恋は炎天下
八月三十一日。
夏休み最後の日、俺は小熊さんをデートに誘った。
勉強はしない。ただ一緒に遊ぼう、と。
断られるのも覚悟していたのだが、小熊さんは二つ返事でOKをくれた。
当日朝九時、バス乗り場で待ち合わせ、市内の動物園に向かう。
アニマルクラスなんてふざけたものに所属しているので、俺としては動物園に行くのは避けたかったが、小熊さんたってのご希望なので仕方ない。
小熊さんは淡い水色のワンピースを着ていた。カジュアルさはなく、ふわりとした女の子らしいデザインだ。とてもよく似合う。深窓のご令嬢みたいだ。
デートを意識してくれたのだろうか。
いつもかわいいのに今日はさらにかわいいので、俺は彼女を直視できなかった。
夏休み最終日とだけあって、動物園は比較的空いている気がした。
炎天下、アスファルトを跳ねながら俺たちは園内を回る。熱線で攻撃してくる太陽を憎むこともなく、俺と小熊さんは楽しく過ごした。
「この動物園、パンダさんいないんだね。残念」
「あはは、でも熊はいるみたいだ」
「ここの熊さん怖いんだよ。すっごく大きくてね、いつもガラスのそばに陣取ってるから大迫力」
「そうなんだ。詳しいね」
「あ! あっち! ライオンさん見たい!」
「わ、ちょっと待って」
小熊さんは大はしゃぎで俺の手を引っ張った。
「……あれ? 小熊さん、もしかして」
浮かれていた俺がそのことに気づいたのは奇跡に近い。
小熊さんの手の平から伝わる熱が異常に高かった。そういえば頬も赤く、目が潤んでいる。
「大丈夫? 具合悪いんじゃ」
「えー、大丈夫だよ。今日が楽しみでね、ちょっとテンションが上がってるだけ」
えへへ、と小熊さんは笑う。
俺は心配になって昼休憩することを提案した。お昼には少し早いけど、無理は禁物だ。熱中症かもしれない。
木陰のベンチで待っていてもらい、俺は飲み物を買いに行った。弁当はなんと、小熊さんが作って持ってきてくれたのだ。それで早起きして無理をしたんじゃないかと俺は気が気ではない。
ふと空を見上げると、朝は雲一つなかった空に積乱雲が発生していた。もしかしたら一雨来るかもしれない。
「はい、小熊さん。オレンジジュース」
「ありがとう、パンダくん。お弁当たくさん食べてねー」
色とりどりのサンドイッチはどれも美味しかった。だし巻き卵やから揚げもあって、女の子らしい盛り付けで目も楽しい。
「すごく美味しいよ」
「ありがとうー。お姉ちゃんに手伝ってもらったから威張れないんだけどね」
恥ずかしそうに俯く小熊さん。
やはりおかしい。小熊さんは一切れ摘まんだだけで手を止め、あとはにこにこと俺の食事を眺めていた。普段なら俺よりたくさん食べるのに。
やっぱり具合が悪いんだ。俺はそう結論付けた。
「ごめんね、小熊さん。無理させちゃって。お昼食べたら帰ろう」
「え? 本当に大丈夫だよ。せっかく来たのに」
「明日から学校だ。これ以上体調悪くしたらダメだよ」
「うー……もうちょっとだけ」
「一雨きそうだから今のうちに帰ろう。動物園にはまた来ればいいよ」
小熊さんは「でも」「だけど」と呟いたが、結局はしゅんと項垂れて頷いた。
「絶対、絶対、また来ようね」
「うん。約束だ」
俺たちは正午を少し過ぎた頃、動物園を出た。
閑散とした乗り場で帰りのバスを待つ間、小熊さんは無言だった。心底がっかりしているようだ。
俺もがっかりしていた。
本当なら今日告白しようと思い、気合を入れてきたからだ。
でも彼女の体調の方がずっと大事だ。
またいくらでもチャンスはある。そう思っていた。
ぽつり、と落ちてきた水滴が地面の色を変えた。
雨が降ってきた。それも結構な大粒の雨だ。
俺たちのいるところには屋根があるから濡れる心配はない。それに俺は夏の通り雨も好きだ。
一瞬で景色が塗り変わっていく。色彩鮮やかな夏が、しみじみとした灰色の世界へ。
「ひっ」
大きな雨粒を見て小熊さんは息を飲み、ぶるぶると震えだした。
「どうしたの?」
「う、ううん。なんでもない……濡れたらヤだなーって思って」
俺は首を傾げる。
球技大会のときは雨の中でも元気よくドッジボールしていたと思ったけど。まぁ、私服が濡れるのは誰だって嫌か。
「あ、もしかして寒い?」
小熊さんはこくりと頷き、ぴたりと俺に体を寄せてきた。
シャンプーの匂い、柔らかい感触、熱っぽい体……五感から得た膨大な情報に俺の意識は遠のく。
いやいや、しっかりしろ。
「こ、小熊さん!? どうしたの?」
「ずっと思ってたけど、別の呼び方がいいな。熊ちゃんとか、風ちゃんとか」
「え?」
「ダメ?」
上目づかいでお願いされ、俺の体温も爆発的に上昇した。
きっと彼女は熱のせいでおかしくなってしまったのだ。
でなければこんな状況あり得ない。
「ねぇ、呼んでみて」
「く、熊ちゃん……?」
「ありがとう、嬉しいよ!」
ぎゅうっと抱きつかれ、俺は眩暈を覚えた。
「パンダくんは…………わたしのこと、どう思ってる? ……好き?」
透明感のある彼女の瞳に、俺の視線は吸い込まれていく
潤んだその瞳の中に、俺は炎を見た。
恋に燃える炎、なんて可愛らしいものじゃない。
踊るように明滅する妖しい炎。どこかで見た気がする。
「うっ」
目の奥がズキズキと疼いた。ゼロから百までいっきにメーターが振り切れたように、眠っていたものが飛び起きたように、突然の痛みだった。
今まで嫌な予感がするとき必ず起こっていた体の変化だが、ここまで激しく極端に感じたことはなかった。
何が起こってるんだ?
「わたし、わたしはね、パンダくんのこと……とても」
頭を働かせようとする俺を、甘い声が邪魔した。彼女は俺が望んだ言葉を紡ごうとしている。その期待で頭の中が真っ白になった。
「そこまでよ、鬼火!」
ばしゃあ、っと俺は横からぶん殴られるように水を被った。
みると、黒いカッパを着た人物がバケツを片手に立っている。
よろりではない。
猫田さんだ。
「彼から離れなさい」
殺気混じりの視線が俺を貫き、背後の小熊さんに向かう。
水が飛んできたとき、小熊さんは一瞬で俺の背に隠れて難を逃れていたのだ。
「え? え? 何? どういうこと?」
前髪からこぼれてくるの水を拭い、俺は情けないほど狼狽えた。
「助けて、パンダくん。猫ちゃん怖い!」
小熊さんが必死の形相で、俺の背に枝垂れかかってきた。
猫田さんと小熊さん。
どうしてこの二人が敵対しているんだ?
誰でもいい、この状況について解説してほしい。




