殺人者の哀歌
滉一愛してるわ。あなたは私にものよ。絶対に離さない」
江後滉一は、縋りつく女を胸に抱き寄せながら、うんざりしていた。
いったいこんな女のどこが良かったんだろう? 確かに尽くすタイプではあったが、それは逆に言えば自分では何も決められない女でもあったのだ。
何を聞いても、『滉一さんはどっちが好き』『滉一さんが選んで?』などと言って自分では決めないくせに、苦心して選んだレストランや旅行だって、自分がつまらないと、思いっきり不機嫌になる。とにかく重い女なのだ。
しかしこの女、由木祥子は勘だけはとびきりいいときている。実は昨夜専務に呼ばれて会食に同席した。そこで紹介されたのが娘の井川遥であった。つまるところはお見合いである。
そんなことを知る筈もないのに、途端に祥子の束縛は強くなった。だから滉一は言ったのだ。
「2人の思い出の品を全部持ち寄って、2人の愛を確かめ合おう」と。
祥子は喜々として滉一と関係ある物を全部持ち込んできた。中には密かに記していたらしい日記帳まであったから、滉一は肝を潰した。社内恋愛だから結婚が決まるまでは内緒にしておこうと言ったのに、こんなものを書いていたとは!
滉一は自分はなんと頭が良いのだろうと自画自賛した。それに運もとびきり良い。何といっても 井川専務は社内でもやり手として知られており、47歳で専務に抜擢され次期社長と目されている人物である。
その娘と結婚すると言う事は、出世は確定したも同然だ。だから江後はたとえどんな娘でもこの縁談をうけるつもりでいたのだ。
なのにどうだ!
井川専務の角ばったいかにも鬼瓦みたいな男から、どうやったらこのような楚々とした美人が生まれたのかと思えるような女性が、目の前でにこやかに相槌を打っている。
会話をしていればその人物のひととなりなどは、自然にわかってくるものだが、遥はいい意味でのお嬢さんであった。自分の意思をしっかり持ちながらも聡明で、出しゃばらない。
「いやぁ、井川専務にこんなにも美しくて聡明なお嬢様がいらっしゃったとは」
江後は大げさに驚いてみせたが、言っていることは本音であった。そしてそれを敏感に察したらしい井川は上機嫌になって娘を振り返ると言ったのだ。
「どうだい。この江後という男は私が見込んだ男だ。遥を嫁にやるならこの男しかいないと思うが、遥はどう思うかね」
その井川専務の無茶ぶりともいえる質問に、遥は頬染めて答えたのだ。
「江後さんが、私のようなものをお嫁さんにして下さるって言う訳ないわ」
江後は間髪入れずに井川専務に頭を下げた。
「専務、どうか遥さんとお付き合いさせて下さい。未熟者ですが、これから精進します」
そして遥の瞳を真っすぐに見て言いきった。
「僕の一目惚れです。申訳ありません。好きになってしまいました。どうか僕とお付き合いしてください」
遥は目をまんまるにして頷くと、小さく「はい」と返事をしたし、井川専務は江後の肩をバンバンとたたきながら、「ようし、決まった! 遥を頼むぞ!」と言ったのだ。
しかし遥と井川専務を車迄見送った時、井川専務は江後の耳にだけ聞こえるように、「女は整理しておけ!」とささやいた。
江後は背筋がゾッとしたのを感じた。井川専務は全部知っている。下手をうてば出世どころか、会社にもいられなくなるだろう。だから江後はこうして由木祥子を呼び出したのだ。
「祥子、ちょっとコーヒーを入れてくれ。喉がかわいた」
江後がそう言えば、祥子はすんなりと台所に入ってきたが、床に敷かれたビニールシートを見て眉をひそめた。
「どうしたの?リホームでもするの」
祥子は最後まで言い切ることができなかった。江後が祥子の首をひもで締めあげたからだ。祥子はくるしさのあまりに首をひっかいたが、その爪は江後に届くことはなかた。慎重に後ろから一気に首を締めあげたからだ。
