教室はZOO
俺たち特別Aクラスの教室は、異様な興奮に満ちていた。
入学式を終えて教室に来れば誰だってそわそわと落ち着かないが、普通ではないクラスに配属されたことがより一層テンションを高めていた。
「忠弥ったら、アホクラスだなんて失礼なことを……」
「くっ」
響子ちゃんが勝ち誇った笑みを浮かべる。
特別Aクラス。
それは少なくともアホなクラスというわけではないらしい。
何故なら入学式の花形、新入生代表を務めてしまうような生徒が同じクラスだからである。
「きみたち、仲が良いのね」
件の新入生代表は、妖艶な瞳で俺たちに微笑んだ。艶のある長い黒髪をツインテールにして赤いリボンで結っている。シルエットだけを見れば幼いが、切れ長の目や艶っぽい唇は同い年とは思えないほど大人びている。
彼女の名前は猫田ノエル。とびきり知的な美人だ。
「よろしく」
猫田さんは俺の隣の席に腰かけた。出席番号順バンザイ。
「ふうん。変わった組み合わせね」
俺たちが自己紹介をすると、猫田さんはそんな意味深な言葉を口にし、唇に指を当てて目を細めた。仕草もいちいち色っぽい。
それにしても、と俺はパンフレットの隙間から掲示板の前で会った少女を覗き見る。
あの女の子といい、この猫田さんといい、このクラスの男子は幸運だ。おそらく学年で一、二を争う美少女ではなかろうか。
他にも可愛い子がちらほらと。ずいぶんレベルが高い。
素直に嬉しい、嬉しいんだけど……。
何だろう、嫌な予感がしてきた。目の奥が痛い。
第六感と言ったら笑われるかもしれないが、俺は昔から危険を察知し、回避するのが得意だった。
幼稚園で集団食中毒が起こったときは、一人だけ皿を落としてそのままにしていたおかげで免れたし、小学校の修学旅行でもトイレに行っている間に班のメンバーが不良にカツアゲされていた。極めつけ、中学の野球部では練習でも試合でも一度もレッドボールを食らったことがない。
嫌な予感がするときは決まって、目の奥がジンジンする。まるで誰かが警告してくれているみたいだ。
でも「目が疼く……」なんて言ったら、イタイ子扱いされるので誰にも話したことはないけど。
とにかく、逃げられるときは逃げるが、今回はそうもいかない。
きっと気のせいだ、と俺は自分を励ます。
このクラスの興奮に呑まれているのだ。
高校生活に夢を見すぎているのかもしれない。
「先生、遅い……」
「なんて名前だっけ」
「夜井先生だよ」
他のクラスはとっくにホームルームを始めているというのに、このクラスには未だに担任の教師が現れていなかった。入学式の際、名前が紹介されただけでまだどんな人物なのかは分からない。それがまた、不安をかきたてる。
俺の悪寒が最高潮に達したとき、足音が廊下に響いた。
かつ、かつ、と悠長な足取り。
教師の登場を察してみんな席に着く。忠弥と響子ちゃんも離れていった。
足音が止まり、ひどく長く感じる一瞬の間を経て、勢いよく扉がスライドした。
「諸君、入学おめでとう」
俺はその人物の姿をとらえたとき全身が震え上がった。
顔は普通。むしろ端正な部類かもしれない。年はおそらく三十歳手前で、体つきも良くてスマートだ。だけどそいつは絶対にまともではない。
自己矛盾しているが、その教師は「黒い白衣」なるものを羽織っていた。医者や理科の教師が着る白衣の黒いバージョンだからそうとしか言いようがない。その下に着ているシャツもズボンも黒で、ついでに黒ぶち眼鏡をかけていた。上から下まで真黒だ。
俺はいつの間にか冷や汗をかいていた。
やばい。この男はやばすぎる。
経験したこともない危機感に、今すぐこの教室から逃げ出したくなる。それほど現れた教師は強烈なインパクトと抗いがたい威圧感を放っていた。
そいつはにやりと唇を歪めると、嬉々とした様子で黒板に殴り書きをした。
「よ、ろ、り……?」
おそらく夜井をひらがなで書いたのだと思われるが、悪筆すぎて「よろり」としか読めない。幼稚園児でも自分の名前くらい読める字で書くというのに。
わざとらしく咳払いをして、そいつは教卓を力強く叩いた。大きな音にみんながびくつく。
「えー、今日から我輩がお前たちの担任だ。崇め奉り、絶対に逆らうな」
みんなリアクションに困っている。俺もだ。
教室中が訝しげにその教師を見る。
「シクヨロ!」
いきなりの全開の笑顔(ウインク付)に、みんなは計ったように机を三センチ後ろに下げた。心も体もドンびきである。
ようやくみんなも自らが置かれているヤバい状況に気づいた。
これから何か悪いことが起こる。できれば聞きたくないことを、奴は口にする。
「ごほん、我輩の機嫌を損ねぬ方がいい。我輩がいなければお前たちの大半はこの学校に入学すらできなかったし、卒業もできないぞ。なあに、言うことを聞いていれば悪いようにはしない。仲良くしていこうではないか」
どよめき。
そいつは「シャラップ」と再び教卓を叩いた。
「もう気づいているな? ここは特進クラスというわけではない。我輩の趣味で編成したクラスだ。このクラスを作るためだけに、お前たちは入学を許され、ここにいる」
「どういうことだよ。あんた何言ってんの? さっぱり分からねえ」
