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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

生肉を噛む

作者: 十龍

 肉を噛む。

 窓の外には青空が広がり、真綿を裂いたその端のような薄雲が風に運ばれている。

 風は強く、皐月の木々を揺らす。触れあう枝葉のざわめきが風と共に私を襲い、髪や肌を強く叩き、教室の中へと疾り込んだ。そしてそのまま廊下へと飛び去ってゆく。

 私は目を細める。

 五月晴れ。青葉風。爽快な五月の風の香りは、鼻腔を抜けてくる血の臭さを引き立たせた。

「不味い……」

 意識せずに、感想が口からこぼれ落ちた。

 大学の小さな空き教室。誰もいない。風の気配だけがうるさい三階窓際。白いTシャツ。窓の外には青空と緑。鳥はどこだろう。雲は流れて消えた。いつしか日差しが肌をジリジリと焼いていた。

 私は窓枠に左の肘をのせ、その手のひらに左の頬骨を乗せ、外に目を向けていた。ゆっくりと口の内側の肉壁に舌の先を這わせる。小さな穴が開いている。

 少しだけ血の味を感じた。

 そしてジンジンとうずくような痛みが、私の興奮を冷めさせて、苛立たせ、渇きを呼び起こすのだ。

 肉を噛みたい。

 私という肉の塊の中には、他の肉を喰らわんとする魂が詰まっている。しかしその魂は、私という肉塊より出ることできぬ運命。

 唇の厚みと弾力は心地よく、しかし痛みは許せず、血の臭さも不快だ。

 欲求は満たされることはなく、爽やかな五月のこの世界のなかで、私は唇を甘噛みしながら足を組むのだ。

 欲求不満と唇の弾力が、別の欲へと変換されてゆく。

 それは再びの欲求不満へと変わる。

 私という肉の塊は、ただの欲求不満の塊である。

 肉壁の小さな穴がゆっくりと治癒をはじめ、血の味はいつしか消えていた。

 空腹感はない。

 ただ奥歯が寂しいのだ。

 血は嫌いだ。

 けれども、流れ出る鮮やかな赤の筋は好きだ。見たことはない。

 流れ出るほどの鮮血とまみえたことがなく、いつかどこかでお目にかかりたいと秘かに望むばかりだ。

 しかし、その鮮血の源に歯形などはそぐわない。

 歯形は美しくない。むしろ醜く、不潔であり、混じるであろう唾液によって汚されている。

 純正無垢なる清き赤こそ血なのである。

 血は肉の中にあってはならない。

 白亜と真珠のはざま、血の気はなくともほんのりと朱をさしたような肌を幾筋か流れるのがいい。

 血液とは肌を流れるものであり、赤い玉真珠となって一滴一滴滴るのが良い。

 私が噛みたいのは肉であり、臭い血など味わいたくはなく、美しい血液を私の歯形と唾液で汚すのは私の望むものではない。

 爽やかな世界に私はいる。

 私のこの魂は私という肉に封印されている。

 これが運命か。

 笑った。

 この私の中にある限り、この世界は平和でいられる。

「噛まれたい……」

 意図せぬ言葉が口をついてでた。

 なぜこのような事を呟いたのだろう。

 噛まれたら、私は痛みに不快になる。

 だから噛まれたくはないのに。

「噛まれたら……」

 私の肌は醜い歯形に汚され、鮮血は唾液に汚され、私という存在そのものが汚されるだろう。

 目の奥がチリッと赤くスパークした。

 私は汚される。

 醜い歯形から私の魂が溢れだし、血の臭いに憑依して、私を外から包み込むだろう。

 内側で狂喜乱舞する魂と外から襲いかかる魂は私の肉を挟み、この肉の器を征服するのだ。

 そして私の肉は魂の僕となり、思う存分肉を噛む。

 ついには絹のような肌に歯形をつけて、穢れてしまった血液の飛沫に笑い、血の臭さに興奮してすする。

 笑った。

 そのような生き物を私は知っている。

 もしも彼らが実在していたのなら、私は私の魂によって穢れていただろう。

 もしもこの青葉風に乗って彼ら吸血鬼が窓の中にやって来て、私の背後に立ち、肩に手を置いて、ゆっくりと首筋に歯を立てたら。

 ゾクゾクッとナニかが体の中を駆け抜けた。

 組んでいる足がぎゅっと強く締まる。

 五月の風は裏腹に止まった。

 凪いだ。

 私は体から力を抜いた。

 興奮はゆっくり抜けてゆき、肌は日差しでジリジリと焼け、脇の下には汗が滲む。

 肌が、焼ける。

 腕の内側の、白亜と真珠の狭間のような肌が焼ける。

 焼けてしまう。

 唾液が焦ったように溢れだし、私は私の肉にかぶりついた。

 奥歯に祝福が与えられた。

 白亜と真珠の狭間のような肌と、肉の弾力。

 痛い。

 痛いけれども、奥歯が気持ちがいい。

 このまま噛みちぎりたい。痛い。

 汚れてしまう。唾液と歯形で私は私の魂に負ける。

 私は白亜と真珠の狭間のような肌を汚し、純正無垢な清らかな鮮血を穢す。

 目の奥で白い粒がスパークして、一緒だけ私は目映い白銀の世界に飲み込まれた。

「……」

 私は腕から口をはなした。

 唾液にまみれた腕の内側には、赤い歯形がくっきりとついていた。

 もう片方の手の付け根で擦れば、それは寸でのところで一線を越えることはなく済んだことが分かった。

 ただの肉色だ。

 血の色ではない。

 泣き出しそうなくらい安心していたのだが、私はなにやら堪らなく悔しくて、何もかもを壊して回りたかった。

 しかし私はそれをしなかった。

 白いTシャツ。

 腕の赤い肉色の歯形。

 私の欲望の証が消えるまで、私の肉の塊は五月の青い世界を眺め、私の魂が眠るのを待った。


 生肉を噛む・《完》

 

 

 

 

これでもかってくらいくどい表現をぶちこんで、くどくど書いてみました。

書いてるときは楽しかったけども、出来上がったら好みではなかった。

むーん。

精進します。


ちなみに純粋無垢ではなく、あえて純正無垢という言葉にしてます。



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― 新着の感想 ―
[良い点] 大学生だというのに厨二してるなぁ、とひしひしと感じました。 [気になる点] 自分自身の体で完結しているので、魔が差した感や猟奇感は薄い。 [一言] ちょっとした、気の迷い感。ちょっとなのか…
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