純愛の代償
「ほらほら、あの人よ。あの有名な」
「知ってる知ってる、泣かせるわよねぇ」
「もう死ぬかも知れない彼女と高校生の時に結婚したんでしょ」
「そうよ。あの映画、泣けたわねぇ」
「『未来を君に捧ぐ』だったわよね」
「あの後、彼女は3ヶ月の命を2年も伸ばして一緒に卒業したんだよね」
「うん、うん、あの最終回泣いたよねぇ。車椅子を押す彼と、微笑みながら卒業証書を受け取ったシーン」
「全員でスタンディングオベーションしたんだよねぇ」
「それでさ、その後病院に戻ったっらそのまま……」
「うん、うん。思い出したらまた泣けちゃった」
「彼があの映画のモデルの秋川誠なんだぁ」
もういい加減にしてくれ。高校生の純愛だろうが。あれから既に20年も経っているんだぞ。誠は胸の中で毒づいた。
あの映画のあと、彼の人生は散々だった。大学生になった彼は、遊び歩くことも彼女を作ることも許されなかったのだ。
ちょっとコンパなどではしゃいだりしようものなら、未来を捧げた筈なのに、彼女を忘れたのかと、週刊誌にまで叩かれた。秋川誠に近づく女まで、『未来を君に捧ぐ』の熱烈なファンが晒上げをしたから、誠に近づく女もいなくなった。
社会人になったら、こんないかにもなレッテルから解放されるかと思えば逆だった。会社は秋川のネームバリューを徹底的に利用した。
「今度入った新人ですがねぇ。信頼できる男でしてね。なにせあの『未来を君に捧ぐ』のモデルですからなぁ」
「いやぁ。それはそれは。いい新人を取りましたねぇ。羨ましいですなぁ」
秋川は『未来を君に捧ぐ』と常に同じに見られてしまったから、文字通りに秋川の未来は捧げられてしまったのだ。有名人や芸能人なら有名税もしかたないだろう。それなりの見返りもある筈だ。だか秋川はしょせん一般人だ。メリットなぞなにもない。
だが会社の同僚や先輩は秋川が有名だから、仕事で有利になると妬んだ。確かに名前を憶えてもらいやすかったかも知れないが、それぐらいのことで仕事相手が秋川を指名する筈もない。それは秋川に努力の結果だった、
しかしもしも仕事が上手く行かなければ、純愛の秋川だから生真面目すぎるのだろうとデスられ、上手くいけば純愛のおかげだとデスられる。そしてやはり彼女はできなかった。けっこういい線いっていると思った女もいたのだ。
「誠、あなたの純粋なところが素敵だと思うわ」
「なら、今度映画でも一緒にどうかな?」
「いいわねぇ」
「僕らとっても気があうと思うけどな」
「ええ、誠。私もずっとそう思っているわ」
「なぁ、良ければ一緒にならないか。この先も君と人生を歩んでいきたいんだ」
「信じられない!あなたは純愛を貫く人だと思っていたわ。そんなあなたが大好きだったのに! あなたも結局他の男と一緒だったのね。最低!」
彼女が好きなのは、映画の中の秋川誠だったのだ。
結局秋川は『未来を君に捧ぐ』のモデルとしてしか見て貰えない。自分の人生はすでに墓場に入っているようなものだと秋川は人生を諦めていた。
そんな時、あの亡くなった彼女の父親から電話が入った。来て欲しいというのだ。いったい何の用だろう。不思議に思いながら彼女の自宅に行った。
「秋川くん。もう十分だ。君には君の人生があるだろう。もう自分の人生を歩いて欲しい。娘を忘れてやってくれ」
「お父さん。正直に言います。それが出来るならそうしています、でも世間がそんなことは許さないんだ」
秋川の慟哭を聞いた父親は静かにこう言った。
「誠くん。忘れていないのは誠くんじゃないのかい。一番許さないのは誠君自身じゃないのかな」