そう言ったのは忠弥だった。そいつに突っかかるのはよせ、ともし席が近かったら無理矢理でも口を塞いだのだが、いかんせんもう遅い。
「ちゅーちゅーうるさいネズミだな」
「ね、ネズミっ?」
教師は底意地の悪い笑顔でプリントを取り出し、おもむろに配り始めた。
一見してそれは座席表のようだった。手元に回ってきたそれをよく見た途端、頬が引きつった。
「これで分かったな?」
分かってたまるか。
座席表には名前の横にそれぞれ動物のイラストが添えられていた。
まるで動物園の案内図だ。
「ここは名前に動物が入っているものを集めた、その名もズバリ、アニマルクラスだ!」
教師の高らかな宣言に、俺達は悲鳴で答えた。
特別Aクラス。そのAがAnimalのA……。
そんなバカな。
冗談に違いないと思い、俺は座席表に見入った。
猫田さんには猫の絵。響子ちゃんには鳥の絵、おそらくウグイスだろう。これは分かりやすい。
忠弥の横にはネズミが描かれている。その下に「鳴き声がちゅーだから」というコメント付き。
かなり悪質なこじつけだ。
……ちなみに俺、「伴田茶竹」の横にはパンダの絵が。
ひどい。ひどすぎる。泣いていいですか。
そんな感じに全員の名前に当てはまる動物を理解した俺は、どうやらこいつは冗談ではないらしいと戦慄した。
「ど、どういうことですかっ?」
「何考えてるんだ!」
「信じられないっ!」
俺は心の底からクラスメイトに共感した。
名前に動物が入っているからというそれだけの理由で、俺たちはここにいるのか。
何故だ。どうしてこんなことになってしまったのだ。
「落ち着け。説明しようじゃないか」
その言葉に渋々という感じで非難の声が止んだ。
「我輩はな、動物が大好きだ。時に厳しく自然の脅威を教え、時に愛らしく我々の心を癒してくれる存在。我輩は思った。毎日動物に囲まれて生きていきたい。しかし、我輩はしがない高校教師だ。授業をせねば金がもらえないし生活できない。そこで考えついたのだ。ならばもういっそ、生徒を動物に見立ててしまおうと」
「何でだよっ!」
忠弥が全力で突っ込みたくなるのも無理はない。
無茶苦茶だ。
何一つ理解できない。
「幸い我輩の祖父はこの学園の理事長で、孫の中で一番できの良い我輩を溺愛している。その上ノリも抜群に良い。これはもう作るしかないだろう、アニマルクラス。というわけで、作ってみました」
おい、大人たち。こいつが理事長の孫だからって、どうしてこんな非常識なマネを許すのだ。
「よろり先生、質問があります」
手を挙げたのは、あの掲示板の前で会った少女だ。俺はすかさず名前を確認する。
小熊風鈴。クマのイラスト付き。
「何だね、熊ちゃん」
彼女は若干怯んだが、勇敢にも口を開いた。
「わ、わたしの友達の熊谷さんもこの学園に入学しています。どうしてわたしの方がアニマルクラスなんですか?」
その質問の答えは知らぬが仏だと俺は直感した。
案の定、
「熊ちゃんの方がその娘よりもおバカさんだからだ!」
と遠慮のない宣告。
小熊さんはショックを受けてわぁんと机に突っ伏した。
「さすがに頭の固い教頭どもが学力の高い生徒をこのクラスに入れることは許してくれなかったからな。お前たちのほとんどが、実際は不合格者なのだ。我輩に感謝するがいい」
フハハハハハ、と悪魔の大王のように良い声で笑う人間を俺は初めて見た。
「それにしても、よろり先生か。なかなか前衛的でよろしい。よし皆の者、今日から我輩のことはよろり先生と呼ぶように!」
なんてことだ。
これでは忠弥の言った特別アホクラスというのも、あながち間違いではない。
ここにいる者は本来ならば不合格なのに、よろりの下らない趣味によって合格になり、ぬか喜びしたところを落とし穴に蹴落とされた口だ。
……ん? でもちょっと待てよ。このクラスには彼女がいるではないか。
「ちなみにな、猫田ノエルは入試の際最高得点をとった。しかし、彼女は私の崇高なる理念に共感してくれ、自らこのクラスに入ってくれたのだ。そうでなければクラスの平均点が目も当てられない代物になってしまうからな。したがってお前たちと彼女は月とスッポンのつま先ほどの差があるわけだ。私の次に、彼女を敬うが良い」
俺が隣の猫田さんに「嘘だろ」という視線を向けると、彼女は優雅に微笑んだ。
「面白そうだったから、ついね」
確かに彼女は俺たちとは精神構造から違うらしい。この状況でこの余裕。
超クールだった。
未だに事態が把握できずにきょろきょろしている者、衝撃の事実に打ちひしがれる者、どういう顔をすればいいのか複雑な表情を浮かべる者……何にせよ、動揺していないのは猫田さんだけのようだ。
彼女は始めから全て承知だった。どうりで俺と忠弥と響子ちゃんを見て「変わった組み合わせ」などと口走ったわけだ。パンダとネズミとウスイスが一緒にいるのだから。
「三年間、せいぜい私を楽しませるがよい」
よろりの言葉に背筋がぞっと寒くなった。
俺は気を取り直して穏やかな笑みを浮かべた。
……素敵な高校生活は諦めよう。
どう考えても、どう楽観的に構えても、この展開はまともではない。ということはこれからもまともなことは起こりえない。
教室中がため息で満たされた。みんな同じ気持ちなのだろう。
こうして仮想動物たちの受難の学園生活が幕を切った。