1 伝説の皿割り少女
あ、と思わず口に出してしまったのも束の間。次の瞬間にはガシャン、ともう聞き慣れてしまった音が辺りに響いた。
「……やっちゃった……」
彼女の足元で粉々になってしまっているのは純白の美しい皿。かつての少女なら恐らく触ることなんてできなかったであろうその皿を、彼女はまた割ってしまった。
アリネ・リッツァー、十七歳。これは、一ヶ月前からこのルシタニア王国のお城で住み込みで働くことになった新米メイドのお話。
◆◇◆
ルシタニア王国。現王はイサーク・ルシタニア・フォクシニー、建国してから十二代目の王である。現王は先代の早き病死という不幸に見舞われ歴代の中でも最年少で国王の名を継いだが、彼はその若さを感じさせない才能で国を治めている。三人の王子にも恵まれ、現代こそがルシタニアの黄金期であると主張する者もいた。
当然その宮殿で働くのだから、城の使用人たちは数々の試験を乗り越えたほんのひと握りの者のみである。大抵の者は城に長く務めていた使用人の子供であったりするが、まれに一般人から試験をクリアする強者もいる。
一ヶ月前から働き始めた少女、アリネも一般から合格した強者の一人だ。彼女ほどの若さで一般から試験を乗り越えるものはまた珍しく、使用人たちの間では一目置かれた存在であった――のだが。
「……リッツァー。私が貴女を呼び出した理由は自分でも分かっていますね?」
「はい……。つい数時間前に割ったお皿の数が二十枚を更新しました……」
「二十五枚です。この数は歴史あるこのルシタニア使用人録において最高記録となります」
しゅん、と肩を落として落ち込んだ様子の少女、アリネを淡々と叱るのは使用人たちのリーダーである執事のシュレット。若紫色の少々長い髪を一つに結い、髪と同じ色の目は元々鋭い眼光をさらに鋭くさせてアリネを見下ろしていた。
「この際だからはっきりと言いましょう。貴女、問題児ですよ」
「ご、ごめんなさいぃ!!」
「…………はぁ。本来ならここまでやらかした者などすぐ首が飛ぶのですが」
シュレットは額に手を当て、それはそれは大きなため息をついた。 無言のまま再びじろりとアリネを見下ろすと怯えたような表情の彼女と目が合う。正直この問題児に関しては彼自身も手を焼いている。それは単にアリネが皿を割りまくるのではなく――、
「どうして掃除の才能はあるのにこうドジをするのでしょう」
アリネの才能は「掃除スキル」にあった。なにを隠そう、今このシュレットが説教をしている使用人部屋もアリネの手によってピカピカに片付けられている。メイドに就任して早一ヶ月、王の私室の掃除も任され国王本人から太鼓判を押されるほどの実力だった。
つまり――アリネを首にしてしまうとそれは城のハウスダスト問題に繋がるのだ。これがシュレットが頭を悩ませている最大の問題点であった。
「まぁ……皿ならいくらでも増やせますが掃除はスキルですからね。次からは気を付けるように、そして罰則に従い貴女は今から離宮の廊下掃除です」
「廊下のお掃除ですかっ! 任せてください!」
「喜ばないでください。いいですか、反省はしてくださいね? 日が暮れるまで一人で取り掛かりなさい」
「承知しました」
まだ少しぎこちないお辞儀をしてからアリネは離宮へと駆け出した。そのスキップしそうな後ろ姿を見てシュレットは今日何回目かの大きなため息をつく。
廊下に取り付けられた時計を一瞥し、時刻を確認してから彼は主人の元へと足を急がせた。
掃除が得意で、少しドジな少女アリネ。漆黒の髪と目は艷やかで年相応の愛らしさを備えた彼女は、使用人たちの中でもそれなりに好かれている。
そして、彼女に待ち受ける運命の壮絶さを知る者はまだいない。