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この世界に愛されなかった僕たちは  作者: 春秋 一五
「黒と白のプロローグ」
18/66

3-1

「おはようございます、クロア君」


「おはよっす、先輩」


「おはよう、二人とも」


 宿屋のロビーへ向かうと、二人は既に身支度を整えていた。ヒナタが僕より早く起きていることはそう珍しくもないが、極端に朝が弱いアイラの早起きは珍しい。


 横目で確認した置時計はまだ午前七時を指していた。


「珍しいね、アイラ。もう少し寝てても良かったんだよ?」


 ヒナタの隣、アイラの対面にある椅子に腰かける。恥ずかしそうに頬を掻いたアイラは窓の方に目を向け、おずおずと口を開いた。


「エストシオに来ることもそうないので……、えっと、」


「楽しみで寝れなかったんっすよねー」


 言葉の続きを奪われたアイラが空気の抜けた風船のように縮こまる。うっすらと見えるクマはヒナタの言葉を補填していた。何ともアイラらしい理由に納得した僕は、宿屋のオーナーが淹れてくれたコーヒーを啜る。


 カメの魔物を討伐して約三十日後、季節は廻りアークエディン騎士王国には冬の候が訪れていた。ノースヘヴンに比べて温暖な地域であるエストシオでも、ちらほらと雪が降り始めている。石造りの暖炉にくべられた薪を喰らう紅は、いつかのものよりも遥かに猛々しい。


 僕たち三人がここ、エストシオに訪れたのは決して旅行のためではない。立派な学園行事の一環としてシュダリアへと向かう道中、旅の疲れを癒すために立ち寄ったのである。


 アークエディン騎士王国には浮遊島を除いて四つの地域があり、それぞれに魔法騎士学園が存在する。相互の距離がかなり離れているため交流はほとんどなく、「優秀な生徒に画一的な教育だけではなく様々な特色を持った教育を受けさせたい」という立派な名目の基で設けられた「交換留学制度」のみが現状における唯一の交流機会だった。例にもれず僕たちもその制度のためにシュダリアへと向かっているのであり、到着後十日間シュダリアの生徒に混じって講義や訓練を受けることになる。


 「交換留学生」として他地域に派遣されるのは各学年指定の期間で学術・実技それぞれの上位二位だった計四名だけであり、三年間機会があるとはいえその門は狭い。僕たちの代に関しては二年連続で僕が二つの枠を占領しているため、ただでさえ少ない枠が一つ死んでしまっている。知り合いだけで旅ができるのはありがたい話だが、何かしら特別措置があってもいいようなものだ。


 日程としては全体で十六日間を予定されており、その内四日間が各地域間の移動、十日間がシュダリアでの研修に充てられている。残りの二日間は自由行動になっており、道中に通りかかる地域で休息をとるのが通例だ。移動手段として支給される魔力で動く四輪車「魔動車」がひどい燃費であることからも、それは合理的な伝統だと言える。昨日は三人で交代しながら運転していたのだが、それでも終盤は会話する力さえ残っていなかった。


「それで、どこに行くかは決まったの?」


「はい!」


 縮こまっていたアイラが跳ねるように背筋を正した。空のティーカップをやや乱雑にかたした彼女は、テーブルの真ん中に観光用のパンフレットを叩きつける。


「まずはやっぱり第二エリアへ向かうべきだと思います!」


 それからアイラによる今後の予定を確認するための演説が始まった。こういうことは大体ヒナタの領分なのだが、買い物や旅行が絡んだ時のアイラは一味違う。ヒナタが大人しく話を聞いている光景など滅多に見られたものじゃない。


「――と、ここまでが午前の予定です。クロア君は午後から用事があるんでしたよね?」


「うん、少しだけね。またすぐに合流するよ」


「お師匠さんに会いに行くんっすよね? 手合せでもするんっすか?」


 気圧されるように黙っていたヒナタが悪戯っぽい笑みを浮かべる。そんな想像しただけでも恐ろしくなる話、朝早くからしないでほしいものだ、


「ただ近くに来てるから呼び出されただけだよ。近況報告じゃないかな」


「そうなんっすか? まあ何にせよ、」


 椅子に深く腰かけていたヒナタがこちらへぐっと顔を寄せる。


 鼻にかかった呼気は、甘いクッキーの香りがした。


「早く帰ってくるんっすよ」


「はいはい」


 放っておくと耳たぶでも噛まれてしまいそうだ。子犬のように揺れる頭を撫でながら、ゆっくりと距離を離す。


「それじゃあここからは二人で回る場所の説明をするね。ヒナタちゃん、新しい服欲しがってたでしょ?」


「あ、覚えててくれたんっすか!」


 歯をかちかちと打ち鳴らしていたヒナタが弾かれたように地図へ飛びつく。先ほどまでと違って赤い字で書かれた書き込みは、きっとアイラとヒナタが二人で回る場所を示しているのだろう。これまで説明された場所のほとんどが食事関連だったのに対して、赤い丸や字はその多くが服飾関連の店を指していた。僕にはそんなに食いしん坊のイメージがあるのか。


「――で、その次は二ルビカ商店街の方に行こうと思ってるの。ここは特にアクセサリーを扱っているお店が多いから」


「是非ご一緒したいっす!」


 熱を帯びたアイラの説明に、目を輝かせたヒナタの歓声が続く。しばし蚊帳の外へと追いやられることになった僕は、すっかり冷めてしまったコーヒーカップに口をつけた。そして二人にばれないよう、心の中で呟く。


 ……ヒナタが機嫌を直してくれて、本当に良かった。


 僕が「狭間の繭」へ向かってからというもの、ヒナタは誰とも口を聞かないほど機嫌を損ねていた。もしあのままの状態で今日を迎えていたら、こんなに和やかな朝が訪れることはなかっただろう。


 目の前で咲き誇っている無邪気な笑みに、改めて感謝と謝罪の念を抱く。


「ん? どうしたんっすか先輩?」


 僕の視線に気づいたのか、ヒナタが首を傾げながらこちらを振り向いた。その奥ではアイラも同じような表情を浮かべている。


「何でもないよ」


 小さく笑みを浮かべた僕は、空になったコーヒーカップを机に置く。皿とぶつかりあう無機質で家庭的な音が三人の間に響いた。人差し指に貼られた絆創膏は、少し前の忙しなかった日々を思い出させる。


 衝動的でありながら頑固なヒナタの機嫌が、自然に治るはずがない。


 つまり今ここに流れている平和な空気は、約三十日に及ぶ僕とアイラの弛まぬ努力があってのものだ。僕に関しては自業自得だが、それを差し引いても大変な日々だったと思える。


 その時の話をすれば、きっと涙あり笑いありの大長編になる自信があるのだが、


 それはまあ、いつか別の機会にでもするとしよう。

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