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この世界に愛されなかった僕たちは  作者: 春秋 一五
「黒と白のプロローグ」
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1-11

「思ったより寒いっすね。コート着てくれば良かったっす」


「そうだね」


 吐き出した息は先ほど同じ道を通った時よりも白さを増している。この時間帯となれば道を歩いている人もそういないが、たまにすれ違う人々はみな温かそうな外套に身を包んでいた。


「でもたまにはいいもんっすね、夜の散歩。ロマンチックっす」


 向日葵のように明るく微笑んだヒナタが腰を曲げてこちらを振り返る。薄手のワンピースにカーディガンというその装いはこの季節とても外に出るための格好には見えない。しかし少し外を歩こうと提案したのは彼女の方だった。


「……どうして起きてたの?」


 このまま話を先延ばしにするのは彼女の体に障るだろう。寮を出てから数分間敢えて何でもない話をしていたが、意を決して彼女に問いかける。


「別に、読みかけの本を読んでただけっすよ」


 慎重に尋ねた僕とは対照的に、ヒナタはさして変わらない口調で答えた。目の前にあった石段に跳び乗った彼女は、バランスを崩さないよう両手を水平に広げる。


「じゃあ何でロビーに、」


「先輩の方こそ」


 こちらを向かないまま、彼女は僕の言葉を遮った。


「どうして、あんなところにいたんっすか?」


 その言葉は、明確な苛立ちを孕んでいる。


「コーヒーを、飲みに行っただけだよ」


「わざわざ制服を着て、っすか?」


 大きな音をたてながら石段から降りたヒナタは、睨みつけるような視線をこちらに向けた。耐えきれず目を逸らした僕は、ポケットの中の三角をくるりと回す。


「誰かと会った時、寝巻じゃ恥ずかしいからね」


 僕の返答に、ヒナタは言葉を返さなかった。ただ怠そうに柱へ体を預け、夜空を睨んでいる。その先にあるはずの星空は、厚い雲に覆われて隠れてしまっていた。


 緊張を孕んだ静寂が、二人の間に流れる。


 それを穏便に打ち破る言葉を見つけられない僕に、口を閉じる以外の選択肢はなかった。


「あのサイレン、何だったんっすか?」


 ……やっぱり、そうか。


 僕とユーリが生活している二〇八号室の隣、二〇七号室はアイラとヒナタの部屋だ。アイラは早くに寝るし、特に今日は疲れている様子だったから心配していなかったけど、夜更かしが得意なヒナタのことは気がかりだった。


 だからこの問いも、案の定といったとことだろう。


「目覚まし時計が鳴っただけ、だよ」


 寮のロビーで会った時からわかっていたことではあるけど、いざ聞かれると答えに窮する。あまりにも苦しい僕の返答に、ヒナタはわざとらしく肩をすくめた。


「再犯の言い訳にしては、落第点っすね」


 言葉を吐き捨てた彼女は、蔑みを伴った視線をこちらに向ける。


「緊急招集のサイレンっすよね?」


 肉食獣を彷彿とさせる八重歯が、鈍く光った。


 ……再犯、か。


 ひどく人聞きの悪い言葉だが、強ち間違っているわけでもない。寧ろ今の僕を的確に表しているとさえ言える。


 反論することのできない僕は、もう一度ポケットの中の三角を回した。無機質な冷たさが、掌の体温を奪う。


「……行くつもりっすか?」


 攻撃的なそれまでの口調と対照的に、その問いはあまりにも弱々しい。細められた金色は泣いているようにも見えた。握られた拳の震えは、寒さだけによるものではないだろう。


 胸中を埋め尽くした罪悪感は、これ以上僕が嘘をつくことを許さない。


「…………うん」


 長い間を開けて、ゆっくりと頷く。


 僕は全く関係のないはずの他人事に、首を突っ込もうとしていた。


 それも、ヒナタが言うとおりこれが初めてのことではない。


 高等部に入学してからは、これで三回目。


 第二級緊急招集命令が発令される度に、僕は「狭間の繭」へと赴いていた。


「そう……、っすか」


 項垂れるように俯いたヒナタが、ほとんど聞こえない声で呟く。


「何度言っても、無駄なんっすね」


 ここで彼女の手を取って寮に帰ってしまえばそれで済む話だ。今まで忠告を無視して「狭間の繭」へ向かったことも、もうしないと誓いを立てれば快く許してくれるだろう。食堂でココアでも淹れて話をすれば、ヒナタも機嫌よく眠ってくれるはずだ。


 こんなに簡単で間違えようのない選択肢が、目の前にある。


 ある、はずなのに。


「…………ごめん」


 僕は、間違った方を選んだ。


 誠心誠意を込めたはずの謝罪はしかし、逃げるための言い訳にしか聞こえない。


「……………………わかったっす」


 長い沈黙の後、低いトーンでそう言ったヒナタは両手を自分の耳元へと伸ばした。


「先輩がそういう、つもりなら、」


 震えていた両手は、二つの紅いイヤリングを掴む。


「私も、本気で止めるっす!」


 ヒナタの叫びに呼応するように、掌に包まれたイヤリングが強い光を放った。


「我が魔力を糧として、ここにその力を示せぇぇ!」


 僕はようやく、それが示す意味を思い出す。


「魔導武具起動、舞い踊れ『炎舞の双剣(えんぶのそうけん)』!」


 真一文字に振りぬいた彼女の手に握られていたのは、紅い軌跡を描く二つの短剣。


「絶対に行かせないっす。……たとえ、」


 それはヒナタが母親から受け継いだ、歴戦の魔導武具。


「先輩をここで、殺してでも!」


 そして彼女が本気で戦う時にだけ使用する、闘志の表れだ。


「理論が崩壊してる気がするけ、どぉ!?」


 瞬きをした刹那に迫って来ていた刀身を寸でのところで避ける。間もなく放たれた二撃目も何とか回避し、ヒナタから数歩ほど距離を離した。このまま一方的に打ち込まれていたら、さすがに避け続ける自信はない。


