33-1 宴の後始末 (第4章・完)
朝日を散乱させた空気は昨日よりも暖かく、早朝であっても春がすぐそこまで近づいて来ている事を実感する。
また、道を歩む人々は春らしく明るい装いに身を包んでいた。
好景気を反映して、高級ブランドのファッションを着こなしている人もちらほら見かけるようになった。
通学路をだるそうに歩む竜司は眠い目をこすりながら大あくびをして、その3月の空気を思い切り肺に取り込んだ。
「くしゅっ!」
「ん?」
すると突然隣でクシャミが聞こえたので竜司が振り向くと、そこには鼻を真っ赤にした神崎が立っていた。
「…なんだ、もう花粉症なのかよ」
「あら、花粉症に罹るのは人体が野生環境から人工環境へ順応するよう進化した証拠なのを知らないのかしら?」
そんな俗説を聞いた事もない竜司が思い切り顔をしかめた。
「あーそうですか、なら俺はさしずめ進化前の原始人だとでも言いたそうだな」
「ふふっ、そんな事は誰も言ってないわよ?
赤羽くんはそういう事に関して自覚でもあるのかしらね?」
「ぐっ…」
墓穴を掘った事に気付いた竜司は、勝ち誇ったような顔で鼻を啜りながら微笑む神崎を睨みつけた。
「それで、今日の科目は全て復習できているのかしら?」
「あぁ、これでもう今日ぶんのテストは万全だぜ」
サムズアップを送る竜司の顔に張り付く隈を見て、神崎が苦笑した。
「でもそれで徹夜して、コンディションを悪くしてしまっては元も子もないわ。
せめてテスト時間前にある5分休憩の時に目を閉じて頭を休めたほうが良いと思うのだけど」
「…おい、そうやってわざと寝過ごさせてテストを台無しにさせようとしてないだろうな?」
「まぁ酷い。せっかく貴方を心配して言っているというのに。
全ては貴方の受け止め方次第という事ね」
「チッ…うっぜぇ」
「ふふっ」
そこへ、竜司が着ているコートのポケットに忍ばせてある”眷属”の『ゼロ』がブルッと震えたので、竜司は『ゼロ』を取り出した。
「ん?どした?」
「はい赤羽様=さきほどオクウミ様の方から=報告したい事があるので今日の放課後に『レイウァ計画』司令センターへ顔を出すよう=連絡が入りました=
もちろん神崎様と=東雲様や山科様に=また桜木様へも=同様の連絡が入っております=」
まるでロボットフィギュア(竜司が好きな『電光石火グリッドメンズ』に登場する『グリッドゼロ』の姿をしている)のような『ゼロ』が竜司の掌の上で言った。
「そうなの?『ケーシー』」
「はい=今『ゼロ』が伝えた通りで間違いありません=」
やはり神崎のコートから頭を出した子猫のような『ケーシー』が、鈴の音が鳴るような可愛らしい声で首肯した。
「何だろうな…もしかして、あれか」
「そうね、もしかしたらアメリカやロシアでのゴタゴタが、ここにきて一気に終わりを迎えつつあるのかも知れないわね」
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「…というわけで、今回の作戦は戦術的には上手くいったと言い難いのですが、結果的かつ戦略的には成功という事になります」
作戦の統括責任者であるアンシュリアレーが、軍人特有の独特な言い回しで今回の報告をそう総括した。
『レイウァ計画』司令センターの会議室で彼女の堅苦しい報告を聞いていた竜司達は、その長い話が一区切りついた頃合いで、一斉に溜息を吐いたり首や肩を回したりしてそれぞれ体の緊張を解いた。
そんな彼らの様子を後方の席から見ていたオクウミがフッと微笑んだ。
「えーと、つまりは”機関”側もその反対勢力側も、結局は互いに潰しあって力を落としたってところ?で合ってる?」
「そういう事になります」
山科が頭に指を当てて目を回すような仕草をしつつそう問うと、アンシュリアレーが頷いて答えた。
「しかし”機関”はいいとしても反対勢力もヤバかったのがびっくりだよねー。
トラップさんが例の”Xアノン”だっけ、それを焚きつけて色々やらかしてたってのは前から聞いてたけどさ。まさかロシアとかとも繋がってたなんてねぇ。
しかも例の”再臨教”だっけ?それが今まで日本の政治を牛耳って裏で操ろうとしてたってのも相当ヤバすぎでしょ」
山科が大袈裟に溜息をファッと吐きながら一息に言うと、東雲が腕組みをしながらそれに応じた。
「まぁどこまでガチで再臨教が日本政治界を牛耳っていたのかは、また今後の検証次第で分かるだろうが…
ひょっとしたら日本の政治家も逆に連中を利用するつもりだったのかも知れん。
とはいえ、それはそれでどうなんだとは思うがな」
