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出会い 01

 アスファリアの街を南北に分断する大通り(メインストリート)。その中央にある大広場は、建国者ラドルファス一世の孫であり、先住民との和睦に力を尽くした尊厳王イドリスの名にちなんでイドリス広場(スクエア)と呼ばれている。


 そのイドリス広場から北にまっすぐ走る道を進めば、それほど長い時間を歩くまでもなく、その建物は目に入ってくる。建国以来、代々のアスファリア王家が住まう白亜の宮殿、アスファリア王宮である。


 天に突き刺さるかのような尖塔が多く配置されたその建物は、昔から外観の美しさが評判であった。内観もそれに負けず優美である。

 アーチ状にくりぬかれた窓から差し込む光が回廊を明るく照らす。床のタイルはほとんど黒に近い紺と白で、二色が交互に組まれるように配置されていた。


 まるで異世界のようなその場所を、クラネス・ロヴェルは慣れた足取りで進んでいた。

 東にある蔵書館を出て、クラネスは王宮の外へと向かう。

 さっき家を出て、王宮にやってきたばかりだというのに、早々に帰宅するように伝えがきた。不可思議に思いながらも、クラネスは言われたとおりに家へ戻る。


 屋敷に到着したとき、使用人たちがクラネスの姿に気がついて顔を青くした。


「クラネス様! また、そのように徒歩でお戻りになって!」

「ミハエル様は、馬車をお送りになったのでは?」


 父が寄越(よこ)した馬車には乗らなかった。もとより馬車に乗るような距離ではないし、馬車に揺られるより、クラネスは歩いて風を感じるほうが好きだった。秋になり、空が高くなって、この時期のアスファリアは、気持ちの良い風が吹く。


「歩きたかったから、良いのよ。それよりお父様はどちら?」

「お部屋にいらっしゃいます。クラネス様をお待ちです」

「ありがとう」


 本当に、何の用事だろう。見当もつかずにクラネスは、回廊を進み、到着した父の部屋の前で、その扉をノックした。


「入りなさい」

「お待たせしてごめんなさい、お父様」


 部屋に入ると、ミハエルは執務机で両の指を組んでいた。

 父の側には、弟のニコラスが立っていた。クラネスはその姿に、驚きをあらわにする。


「ニ――」


 言いかけて、あわてて口をつぐむと、言葉を直した。


「……助祭様、どうしてここにいらっしゃるのですか?」


 ニコラスは、クラネスより一歳年下の実弟である。

 しかし既に二人の関係は、権力と責任において、対等であるといえない。ニコラスは昨年の秋に成人した後、アスファリア大聖堂の助祭に任命された。

 アスファリアの成人は、十八歳である。十八歳を迎え、春がくれば王立の学校を卒業し、彼らは社会へと巣立つ。


 ニコラスはかねてより望んでいた神職に就き、今では家を出てアスファリア大聖堂で生活をしている。

 ニコラスが助祭になって、間もなく一年が経とうとしている。もうすぐ十九歳の誕生日だ。そのことで、何か話でもあるのだろうか。


 そういえば、しばらく見ない間に、弟はまた大きくなってしまったのではないだろうか。一瞬クラネスはそんなことを思った。この一年ほどで、二人の身長の差が随分ひらいてしまった。

 その中性的な容貌のせいもあって、ニコラスはかつて、しばしば女性に間違えられた。

 ニコラスは美しかった。クラネスが嫉妬を覚えるくらいには。しかし、これだけ背が伸びれば、男性としては平均的な高さとはいえ、もう女性と間違えられることも(ほとん)どなくなるだろう。


「ニコラスでいいよ。敬語も必要ない」


 ニコラスが小さく首を振ると、クラネスと同じ、月光のように淡く輝く金色の髪が、さらりと揺れる。


「でも……」

「僕は、弟としてここに来たんだ」


 ニコラスのまっすぐな眼差しに、クラネスは驚く。

 やはりクラネスと同じ、その琥珀色の瞳の奥には、はっきりとこちらを心配する様子が見てとれた。


「……一体、何? 私のことなの?」


 クラネスが怪訝に眉を寄せるのと、ミハエルが口を開くのは同時であった。


「お前に、縁談が」


 クラネスはその言葉が理解できなくて、一瞬沈黙する。

 ややして言葉の意味を悟り、ゆっくりと目を見開いていた。


「え、んだん……?」


 思わず間の抜けた声を出してしまう。それくらいには、ミハエルの言葉は衝撃であった。


「春になればお前も二十になる。そろそろ結婚をしても、おかしくはない。お前のお母さんも、ちょうど今のお前と同じ年頃に、私と一緒になっていた」


 クラネスとニコラスが幼い頃に、母は他界していた。ニコラスが生まれた直後、もともと体が丈夫でなかったせいもあって、病気で亡くなったと聞いている。

 以来父は再婚もせず、自分の時間を殆どクラネスとニコラスの為に使い、二人を大切に育ててくれた。

 本当に感謝している。だから父の言うことならば、何でも聞く。クラネスはそう思ってきた。今の今までは。


「……ちょっと待って。聞いていないわ。いきなり結婚なんて、嫌よ!」

「姉さん、落ち着いて」


 顔を歪めて激しく首を振ったクラネスに、ニコラスがたしなめるように言う。


「落ち着いていられるわけがないじゃない。ニコラスは知っていたの?」


 声を荒げるクラネスに、ニコラスは静かに首を横に振った。


「先方から話があったのが、つい今朝のことだ。父さんはそれからすぐに、姉さんと僕をここに呼び戻した。たまたま僕の方が早く着いただけで、僕だって今聞いたばかりだ」

「クラネス」


 ミハエルの落ち着いた声が響いた。クラネスは仕方がなく、感情を押さえようとつとめて視線を返す。


「話は貰ったが、まだ返事はしていない。お前の意見を聞いてからと思ったからね。ただあちらも、長くは待ってはくれないだろう。正直なところ、お前にとって、これ以上の縁談はないと思っている。お前に、既に心に決めた相手がいるというのなら、別だが」