 見開かれたままの瞳が、ぎょろりとこちらを睨みつける。


「魔物に殺されるぐらいなら、その方が何万倍もマシ……、」


 月光に照らしだされた紅い狂気は、幻想的な美しさを綻ばせていた。


「っす!」


 腕を交差させたヒナタが、地面を踏み込む。


 弾丸のような速度で飛び出した彼女は、明らかな殺意をその身に纏っていた。


 ……まずい、な。


 訓練室での勝負ならいくらでもやりようはあるが、生憎ここはただの道端だ。気を抜けば簡単に首など飛んでしまう。ヒナタを傷つけないことが絶対条件の僕には最初からほとんど手札が配られていない。


 安易……、かもしれないけど。


 絞り出した苦肉の策を実行するために、噛みしめていた唇を開く。


「……睡魔の毒牙よ、」


「甘いっすね、先輩!」


 詠唱しながら手を挙げた僕を見て、ヒナタが突然立ち止まる。


 それはまるで、僕がそうすることをわかっていたかのような動きだった。


「悪しき浸蝕から、我が心を守れ」


 ヒナタを囲むように六つの白い魔方陣が生まれる。


「六重詠唱・『精神防壁(せいしんぼうへき)』!」


 強い光を放ったそれらは、一斉に掻き消えた。


 後には何も残らない。


「精神強化魔法……、練習したの?」


 しかしその結果を十分に理解している僕は、彼女に向けていた腕を下ろす。


「はい。二回も同じ手を食うわけにはいかないっすから」


 僕の問いにヒナタは得意げな笑みを見せる。そこでようやくいつもの彼女を垣間見たような気がした。彼女には狂気的な怒りより、無邪気な笑みの方がよく似合っている。


「これも再犯、だったね」


 そういえば前回ヒナタに追いかけられた時も同じ手を使った記憶がある。自分の持ち手の少なさに思わずため息をついてしまった。確かにそうでもなければ、精神強化魔法なんて役にたたないものを練習するはずがない。


 睡眠魔法をはじめとした精神異常系の魔法を使用する魔物は未だに観測されていない。だからそれを防ぐためだけにある精神強化魔法は、本来であれば全く必要のないものなのだ。


 だからつまり、ヒナタは僕に勝つためだけにこの魔法を練習したということになる。


「…………わかったよ」


「わかって、くれたっすか」


 両手を頭上に挙げた僕を見て、ヒナタはようやく金色の瞳を閉じた。その両手から魔導武具が消え、両耳にイヤリングが吊り下がる。


「しかし六重詠唱か……、すごいね」


 同じ魔法を重ねて使い、その威力を上げる多重詠唱。


 理論は至極簡単なものだが、実践するためには非常に繊細な技術を必要とする。学園で魔法を教えている教師でも五重、現選抜騎士団団長でも八重までが限界だ。それを簡単に六重までやってのけるとは、さすがは魔法騎士学園「歴代十傑」の候補に選ばれただけはある。


「先輩と戦うのに出し惜しみをする理由はないっすからね」


 多重詠唱によって高められる威力と消費する魔力は使う魔法によって違う。例えば昼間ヒナタが使っていた『炎獅子の砕牙』を『風帝の領域』で完全に防ごうとするなら、その差を埋めるために四重は詠唱を重ねる必要があるのだ。消費魔力も大体それで同じぐらいになる。


 威力の高い魔法を単発で唱えるか、威力は劣るが燃費のいい魔法を多重詠唱するか。


 魔法の効果や自分の適性と相談しながら適切に使い分ける必要があるのだ。


「さあ、帰るっすよ先輩。本格的に寒くなってきたっすからねー」


 ちなみに先ほど僕が使おうとした魔法は、ヒナタが使った『精神防壁』よりもやや威力の低い魔法である。


「……先輩?」


 だから六重詠唱のそれを打ち破るためには、


「八重詠唱・『睡魔(すいま)(ゆう)()』」


 これぐらいあれば、十分だ。


「なっ……!?」


 敵意も警戒心もなく歩み寄って来ていたヒナタは突如放たれた紫の煙を正面から受けた。


 蛇の頭部を象ったそれは彼女を覆うように収縮し、消える。


 後には驚愕の表情を浮かべているヒナタだけが残された。


「八重……なんて、そんな、の」


 虚ろな目に再び怒りを灯しながら、ヒナタは一歩、また一歩と僕ににじり寄る。その鼻先が触れてしまいそうな距離まで近づいた彼女は、握りしめた拳を力の限り振り上げた。


「聞いて、ない、っす」


 しかしその拳が僕に届く直前、ヒナタは糸の切れた人形のように力を失った。背中から倒れそうになったその体を抱きとめ、ゆっくりと地面に座らせる。頬で健やかな寝息を確認し、ようやく僕は一息ついた。


「……ごめんね、ヒナタ。騙すようなことして」


 彼女の耳に届いていないことはわかっていたが、それでも僕は心からの謝罪を述べる。


「でも僕は……」


 ヒナタはどこまでも正しく、僕は惨めなぐらい間違えている。


 そんなこと、自分が一番わかっていた。


 しかし僕は、間違わなければならない。


 それは僕が生まれた時から決まっていた、宿命。


 どうしようもなく救えない運命の元で生まれた僕の、贖罪だ。

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