それを聞いていた神崎もまた首を竦めた。
「今の話だと、再臨教は”機関”側にもロシア側にもすり寄るコウモリ外交的な事をやっていたわけだけれど、それでよく両陣営からスポイルされなかったものね」
「結局は、両陣営共に再臨教の利用価値をそれなりに認めていたという事に尽きるでしょう。
そして再臨教自体もそれを自認し、ある時は片方の陣営におもねり、またある時はもう片方の陣営に寝返りといった事を繰り返しながら、世界の裏側で徐々にその勢力を拡大していったものと見られます」
アンシュリアレーがそのような表現で再臨教の性質をまとめた。
「全くやれやれな存在ね…
ともあれ何にしても、これで少なくとも国内政治的にはようやく本格的に汚物が一掃されてすっきりしたわね。
ただアメリカとかではまだまだどうにもならない状態が続きそうだけれども」
「それで、トラップ大統領はどうなったんだ?」
「ええ、彼はどうやら今もウクライナ領内で何かやっているようですね。
彼の行動の全てを追跡しているわけではないので詳細は不明ですが」
その時、イゴルが会議室に入って来てオクウミに何か耳打ちした。
それを聞いて頷いたオクウミがスッと立ち上がり、会議室内の全員に告げた。
「たった今、面白いニュースが飛び込んできたぞ。
トラップ大統領がウクライナで”極秘の和平工作”を行った結果、ウクライナでの一時停戦が合意されたとの事だ」
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「これまでは幾つかの不幸な出来事があったものの、こうして今回、ウクライナとロシアの諸君による和平交渉の手続きが円滑に進んだ事は非常に喜ばしい事だ。
ウクライナのヴォルチェンコ大統領とロシアのコザック臨時大統領代行による尽力に感謝する」
トルコの首都・アンカラでの恒久的和平交渉の会場で、トラップ大統領が高らかにそう演説したのは交渉が始まってから7日目の事だった。
ひとたびは全面戦争に至っていたウクライナとロシアは一時停戦後の恒久的和平交渉でも激しい対立状態を持ち込み、また場外での関係各国との駆け引きも盛んに行われていた。
しかし、どうにか交渉開始から7日目までには和平交渉における全てのプロセスをどうにかクリアする事が出来た。
そしてトラップ大統領が演説を行ったこの日、両国が正式な和平条約に調印するところにまでこぎ着けたのだ。
ちなみにウクライナ側は開戦以降に挙国一致内閣を結成しており、今回の和平交渉でもヴォルチェンコ大統領派以外に”全ウクライナ連合”のユリア・ヴォロディミリヴナや結成間もない新党・”国民の僕”党首のジレンスキー氏も参加していた。
逆にロシア側はブーニン大統領一派およびメドヴィチェフ首相を首班とする内閣官僚が例の”塔”崩壊で全滅に近い状態に追い込まれていた為、当時別件で”塔”の儀式に参加しておらず難を逃れた政治家の中で当時最高位にあったドミトリ・コザック副首相が臨時のロシア大統領に就任し、今回の和平交渉に臨んでいた。
だがロシアはウクライナ方面に全軍を投入していた為に、ブーニン政権崩壊後は地方での各州独立派の勢いを抑えきれなくなっており、特にそれは内戦が続くチェチェン地方で激化していた。
そもそも開戦以来1週間以上が経過してドンバス地方やキーウ州北部やヘルソン州等で激しい全面戦闘となる情勢下で、このウクライナ戦争をどう解決して終結させるかは国際社会においても全くその糸口が見当たらないのが現状だった。
しかしウクライナの首都キーウで、トラップを真ん中にヴォルチェンコ大統領とロシアの特派大使とが握手している映像が全世界に配信された事により、状況が一気に急転回する事となる。
その時の記者会見の場でトラップ大統領は、実は開戦直前から配下のカッシュナー達を引き連れて精力的にキーウを始めとするウクライナ各地を周ったり、時にはロシア領内に赴くなどしてウクライナ和平への政治交渉を密かに行っていたのだ、と説明していた。
それを受けてアメリカ国内ではトラップ支持の声が再び急速に高まり、また”機関”への批判を強めていた”Xアノン”などが急速に勢力を取り戻していた。
そうした状況を確認したパンス大統領臨時代行は、その職を辞してトラップ大統領に権限を返還する事を表明した。
同時に、ポンペイウス国務長官やヘスパーCIA長官など”機関”寄りと噂されていた閣僚数名がパンスと共に辞職する事となった。
だがトラップ大統領がウクライナへ外遊していたとしても、なぜその前にアメリカ某州での視察遊説後に突如失踪するようなかたちを取ったのか?
