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この世界に愛されなかった僕たちは  作者: 春秋 一五
「黒と白のプロローグ」
14/66

2-1

 「狭間の繭」はその周囲三百六十度全てを高い壁に覆われている。これは初代騎士王が繭の中へ突入した十年後に建設されたものであり、彼が成し得た偉業を称えて「レイドルフ要塞」と名付けられた。魔物との攻防はその要塞の内側半径十キロ圏内でくり広げられており、この壁を突破されないことが内縁警備隊第一の目標である。


 ……誰もいないな。


 要塞の外側数キロおきに出入りするための検問所があるのだが、今は人影どころか明かりさえもない。単に深夜だからという理由もあるのかもしれないが、検問に割く人員すらも足りていないということだろうか。余計な時間を食われないのは好都合だが、後者だとしたら手放しには喜べない。


 高度を上げて壁の上空を通過する。通常の反重力装置ならギリギリの範囲だが、「流星」なら軽々と飛び越すことができた。


「……多いな」


 壁の向こうに広がっていた光景を目の当たりにして、思わず呟いてしまう。


 上空から見下ろす限り、数百。


 宵闇に隠れているものも含めれば優に千は超えているだろう魔物たちが円形の戦場の中を蠢いていた。壁に囲まれているとはいえこの場所はかなり広い面積を有しているはずだが、ほとんど壁のすぐ近くまで暴れている異形の姿がある。応戦している内縁警備隊もちらほらとは見えるが、数が足りていないのは誰の目にも明らかだった。


 何でこんな数の魔物が……?


 繭から産み落とされる魔物の数が年々増えているという話は聞いていた。しかしそれにしてもこの数は異常である。繭付近、戦場の最前線で何かが起こっていると考えるのが妥当だ。


 壁が破られないよう防衛に当たることも大切だが、異常の元凶を叩かなければ現状は打破できない。


 そう判断し、再び前進を始める。この高度なら邪魔をしてくる魔物もいない、繭のある中心に達するまであまり時間はかからないだろう。眼下で戦う警備隊に心の中でエールを送りながら、全速力で目的地へと向かった。


 しばらく進むと、月明かりとは明らかに異なる赤黒い光が見えてきた。それは近づくごとに毒々しさを増し、辺りに鼻を突くような腐臭が漂い始める。数か月ぶりの邂逅とはなるが「やあ、懐かしいものだね」とはさすがにならない。思い出には美化されるものと永遠に黒ずんでいるものがある。これは当然後者だ。


 ヴァァァァァァァァ


 鼻をつまみながらも前進を続けていると、突然地鳴りのような轟音が響いた。肉体的苦痛を伴うほどの音量に自然と顔が引きつる。視覚、聴覚、嗅覚の全てが不快なこの場所を、僕はどうしても好きになれない。自業自得の後悔が脳裏をよぎったが、それは見なかったことにする。


 要塞に到着してから数分後、ようやく「狭間の繭」本体が見えてきた。赤黒い光を発する本体は完全な球ではなく少し歪な形をしている。定期的に拍動する様子は人の臓器のように見えなくもない。地上に伸びた無数の太い糸で支えられているそれは空中に浮いており、直径が百メートル近くあることも相まって強い存在感を放っていた。


「ん……、あれは?」


 繭自体は映像記録でいくらでも見ることができるし、何なら僕は直接見たことさえある。だから決してそれに驚いたわけではない。


 寧ろ繭が「ちゃんと」見えないことに、違和感を覚えたのだ。


「すみません。現状を教えていただけますか?」


 その違和感は巨大だが黙って見ているだけでは理解できそうにない。やや高度を下げて、近くにいた内縁警備隊の男性に声をかける。


「あ、ああ。……君は?」


 三十代前後とみられる黒髪の男性は、主に僕の後方を見ながら首を傾げた。光の翼については面倒なので説明せず、簡単に自己紹介だけを済ませる。ユーリには後できつく言っておこう。


「位階二位か、それは頼もしいな。私は八番中隊隊長のオルゴだ。増援感謝する」


 オルゴさんは血に塗れた左手で敬礼して見せた。人は緊急事態におかれた時冷静な判断力を失う。何故学生が第二級の緊急招集命令を知っているのか、何回も繭へ来ているが今まで一度も聞かれたことがない。