江後はすぐさま、祥子を床に敷いていたビニールシートで祥子をぐるぐる巻きにすると、それをキャリーバッグに詰め込んでから、着ていた服や手袋まで押し込んだ。祥子が持ち込んだ思い出の品々や、あの忌々しい日記も当然のようにバッグに押し込んでしまった。
そうして江後滉一は封印の館を目指して車を走らせた。
封印の館の主が、棺に思いでを詰め込めと言った時には、江後は笑い出しそうになるのを抑えるのに苦労をした。死体に棺とは、まるで冗談みたいではないか。
江後はビニールシートに包んだまま由木祥子の死体を棺に入れると、自分の衣類や手袋、紐などの凶器や証拠となりそうなものを全てつめこんだ。最後に日記を押し込んだ時には、少しは祥子が哀れだった。大人しく別れてさえいれば、なにも命を落とすことはなかったのだから。
やがて封印の館の主が戻った時には、すでに棺の蓋は閉められていた。主は江後に鍵を渡すと、それで棺に鍵をかけるように言った。
カチリ
妙に甲高い音が江後の頭の中に響き渡った。
「江後滉一さん、あなたは何を忘れたのですか」
その質問に江後はこう答えた。
「自分には不要なものです」
そう言うと江後は、さっさと封印の館を後にしたのだった。
あれから3ヶ月、江後の会社では由木祥子という名前の女性社員が行方不明になっていた。由木と連絡が付かなくなった会社は、その保証人である両親と相談し失踪届けを出しているが、由木祥子はいまだに行方不明のままであった。
さらに1ヶ月が経ち、江後滉一と井川遥は結婚した。
結婚して初めてわかったのは井川遥という女性には、男友達が大勢いたということだった。遥は学生時代から遊び人として知られているうえに、ひとりの男と長く続かない。
すぐに飽きてしまうのだ。それを危惧した井川専務が江後に白羽の矢をたてたのだった。江後が選ばれたのはひとえに係累が少ないためである。
確かに遥には、親戚付き合いというような面倒ごとはきっと無理であったろう。結婚して半年もするとすでに夫婦の仲は冷え切ったものになっていた。
そして久しぶりに日曜日に滉一が家にいると、珍しく遥が甘えてきた。部屋の模様替えにペンキを塗りたいというのである。滉一は床が汚れないようにブルーシートを敷き詰めたが、その時何かが気になってしまった。滉一が気になったのは、キーホルダーに入れている1本の鍵である。
どこの鍵かはわからないのに、滉一はその鍵を常に持ち歩いていたのだ。
「やあね、何を見ているのよ」遥はそう言いながら、冷たい麦茶を滉一に手渡した。
「あぁ。ありがとう」滉一はごくごくと麦茶を飲み下したが、急に苦しみ始めた。
「滉一くん。ちゃんと薬効いた?。ごめんねぇ。遥ちょっと滉一くんに飽きちゃったんだぁ」
遥はただお気に入りだったおもちゃに飽いてしまっただけなのだ。だから処分するという単純な理屈であった。幸いにうるさく騒ぎそうな係累もいなかったから面倒なことにはならないだろう。
それからしばらくして遥の姿は封印の館にあった。
遥は棺を見ると、気が利いているわねといいながら、滉一をほうりこみバタンと棺の蓋を閉めてしまった。
扉がすぐに締められたことに気が付いて現れた封印の館の主が、鍵を遥に手渡すと遥はめんどくさそうに鍵を閉めた。
かちんというそのささやかな音を遥は気にもとめなかった。
「井川遥さま。あなたはどんな思い出を消したのですか」
主の質問に遥はこう答えた。
「知らない。多分つまらないものよ」
そう言い捨てて遥は、封印の館を後にした。
「おやおや。次に棺に入るのは、あのお嬢様になるのかもしれませんねぇ」
封印の館の主はそう呟いたが、だからと言ってそれを気にするそぶりはない。
封印の館は、ただ封印したい記憶を忘却の彼方に送り出すだけの場所なのだから。