それにウクライナ・ロシア間での極秘の和平交渉を行っていたと言うが、その空白の1週間の間に実際は何をやっていたのか?は全くの謎だった。
しかし後に、大統領失踪には再臨教が関わっていた事がFBIの調査結果より明らかになり、その原因としてそもそもトラップ大統領側は再臨教と対立する立場だったとされるようになった。
これにより再臨教は米国内のリベラル派のみならず”Xアノン”からも決別されて袋叩き状態となり、最終的にFBIによる一斉検挙により壊滅する事となる。
また、和平条約締結時にはEUやインド・中国など十数カ国の軍隊が国連安保理事会決議2406に基づき、国連ウクライナ停戦監視・平和維持軍(UNMOGUR)としてウクライナに派遣されていたが、
その中で意外にも動きが早かったのが日本の自衛隊だった。
日本の新條政権は、ウクライナ停戦直後から人道的見地に立つ緊急の後方復興支援であるとして支援物資・専門人員の輸送について迅速に閣議決定を行い、空自のC-130HとC-2をそれぞれ2機づつ派遣して医薬品や医療器・土木用重機などをウクライナ領内へピストン輸送していた。
そしてUNMOGURが正式発足した時点で、陸自の施設部隊を主力とする約880人(これは自衛隊海外派遣史上で最大の人員数だった)を自衛隊PKO部隊としてウクライナに派遣する事となった。
日本のこうした動きには国内外(特に中韓など)から批判の声も上がっていたが、新條政権による外交攻勢やトラップ大統領による側方支援も功を奏して、ほぼ順調に自衛隊ウクライナ派遣が推進される事となった。
このPKO部隊に付随して、国内メーカーが製作した試作型の防衛用大型・小型ロボット、またドローンなど各種最新装備もまた投入され、各地で監視や地雷撤去や広報などの各種活動に従事する事となった。
国内外メディアの一部がこれについて「ウクライナを日本軍新型兵器の実験場にする気か?」などと揶揄する報道を行っていたが、大抵は日本のハイテク装備について面白おかしく紹介する程度だったし、何よりも現地の住民(特に子供達にとっては、戦争前から地元TV局やネット配信で大量に放送されていた日本アニメのロボット等と同レベルの存在に思われていた)には歓迎されていたので、特に問題になるような事もなかった。
しかし、この自衛隊PKO部隊の中に『レイウァ計画』本部直轄の統合保安隊メンバーを紛れ込ませている事については最大の極秘事項だった。
統合保安隊からの特設派遣部隊は特殊作戦群から出向している自衛隊員数名で、表向きは陸上自衛隊中央即応集団からの転属隊員という事になっていた。
彼らはクリミア半島周辺で極秘の活動を開始し、特に”塔”の崩壊で壊滅したケルソネソス遺跡や周辺にある未知の超古代遺跡を調査する任に当たっていた。
当然ながら、こうした活動はアメリカはもとより海外諸国にはその一切を探知されないように慎重に行われていた。
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「やれやれ、宴の後始末も、ようやくひと段落といったところか」
久しぶりにホワイトハウスの執務室にある大統領専用の椅子にどっかりと腰掛けたトラップが大きく息を吐いた。
トルコでのウクライナ停戦調停を終えたトラップが、粗末な小型機でクリミア半島に赴いた行きとは逆に豪奢な大統領専用機でワシントンに戻ってきた時には、ホワイトウスはもぬけの殻状態となっていた。
トラップ不在時に大統領任務を代行していたパンスやその他官僚達は、その辞任時にまともな業務の引き継ぎすらするつもりは無かったようだ。
どうやらパンスの意思というより、”機関”の意志を示したものだろう。
何とも陰湿で子供っぽい”反抗意志”というべきだろうな、とトラップは思う。
「しかしこれからまだやるべき事が山のようにあるな」
「ええ、とりあえず副大統領を始めとして、各閣僚の新たな人選を始めないといけませんね」
トラップがゲップをするような勢いで大きくため息混じりにそう呟くと、カッシュナーもそれに同意した。
「それでだ、”機関”の動きは今のところどんな状況なんだ?」
「はい大統領。
とりあえず現状では、大きな動きは観測されておりません。
モラヴェック議長を中心に”機関”重鎮の大半は月面の『アルファ』基地に逃げ込んでいて無事のようですが、さしあたって何か新たな活動をするような兆候は見られません」
「それは実に結構!