 クラネスは言葉に詰まる。心を決めた相手など、いない。

 仕方がなく、クラネスは嫌々ながらも尋ねた。


「お相手は、どなたなの」

「ラングハート家のご子息だ」


 ミハエルの言葉に、クラネスは目を見開いた。


 ラングハート家。確かにこのアスファリアで、それ以上の縁談などないだろう。アスファリアの宰相や騎士長を何人も輩出する、名家だ。

 とはいえ我がロヴェル家も、アスファリアではそれなりに歴史のある家ではある。当主であるミハエルは現在、アスファリアの大法官を務めている。

 両家はこれまで姻戚関係になったことはなかったが、婚約の話が持ち上がっても、なんら不思議はない。

 しかしクラネスが驚くには、理由があった。


「……ラングハート家ってまさか、ユアン・ラングハート?」


 彼のことなら良く知っている。直接話したことはなかったが。

 ニコラスと同年齢で、王立の学校に通っているときから、学年の違うクラネスにも噂が耳に届くくらい、有名な人物だった。

 今は騎士団に入団していて、こちらでもやはり、彼は有名人だ。

 クラネスの驚きと不安をよそに、ミハエルは首を横に振った。


「いや、お前と年が近いので、私もはじめは彼かと思ったが。あちらからお話があったのは、グレンの方だ」


 父の言葉に、ニコラスが情報を付け加えてくれる。


「宰相のご長男で、騎士団の第二師団長をなさっている方だよ」


 その名前を聞いて、クラネスは一瞬沈黙した。

 グレン・ラングハート。その姿を頭に思い浮かべようとする。ユアンの姿を頭から消して。

 すぐには思いつかなかった。はっきりいって、クラネスにとっては遠い存在であった。

 けれど、まったく知らないというわけではない。ユアンとは違う意味で、グレンもまた有名人であった。クラネスは、女性たちが羨望と畏怖を込めて彼につけた二つ名を思いだす。黒い貴公子(ブラック・プリンス)


「……無理だわ」


 クラネスは呆然と呟いていた。

 自分の言葉が耳に届いて、クラネスは意識を取り戻したように、強く首を横に振る。


「無理よ。あの方と結婚なんて、無理」

「何故だ?」


 あくまで冷静なミハエル。クラネスは助けを求めるようにニコラスを見る。

 ニコラスはグレンのことを、クラネスよりもよほど良く知っているはずである。アスファリア大聖堂は、騎士団本部と隣接している。


「知っているでしょう? なにもかもが完璧な方よ。あの方の妻なんて、無理よ。私に務まるはずがないわ」


 しかしニコラスの返答は、クラネスが望むものとは百八十度違っていた。


「もちろん知っているよ。でも姉さん、務まるはずがないなんて、そんな風に決めつけてしまうのは良くない。ふさわしい女性となるように、姉さんも努力すれば良いことだ」


 助けを求める相手を失敗した。クラネスは思わず顔をしかめる。

 そういえばここにも完璧な人間がいた。ニコラスは昔から優等生で、何でもできる。加えて努力を惜しまず、それを苦にも思わない。ニコラスが何かに対して根を上げたことを、クラネスはこれまで一度たりとも見たことがない。

 だから嫌なのだ。一緒にいると、自分が無価値な人間に思えてしまう。


「私はニコラスと違って普通なの。努力にも限界があるわ。無理よ。きっとあの方も、私のような普通な人間にはがっかりするわ」


 クラネスの固辞に、ミハエルがひとつ息をついた。


「クラネス。お前は昔からどうしてそう自己評価が低いんだ」

「……だって」

「普通に、まっすぐ真面目に生きている。それは十分に特別なことだ。お前は私にとって、自慢の娘だよ」

「お父様……」

「お前がどうしても嫌なら、無理強いはしない。ただ、グレンと面識はないのだろう? 断るのは、相手のことを良く知ってからでも遅くはない。そうは思わないか?」


 穏やかに諭されて、クラネスはもう反論することなどできそうになかった。確かに、ミハエルの言うとおりだった。


「……わかったわ。でも、本当に無理だと思ったら、お断りしてもいい?」

「もちろんだ。そのときには、私の方からきちんと話そう」


 クラネスの言葉に頷いて、父はゆっくりと立ちあがる。


「もう一度、あちらと話をしてこよう。ニコラス、姉さんを王宮まで送ってやってくれ。話はまた夜、戻ってきたときに」


 その言葉を最後に、父は部屋を出た。

 降って湧いたような縁談。夢のようだと喜ぶよりも、自分には荷が重いと感じてしまった。

 クラネスは目を閉じて、大きく息をついた。

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