遠足はおやすみ
俺はぼんやりと目を開けた。
何か頭の下に柔らかいものがあるが、何だろう。妙に寝心地の良い枕だ。むにむにしている。
「気がついたのなら、起きてくれないかしら。重いわ」
その声に俺は飛び上がる。今日は心臓に負担をかけ過ぎだ。そのうち麻痺を起しそうで怖い。
猫田ノエルがからかうように目を細めて、ベンチに座っている。
状況を分析すると、俺は今まで猫田さんの太ももを枕に眠っていたようである。
「あ……すみません」
反射的に俺は謝っていた。恐れ多いことをしてしまった。照れや恥ずかしさより先に、申し訳なさがこみあげてくる。
「別に構わないわ。かわいい寝顔だったわよ」
「……うわぁ」
一気に目が覚めた。俺はベンチから立ち上がり、慌てて彼女から目をそらした。
この間抜け顔をこれ以上晒したくない。
しかし俺のまなこはまだ夢を見ているのでは、と疑いたくなる光景を映してしまった。
日海学園の生徒や教員が、芝生の上で気持ちよく寝ている。
起きているのは俺と猫田さんだけだ。
これは、もしかして。いや、まさか……。
夜井さんのお話が脳裏によぎる。
「私、疲れてたの。遠足なんて、紫外線に肌を晒しながら意味もなく歩き回るだけの苦行だわ。だけど実行委員だし、クラス委員だし、休むわけにはいかなくて……」
猫田さんは重いため息をついた。
「我慢の限界だったの。だからよろり先生に頼んでみんなを眠らせて、私も休憩していたのよ。ごめんなさい、と言うべきなのでしょうね」
彼女は挑むような視線で俺を射抜く。
俺は言葉もない。
「ねえ、パンダくん。あなた、誠一くんに会ったんでしょ? もうさすがに察しはついたわね?」
とぼけたい。
お笑い芸人も真っ青のおとぼけを披露して気づかなかったことにできたらどれだけいいだろう。
「これは夢なんかじゃない。よろりは夢を司る悪魔で、私は魔女よ。驚いた?」
「……ああ」
俺はひざから崩れ落ちた。
今のこの感情をなんて言い表すべきなのか分からないが、とりあえず一言。
「マジっすか」
雲間から差す太陽光に俺は目眩を覚えて、俯く。
答え合わせ。
全部現実でした。
「ふうむ。正しい姿勢だな、パンダよ」
半ば猫田さんに土下座するような格好をしていた俺の頭上から、いきなりよろりの声が降ってきた。さっきまで姿が見えなかったのに、いつの間に現れたのだろう。
黒い服を着て黒ぶち眼鏡をかけた、いつものよろりだ。
「して、我が主、こいつの処分はどうする? 正体を知られたからにはこのまま生かしておけないぞ」
「そうねえ……」
「え!? いきなり命の危機!?」
よろりと猫田さんが黒い笑顔で俺を見る。蛇に睨まれたアマガエルの気持ちがよく分かる。こういうときは動いたら負けだ。動かなければ蛇も攻撃してこない。
「あなたの催眠に唯一抵抗した人間だもの。ただ者ではないわよね」
「むむ。確かにこいつ、普通の人間ではないが……何かの光に守られているようで、我輩の魔力が届かない。全くもって生意気な奴だ」
滅相もない。俺は普通の高校生です。何の力もございません。
「もしかしてパンダくんが乗り物酔いになったのは、私のせいかしら?」
「ふむ。その可能性もあるな。我が主ときたら、不機嫌になるとすぐに魔力を垂れ流すからな」
バスの中の淀んだ気は猫田さんの仕業か!
俺の無言の非難に気づき、猫田さんは酷薄な笑みを浮かべる。
「私、彼に興味がある。殺すのはもったいないわ。このまま観察しましょう。それに……」
「それに?」
「事情を全部知っている人間をからかうのは最高に楽しいわ。ね?」
「なるほど、それは面白そうだ。さすが我が主!」
不気味に笑いだす二人。完璧なる愉快犯、危険人物だ。
「ねえ、パンダくん。楽しい高校生活になりそうね?」
猫田さんの甘い囁きに、俺は抵抗する術もなく項垂れた。