あの連中にまた、あれこれと裏で動かれるのはシャクだからな。
俺の…いや、我々の計画に面倒な支障を来しかねん」
トラップが憮然とした顔で手を振り上げて言うと、カッシュナーが苦笑した。
「”偉大なるアメリカ、強大なアメリカを取り戻す”、ですね」
「ああそうだ、そうでないと俺の商売にも影響が出る」
結局、自分のことしか考えていないのは”機関”もトラップも同じか…と、カッシュナーは時々諦めまじりに考える。
そんな下らない事に振り回されて、内戦の一歩手前までいく状況に巻き込まれた純朴なアメリカ国民や政府職員や軍人や警察官達が可哀想にすら思えてくるのだ。
だがそんな考えは、トラップの前ではおくびにも出さないようにしている。
何よりカッシュナーもまた、そのトラップが生み出す甘い汁を吸わせてもらっている立場なのだ。
もし地獄があるなら、そこでトラップも”機関”の連中も、そして自分もまとめて一つの蠱毒のような泥穴に放り込まれるに違いないと思わざるを得なかった。
「さて、それもやらなければいかんが…と」
そこで執務室の電話が鳴ったので、電話に出ようとするカッシュナーを制止してトラップが自身で受話器を上げた。
「…オー!シンジョーがか!?それは良い!」
満面の笑みでウンウンと頷きながら電話の相手と話し、それからおもむろに受話器を戻したトラップにカッシュナーが訊いた。
「駐日大使のハガーディからですか?」
「ああそうだ。新條首相がまた会いたいと言ってきているそうだ」
「すると、また経済交渉の件でしょうか」
「もちろんそれもあるだろうな、尤も、まずは俺の大統領帰任に対するおべっか使いといったところかも知れんが。
とは言え、シンジョーは珍しく気心の合う相手だ。まぁ久しぶりに酒を酌み交わすのも悪くはあるまいて」
トラップが酒嫌いなのを知っているカッシュナーとしては苦笑せざるを得ないが、その次に出た言葉に目を細めた。
「それに最近の日本が妙にますます活気付いてるわけだが、その秘訣も是非聞き出してみたいからな」
「確かに、そうですね」
何しろ昨今の日本における経済的躍進には目を見張るものがあり、去年度の日本経済成長率は前年比で12.2%にまで上昇していた。
今年に入ってからは更にその勢いを加速させていて、米国を始めとして諸外国の経済筋からの注目を浴びていた。
もちろん平均所得も急上昇し、日本国内で流通する各種原材料安に起因する物価安定化と合わせて実質賃金はインフレ傾向の欧米よりも高い水準となっていた。
これとは逆に失業率は最低レベルとなり、失業者の減少により犯罪発生率も当然のように低くなっているので極めて良好な治安状態となっている。
そればかりではなく日本経済の回復に伴う結果なのか、ここにきて婚姻率や出生率も一気に上昇しており、今年は1970年代以来の一大ベビーブームとなるのではないかという予想すら立てられていた。
もちろんそれには新條政権による少子化対策の各種政策が功を奏しているのもあるのだが、どうやらそればかりとは言い切れず、人口学者の間では日本国内に何か隠れた要素があるのではないかとも囁かれていた。
またそうした社会的な余裕は日本文化が隆盛する素地を与えており、例えば日本のアニメや漫画やJ-POPといった最新文化がここにきて一気に世界的な大ヒットを生み出すようになっていた。
その中の幾つかは、トラップ大統領の小さな孫も夢中になるほどだった。
これらの各種コンテンツは今や日本企業が率先してインフラを整えて海外へ配給・配信を行っており、その主導権もまた日本企業が完全に握りつつあった。