 手間が省けて結構なことだ。


「それで、今の状況だったな……。あれは見えるな?」


 一度額の汗を拭ったオルゴさんは、敬礼していた左手で繭の方を指した。「あれ」とはもしかしなくても繭のことではなく、その手前にいる巨大な違和感のことだろう。


「はい。あれは?」


「私にも詳しくはわからん。だが魔物であることには間違いないようだ」


 彼が指している先にある、違和感。


 それは汚れた白と生肉のような赤という「狭間の魔物」特有の色合いを持った、


 巨大なカメ、だった。


「……大きい、ですね」


「ああ、観測班の見立てだと五十メートルはあるらしい」


 来る途中に聞いた轟音はあのカメが発したものだろう。繭の前に立ち塞がるその姿を見れば一瞬で納得できた。


「でかいだけでも十分厄介だが、やつにはもっと厄介な特徴があってだな……。見ておけ」


 眉間に深い皺を寄せたオルゴさんはカメの方に向かって長銃を構え、躊躇うことなく引き金を引いた。しっかりと狙いを定めることのないまま発射された銃弾だったが、大きすぎるその的を逃がすはずもなくやがて首の辺りに命中した、


 かのように見えた。


「弾かれ、た?」


 オルゴさんはこちらを見ないまま、深く頷く。


 その表情と目の当たりにした光景が、カメの「もっと厄介な特徴」を言外に示していた。


「……防御魔法、ですか」


「そうだ」


 赤褐色の瞳が苦々しく歪む。奥歯同士を擦り合わせる鈍い音が聞こえた。


 防御魔法を使う魔物。僕の記憶が正しければ、八百年続く歴史の中でもそんなものは存在しなかったはずだ。


 つまりはあのカメが、史上初ということになる。


「しかもあの防御魔法、やつだけを守っているわけではない。「狭間の繭」全体を覆うようにかけられているんだ」


 「狭間の繭」はこの世界の定義で言うところの「物質」とは異なるものだ。見た目はその名の通り繭、もしくは人間の臓器に見えるが、実際は異界から魔物がやってくるための「通り道」である。破壊しようにも実体がなく、繭に向かって打ち込んだ攻撃は透過するのみだ。


 だから「狭間の繭」を含めて防御魔法をかける、つまり防壁を張るということは、繭自体を守る以外の目的があると考えた方がいい。


「より多くの魔物を産み落とす、ため」


「勘が良いな。さすがは位階二位だ」


 オルゴさんの表情が驚きに色づく。位階が勘の良さと直結するとも限らないが、ここは素直に褒められておこう。


「やつらにそんな意志があるとも思えんが……、増援を許しているのも事実だ。そうと考える他あるまい」


 繭から産み落とされて一定時間、魔物は身動きを取ることができない。それがどんな理由でのことかはわかっていないが、その明確すぎる弱点を突かない手はない。魔物が産み落とされた直後に遠距離攻撃で一掃するというのが、対「狭間の魔物」戦闘の基本中の基本である。


 しかしその基本はあくまで防御魔法を使える魔物が存在しないという前提があってのものだ。自身に防御魔法をかけて繭を防衛する、ましてや繭全体を防壁で覆ってしまう魔物が現れた時、その基本は簡単に覆される。


 これでようやく、要塞付近まで大量の魔物が溢れ出していた原因がわかった。


 あのカメが魔物の無力期間を防衛していた、ということである。


「あの魔物は他の魔法を使わないんですか?」


 しかしただ防御魔法を張り、魔物の増援を助長しているだけならば、そんなに大きな問題ではないように思う。魔物にも魔力の上限があり、いくら強固な防御魔法であったとしてもいつかは解ける。

 

 それまで他の魔物の対処に専念していれば、後はそう難しい問題でもないだろう。


「今は、な。しかしそれもいつまでもつか……」


「……どういうこと、」


「魔力不足、です!」


 僕の声を、張り裂けるような女性の叫びが遮る。それを聞いたオルゴさんの表情から一瞬で血の気が引いた。


「総員退避! 蒼樹の魔女(そうじゅのまじょ)を守れぇぇぇぇ!」


 オルゴさんの一喝で、最前線にいた警備隊員達が全員退避を始める。その内の一人は緑色の髪をした女性を抱きかかえていた。あの女性が恐らく蒼樹の魔女だろう。


「何が起こるんですか?」


「見ていればわかる! 君も防御魔法の準備をしておけ!」


 よほど大きく事態が転換したようで、これまで比較的冷静に話していたオルゴさんの口調が突然荒くなる。彼を含め、近くにいた隊員全員が防御魔法の詠唱を始めた。


 それらの状況を踏まえて考えられる事象は、一つ。


 決して軽くはない、攻撃が来る。

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