アゼルの傲慢 2
「……胡椒が足りない?」
「そうよ!足りないの!お店が開くまでに用意しておかないといけないのよ!貴方買ってきて!」
「わ、分かりました」
くすんだ菫色の瞳に不機嫌そうな色を滲ませた従姉妹が私を怒鳴りつける。それでも、愉悦に唇の端が笑みに歪んでいた。
夕方といっても、もう今は日の暮れかかった時間だ。空が茜色に染まっていて、じきに夜が来る。
私は慌てて家を出て、行き着けの調味料屋へに向かう。幸いにも夜の帳が降り始める頃だったから、紅茶屋さんは開いていた。
王都の店は大体日没と共に閉まる。空いてるところは酒場くらいだ。
胡椒の入った袋を両手で抱えて、人通りの疎らな道を小走りで家へと急ぐ。王都でも日が暮れると物騒だ。警備隊はいるけれど路地裏に入れば柄の悪い人達が多かったりする。
ーーだけど、路地裏に入らなければ安全だった筈なのだ。
「よう、嬢ちゃん。こんな時間にお散歩か?」
「夜遊びかよ、悪い娘だなあ?」
突然私の前に目つきの悪い男達が5人ほど現れ、行く手を阻んで取り囲む。皆が皆服を着崩し、下品な笑みを浮かべて私を上から下まで眺め回した。
そして、1人が腰に差している剣をゆっくりと抜く。
私はその場で立ち尽くしたまま、それをただ眺める事しか出来なかった。
両手は震えて、買ったばかりの胡椒の入った袋が地面に落ちる。
僅かな月明かりでもギラリと光る刃を首に押し当てられても、私の頭は真っ白なままだった。
「嬢ちゃん、声出すなよ?可愛い顔が台無しになるからな?」
私の肩を抱き首筋に剣を押し当てた男は、黄ばんだ歯を見せながら私を見下ろしてニヤリととても楽しそうに笑った。
肩を強引に掴まれて、物陰に引きずり込もうとする男の手を振り払おうとするが、手にも足にも力が上手く入らない。声を出す余裕なんてなかった。
私の爪が男の手の甲を抉った時、男は苛立たしげに舌打ちをして腕を振りかぶる。
殴られた。
そう実感したのは、自分が殴られた勢いで地面に倒れた時だった。頬を殴られたらしくその箇所がひどく熱くて、地面がグラグラと揺れる。
「ハッ!別に口止めされたわけでもねぇから言うけどよ、怨むなら叔母を怨みな嬢ちゃん。俺達はな、お前の叔母に金積まれただけなんだからよ。傷物にして、どこにも嫁がせられねぇようにしろって。大人しくしてれば痛い目みねぇぜ」
私を殴った男とは別の男の声が聞こえる。
鼻で笑ったその内容に、愕然とした。
叔母様が、私を、こんな目に。
なんで、なんで、なんで私が。
なんで私がこんな目に。
男が私の腕を掴む。振り払おうとしたけれど、力ずくで抑え込まれてまた路地裏へと引き摺られる。
「お前の叔母が召使いを失くしたくないんだってさー。怖いよなぁ女って」
酷く可笑しそうに詰った男は、私を地面に押さえ付ける。男5人が仰向けになった私を愉しそうに見下ろしていた。
ーー傷物にして、どこにも嫁がせないように。
ねぇ、私、何か悪いことしたかな。
ずっと、ずっと待ってたの。
私だけの王子様が現れるって信じてた。
所詮、幻想に過ぎないものだって分かってた。それでもまだ、一途に縋れた方がマシだった。
私を見下ろす男達のはるか向こうの夜空にのぼる欠けた月がとても綺麗で、思わず手を伸ばす。
助けて欲しかった。
ただ、ただ、この状況から助けて欲しかった。
だって、絵本でもお姫様のピンチには、絶対王子様が駆け付けてくれるでしょう?
私だけの王子様がいるのなら、助けて欲しかった。
「ーーそこで何をしている?」
そこまで大きい声ではなかった。それでも、存在感のあるその声に男達は蜘蛛の子を散らすように逃げ出す。
私は抑え込まれていた身体を起こし、その人物を見た。
ローブを被った二人組。
いかにも怪しげな雰囲気だったが、先程の声の人が私を見るなり納得したように言った。
「なんだ。女が襲われていたのか。無事か?」
酷くぞんざいな雰囲気のその人は私の前に立つなり、自身のローブを脱いで私の肩に掛ける。その下から現れた瞳は青い空のように透き通った色をしていた。
青い瞳を持つ人は一緒にいた人に警備隊を呼んでこいと告げ、私の前に跪く。
「怪我は……中々酷いな。手当してもらえ」
私の髪の毛を払い頬を見た瞬間、眉をひそめて言った人はとても綺麗な顔立ちをしていた。
ーー来てくれた。
助けに来てくれた。助けに来てくれたんだ。
きっと王子様は、この人なんだわ。