そもそも今までの日本は”失われた30年”とでも言うべき長い経済的・社会的低迷に見舞われていたわけだが、それが一気にV時回復どころではない状況を生み出したのはどういう理由でどんな政策のお陰なのかを、世界中の経済・社会学者やジャーナリストや企業人らがこぞって追求し始めているところだった。
そして日本企業の財政的体力が鍛えられたせいか研究開発や設備投資にも力を入れるようになり、結果として次々に画期的な新技術が生み出されるようになった。
この中には、既に活用が始まっている各種多足歩行ロボットやドローンや再利用ロケットなどの重メカトロニクス、3D投影などの表示デバイスや三次元結晶半導体や量子チップといった電子技術、有機的ネットアルゴリズムやそれを応用したチャットボット・ソフト生成AIなどのAI技術、5G通信やメタバース用VR構築やオンライン会議アプリなどのIT技術、量子太陽電池や人工光合成や常温超伝導や完全固体電池などのエネルギー技術、iPS細胞や光免疫療法やテーラーメイド新薬などの医学・生化学技術等が含まれるなど非常に多岐に渡っており、幾つかのカテゴリーではアメリカのGAFAをも上回りつつあるとも言われている。
更には今年に入ってから、世界最大の自動車メーカーである豊河自動車が発表した”常温核融合”エンジンが全世界に衝撃を与えていた。
常温核融合自体は30年ほど前に”発見”されたが、実験に再現性が無い事から疑似科学とされて一度は闇に葬られた技術だった。
しかしその後も世界中の科学者や企業が「凝集系核反応技術」として水面下で粛々と研究を進めてきており、徐々に再評価の動きが高まりつつあった。
それでも産業化に結びつけるだけの成果は生まれておらず、一般的な高温核融合と同じく実用化にあと数十年は掛かるとも言われていた。
だがここに来て豊河自動車が発表した常温核融合エンジンは、一切の核物質を使わずに常温で核融合を発生させて火力発電と同等の変換効率で電気に転換するシステムをコンパクトにまとめており、少なくとも一般的な船舶や航空機に搭載可能と豪語していた。更に将来的には自動車にも搭載出来るようにするという。
また、これを可能にした新発見の物理理論を応用して、原発事故で周囲環境に拡散した放射性物質を回収して安全な物質へと常温核転換する技術も公開している。
これにより、原発事故の収束作業や地域復興が一層進む事が期待されていた。
そして豊河自動車の発表に触発されてか、本多技研工業も近い内に画期的な新エンジンを発表するのではと業界関係者間で囁かれていた。
噂によればそれは常温超伝導を応用した磁気浮上推進システムで、航空機や宇宙船等の主エンジンとして搭載可能なものらしいと推測されている。
こうした日本企業の新技術はアメリカの企業、特に軍事企業からも注目されていて、どこからどうやってその新技術を得たのかについて調査を始めていた。
しかし幾ら調べても、彼らがどこの誰からの”知識提供”を受けずに”自力”でその技術を開発したとしか言いようがないと考えざるを得なかった。
この事は、密かに”異星人”等から技術供与を受けている米国防総省や一部の欧米軍事企業にとっては中々に信じられないものだった。
「まぁ、我々はこの半壊しかけたアメリカを大急ぎで立て直さにゃならんからな。
それには同盟国たる日本の協力が不可欠というわけさ」
貴方が半壊させたんじゃないか…と言いたくなるのを堪えたカッシュナーは、その言葉に頷くに止めた。
「あと、日本側が提供していた海底資源に関わる情報もありますからね」
「そうだ、あれは中々に良い手土産だった。
ああいうのを今後も日本に期待したいところだな」
「しかし、なぜ日本はあのような情報を持っていたのでしょうか…
彼らが有している海底調査技術では、そうそう簡単にあれ程までの詳細な海底資源地図を作り上げる事は難しいのではないかと思うのですが」
「ハッ!
