確認するとヒナタは低い姿勢のまま立ち止まっていた。彼女を人々が避けて通るためその周りは少しだけ開けている。通り過ぎていく観光客たちはみな、彼女に怪訝そうな視線を向けていた。恐らく僕も、彼らと同じような表情をしているのだろう。


「一か八かっすけど……」


 何故なら、僕と同じ状況にいるはずのヒナタが、


「本気、出してみるっす!」


 白い二本の牙を覗かせて、笑っていたからだ。


「本気って、どういう」


「六重詠唱『迅速の風』、『豪力の炎』!」


 僕の問いは咆哮にかき消される。間もなく現れた赤と緑の魔方陣がヒナタを取り囲み、やがてその腕と足に宿った。彼女の四肢に「六色の魔女」のものとは異なる複雑な紋様が浮かぶ。それは「ある魔法」が成功した証だった。


 ……ということは、まさか。


「ヒナタ! さすがにそれは、」


 僕の制止を無視し、ヒナタは地面を踏みしめる。


 次の瞬間、もうそこに彼女の姿はなかった。


 同心円状の罅が地面に走る。


「どこに……!」


 急いで辺りを見渡した僕の目に、ようやく赤い尻尾が映った。


「逃がさない、」


 遠くに見える建物の三階、ベランダ部分から身を乗り出した彼女は、何の躊躇いもなく中空に飛び出す。


「っすよぉぉぉぉぉ!」


 そして大きな叫びを上げながら、勢いよく地面へと落下した。


「ヒナタ!」


 騒然としている人ごみをかき分け、ヒナタが落下した地点へと急ぐ。もうもうと立ち上がる土煙は落下の凄まじさを言外に語っていた。人々の驚きと悲鳴がこだまする大通りはまさに阿鼻叫喚の体をなしている。


「……ヒナタ!」


 時期外れの汗を拭った僕は多くの人が取り囲んでいる空白部分に飛び込んだ。石造りの地面は無残に砕け散り、元々の砂地が露出している部分さえある。誰かが落としてしまったのか、散乱した果実たちが破壊の光景を鮮やかに彩っていた。


「遅かったっすね、先輩」


 衝動的で即断的な後輩は、その中心で朗らかな笑みを浮かべている。


「私の勝ち、っす」


 椅子の代わりを務めるのは、丸まったままの姿勢で動かないコート姿。


 風に吹かれた赤い帽子が、その場から逃げ去るように地面を転がっていった。


「…………ヒナタ」


「なんっすか、先輩?」


 白い鞄をゆらゆらと揺らしながら、ヒナタは小さく首を傾げる。


「……」


 名前を呼んだはいいものの、かけるはずだった言葉は地面と共に打ち砕かれてしまっていた。


 だから僕は無理やり作った笑顔で、答えのわかりきった問いを口にする。


「大丈夫、かい?」


 それは今の彼女にかけるにはあまりにも滑稽で、場違いな言葉だった。


 しかしヒナタは可憐な笑顔を綻ばせ、大きく首を縦に振る。


「はい!」


 天高く昇った太陽を一身に受けるその姿はとても幻想的で、


 『紅蓮の狂戦士』という二つ名を忘れさせるほど、美しく見えた。

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