彼女の父親は、彼女の幻に囚われ続けているのが誠だという。 僕が僕を許さない。そんなことが、あるだろうか。一番苦しんできたのは僕だというのに。そんなバカな話があるものか!だが彼女の父親は今日こそ誠を娘から解放すると決めていた。
「さぁ、誠君。行くよ。車に乗って」
おとうさんが、車の運転席から誠をせかした。車に乗りこみながら誠はどこにいくか尋ねたが父親は、行けばわかると言うばかりであった。どこにいこうと誠が彼女から解放されることなんてある訳ないと言うのに。
「着いたぞ誠くん。ここだ」
彼女の父親に促されて、誠が車から降りるとそこには古ぼけた洋館が佇んでいた。
「封印の館だ。さぁこれをもっていって娘を封印してきなさい」
父親は娘の写真を誠に渡して館に入るように促した。なんでもここからは記憶を封印する人しか入れないらしい。
誠は要領を得ないままに執事についていき、棺と対面することになった。その棺は彼女の葬儀を思い起こさせるものだった。誠は棺のなかに彼女の写真を大切にしまいこんだ。僕はもう自由になっても許されるのかな。そんなことを思いながら。
封印の館の主から渡された鍵は、まるで彼女との記憶を象徴するようなとても美しい鍵でした。
誠はその美しい鍵を受け取ると、丁寧に棺に鍵をかけました。
かたん
そんな少し懐かしいような音が誠の頭に届きます。
「秋川誠さん。あなたは何を封印したのですか」
誠は涙を流していました。
「僕が最も大切にしていたものです」
秋川は自分が空っぽになったような気分でフラフラと外にでました。夕日が山に落ちかかり、ずっと待ってくれていたらしい彼女の父親の姿が、セピア色に染まって懐かしい写真を見ているようでした。
それからの秋川は自分の失ったものをいつも探すようになっていたのです。いつも何かが足りない、何かが満たされない、そんな焦燥感にも似た気持ちを感じていたのでした。
そんなある日、秋川は公園のベンチでひとり静かに本を読む女性に目をとめました。あぁそうか、僕が探していたのは彼女だったんだ!秋川はストンと納得できたのです。そんな秋川を後押しするように、美しい鍵がキラリと光りました。
「指輪物語ですね。ファンタジーはお好きですか?」
いきなり見知らぬ女性に話しかけるなんて軽薄なナンパ野郎みたいだ。自分で話しかけながら誠はすっかり後悔してしまいました。
「あぁ、ごめんなさい。読書の邪魔をしてしまって! 僕の好きな本を熱心に読んでいるのを見て、つい嬉しくて声をかけてしまいました。お邪魔してごめんなさい」
誠が慌ててその場を立ち去ろうとすると、その女性が微笑みました。
「よろしければ、お掛けになりませんか」
優しい声音に引き込まれるように誠がベンチに腰を降ろしたその時、偶然にも空に虹がかかり、秋川と彼女は揃って空を見上げることになりました。
美しい虹の彼方から、クスクス・クスクスといういかにも楽し気な笑い声が聞こえてきました。思わず誠は彼女を振り返って聞いていました。
「今、誰かが笑っているような声が聞こえなかった?」
「ええ、まるで私たちが出会ったことを祝福しているみたいだわ」
そう言って彼女は自分の言葉の意味に気が付いたらしく、真っ赤になって俯いてしまったのだが、まことは楽し気にそんな彼女にこういいました。
「僕もそう思ったんだ。ようやく巡り合えたってね。よろしく、僕は秋川誠って言います。こんな中年オヤジが若いお嬢さんにこんなことを言うなんて、自分でも信じられないんですが、どうやら本気みたいなんだ」
彼女はふんわりと柔らかに笑って楽しそうに誠をみた。
「そんなに子供扱いしないでね。私ももうすぐ二十歳になるの。もう大人よ。それに誠さんは少しも中年なんかには見えないわ」
そんな彼女のおおらかで芯の強さを感じさせる口調を、誠はとても懐かしいと感じていました。