それについては我々だってそうじゃないか?聞くところによると、海底もそうだが地下資源センシング技術なんぞ日米欧でそう大して差が無いからな。
こればっかりは異星人連中からも簡単に技術提供されない分野だった」
「まぁ当然でしょうね。異星人にしても地球の資源を欲していますから、自らの手の内を明かすわけにはいかないでしょう」
カッシュナーの言葉に同意したトラップは、顔を顰めながら首を傾けた。
「ああそうだ、異星人すら秘匿したがる資源の位置をだな、日本がやすやすと発見してしかも我々にポンと提供するという…そんな事、中々出来るもんじゃ無い」
「しかも、我々アメリカが過去に調べ尽くしていたはずの海域で、あれ程の資源を”発見”するというのはちょっと腑に落ちないところもありますね」
「だが一応、NOAA(アメリカ海洋大気庁)による当海域の再調査でもその裏付けはとれたのだろう?だったら申し分ないじゃないか」
「ええ、もちろん私もその調査報告書には目を通しています。
しかしその報告書の中でも、”まるで無から有が生み出されるかのように忽然と天然資源が出現した”とありますし…
まさかとは思いますが、日本は密かに海底の天然資源を生成する技術を持っているのかも知れませんね」
「おいおい、まさかそんな異星人みたいな事…いや」
と、そこでトラップが急に口を噤んだ。
「どうしましたか?」
「…いや、そう言えば連中、”UFP”についても調べていたんだよな。
全く、最近のドタバタですっかり忘れていたが、連中も連中で異星人や超古代文明や超常現象などについての極秘調査機関を持っていたんだった。
まぁそれを潰したのは俺なんだが」
カッシュナーが何度目かの苦笑を堪えながら頷いた。
「そもそも”UFP”について日本から聞き出せと要求していたのは”機関”側でしたから、大統領が覚えてなくても当然かと思いますよ」
「全くだ、あの奴らはこっちを使い走りのごとくコキ使いやがる。
そんな関係ももう断ち切る事が出来てせいせいしているわけだが。
まぁそれはもういい。問題は日本の調査報告内容だ。
とりあえず一通り”UFP”について調べてあるのは良いんだが、なんとなくまだ”何か”を隠しているような”匂い”がするんだよな」
「”匂い”ですか…
そう言えば、あの”塔”攻撃を行った空軍のスパイダー小隊が北極圏で遭遇した”魔女”も、類似した目撃例が日本でありましたからね。
もしかしたら、その”魔女”達と”UFP”には何か関係があるのかも知れません」
「その通りだ。
最近になって日本国内で超常現象が多発しているとも聞く。まぁそれについては世界的な傾向でもあるんだが。
そうした現象と”魔女”の出現、それに”UFP”…
どうだ?なにやら点と線が結びつきそうな気がしてこないか?」
「つまり…日本政府が”UFP”の正体を知っているどころか、それを何らかの方法で利用し始めている、という事でしょうか?」
「ああ、ひょっとしたらな。
もちろんこれは単なる仮説だ。
本当かどうかは、もっと調べにゃいかんだろうが」
「分かりました、こちらでも独自に調査を行ってみます」
「ああ頼む。
国防総省やCIA、それに国家安全保障局の連中は未だに信用が置けんからな」
カッシュナーが執務室から去った後、トラップは誰もいない部屋の虚空に向かって独り言を呟いた。
「日本か…まったく不思議な国だ。
俺が大統領を辞めたら…しばらくあの国に会社を置いて、商売してみても面白いかも知れんな」
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漆黒の空に浮かぶ地球の光で、分厚い耐放射線ガラスで張り巡らされた展望室内は青く照らされていた。
しかしその室内に居座り続ける老人は地球の美しい姿には目もくれずに、今日も部下達を叱責し続けていた。
「全く、何をやっておるのだね!」
「は、はいっ!」
真上に浮かぶ地球よりも青ざめたような表情の部下達を下がらせると、その部屋の主…モラヴェックは、そこでようやく一息吐きながら地球の方を見やった。
「…フン、やれやれだの。
結局は”機関”施設の半分以上が使い物にならなくなる始末じゃし、今後の再建も思うように進まぬとなると、どうしたものか…」
例の”塔”起動による地球上の超古代魔力遺跡への破壊連鎖は、当初のモラヴェック達が想定していた以上のダメージを”機関”にもたらしていた。
何しろ”機関”が利用する極秘施設の大半は、それら魔力遺跡をそのまま利用したものだったからだ。
しかし破壊された遺跡の中には、どうやら”塔”によって自壊プログラムが作動したのではなく、何者かによる”攻撃”らしき痕跡も確認されていた。
ただ施設が破壊された当時は施設職員や兵士達も退避するのが精一杯で、その攻撃してきた何者かの姿については誰も目撃していなかった。
恐らくは、巧妙な隠匿技術を施した兵器によるものだろう。
とは言え、それ以上は一切が不明だった。
モラヴェックや米宇宙軍のレイノルズ大将らは、その正体は例の”魔女”達と同じ出自なのでは無いかとの推測を立てていた。
となると、もしかしたら日本が何らかの関わりを持っているかも知れない。
だが、その勢力や影響力を激減させた”機関”にとっては、しばらくは日本へ直接干渉するどころか調査すらもままならない状況が続く事だろう。
トラップが大統領として帰任した米政府には期待出来なかった。
トラップは帰任直後に行われた日米首脳会談で、今後は日本との関係を一層強化するとの宣言を発していた。
そうなれば普通は日米間地位格差のお陰で強引な要求や政治干渉もしやすくなるはずなのだが、トラップは”機関”の要請をはね返し、日本に対してはあくまでも対等で友好的な経済協力と交流を進めるとモラヴェックに返答していた。
大統領就任直後の”ジャパンバッシング”とは大きく様変わりした態度に、モラヴェック達は苦虫を噛み潰すほか無かった。
「仕方ないな…しばらくは、まだ我々の影響下にある国家安全保障局の連中を使って、水面下での監視を続けるしかあるまい」
しばらく呆けたようにして月面の広漠とした景色を眺めていると、そこへデスクの通信デバイスが電子音を鳴らした。
『議長、至急こちらの中央司令室に来て頂きたいのですが』
ムーア基地司令官の声だった。
「分かった、今から行く」
月面基地『アルファ』の中央司令室にモラヴェックが入ってきた時、司令室内は奇妙な緊張に包まれていた。
「どうした?何があったのだね?」
モラヴェックに向かって、神妙な面持ちのムーア司令官がおずおずと報告した。
「いえ、それが…奇妙な通信が入ってきているのです」
「奇妙な通信だと?一体どこからの通信なのかね?」
「分かりません。
しかしこの通信回線は、我々の研究チームが地球近傍空間においてワープゲートを実験的に生成させた副産物によるものです」
「何だ、さっぱり分からんぞ?もっと具体的に言え」
「は、はい。
つまりですね…我々は当初、地球=月間を恒久的なワープゲートで繋ぎ、ちょうど高速道路のように短時間で移動出来るようにする事を企図していました。
しかし何度目かの実験の後、ようやく生成できたのは人が通れないくらいの細いワームホールでした。
ですが通信用途としてであれば、細いワームホールの中に通信電波を送り込んで地球と月の間をほぼ遅延なしに双方向通信が可能となります。
こうして試験的な通信回線を開設してみたのですが…」
「ふむ、つまりそこから出てきた通信とやらが”奇妙”だったと?」
「そ、その通りです」
「それで一体何がどう”奇妙”なのだ?」
「はい、もちろんこのワームホールに通信回線を開設したのは、我々が初めてのはずですから…当然、中から別の通信波がやって来る事はあり得ないはずです。
事故や妨害工作などの可能性も洗ってみましたが、こちらの”月側”だけでなく、反対側にある”地球側”でもそのような痕跡はありませんでした。
そして”地球側”の受信施設でも同じ通信波を受信しています。
つまり…ワームホール内の”異次元空間”に何らかの”発信源”があるのではないかと推測されるのです」
「分かった。で、その通信内容は?」
「はい…では早速、これを聞いて頂ければと思います…」
ムーアの指示で司令室の通信士官がコンソールを操作すると、スピーカーから男性とも女性ともつかない人の声が聞こえてきた。
『……ブブッ…ブッ…チキュウジンタチ…キコエテイルカ……
…ワレワレハ…ハルカミライカラ…ヤッテキタ…』
「未来!?未来から来たじゃと!?」
モラヴェックは目を剥いて聞き返した。
「相手は間違いなくそう言っているようです…この続きもあります」
『……我々ハ…”実体星間監察事業団”ノ…ハーシェルスキー…トイウ…
…オ前タチ…”機関”ハ…イマ…大変ナ状態ニアル事ヲ知ッテイル…
…ドウダ…我々ト…手ヲ組マナイカ?……』




