第伍話 ある男の追憶
いや、ほんと遅れました。
マジすいません。
今回から第1章です。
カタタン、カタタン
リズムの良い音と振動が車内に響き渡る。
その音はどこか心地よく、気を抜けば不意に眠ってしまいそうになる。
しかし、これから行うことを考えるとそんな眠気は一瞬で吹き飛んでしまう。
「紅茶をお持ちしました」
「ああ、ありがとう」
そう言うとウェイトレスはテーブルの上にティーカップを置き、そこに紅茶を注ぎ始める。
最後の一滴までを注ぎ終えた事を確認すると、私は角砂糖を一つとかした後、紅茶を飲んだ。
口の中に紅茶の美味しい風味が広がっていく。
「お気に召しましたかな」
目の前にいる男が口を開いた。
「ああ、紫禁城で飲んだ紅茶を思い出す」
「それは良かった。本当は満鉄自慢のカクテルを飲んでいただきたかったのですが、これからの事を考えるとお酒を進めるのは如何なものかと思いましてね」
「確かに、これからの事を考えると酒を勧められても飲む気にはならないな」
和やかな会話だった。端から見れば、満鉄で奉天に向かうビジネスマンに見えたはずだ。ただし、それは私たちの正体を知らなければの話だが。
「しかし、君たちもよくあんな事を私に吹っかけたものだ。一歩間違えれば重大な問題になるだろうに」
「でもあなたは、それに賛同するところがあったからこそ、私たちの提案にのった。違いますか?」
「・・・まあ、そうなるな」
そう言って会話を切ると、私は再び窓の車窓から外の景色を見始めた。窓の外には、雄大な満州の自然が広がっていた。
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私の名は愛新覚羅溥儀。かつて、中華全土を収めていた清朝最後の皇帝である。最も、皇帝であった事や皇帝であった時に起きた事などはほとんど記憶に無いのだが。
俗に言う辛亥革命が起きた後、私は紫禁城内に事実上監禁されたと言っても良かった。最も、中国4000年の歴史の中における革命達成後の皇帝の末路を考えれば、まだ私の処遇は恵まれていたと言えるだろう。
紫禁城内では以前と変わらず私が主人であったし、そこまでの不自由は感じなかった。
革命が起きて12年後くらいだろうか。突然軍隊がやってきて、私は一方的に紫禁城を追い出された。
純粋に悔しかった。言って見れば、自分の心の拠り所ともいえる場所を奪われたのだから。
日本政府の庇護を受けて、天津租界へと移った後もわたしが紫禁城を忘れた日は一度もなかった。
しかし、幾らわたしが憤ろうともそれを取り戻す力もなければ、その力を貸し与えてくれるものをいなかった。
そんな現実に憤りを感じつつも、平穏な生活を送っていた私に転機が訪れたのは、つい一年前の事だ。
ある男が私の家を訪れ、大事な話がしたいと言ってきたのだ。私はその話に興味を持ったのでその男を家の中に入れ、話を聞くことにした。
使用人に一通りもてなしをさせ、話を聞く準備が整ったところで、男はこう質問してきた。
「正当なる権威の元、その身に再び龍袍を纏う気はないか?」
この言葉を聞いた時、私は強い衝撃とともに恐ろしさも感じた。この男は一体何を考えている?その得体の知れなさが恐ろしく感じた。私は単刀直入に、今思っている事を男にぶつけた。
「それは、私が再び清の皇帝として即位する事を意味するのか?」
「私の言葉は、清朝の再興を意味するものでは無い。」
「では、何を意味する」
「満民族の故地たる、満州の皇帝として即位する事を意味する」
私はあっけにとられた。満州の皇帝など私は考えたこともなかったからだ。しかし、私はこの時点ではこの計画に加担しようとは思わなかった。確かに私は皇帝への復辟を望んでいないわけではなかったが、彼の背後にある得体の知れなさがどうしても恐ろしかった。
「単刀直入に聞きたい。君の真意はなんだ。何が目的で、満州の地に皇帝の治める国家を作ろうとしている?」
私は覚悟を決め、単刀直入に真意を聞いてみた。すると、帰ってきたのは意外な答えだった。
「防波堤。満州の地に、アジアを共産主義から守る防波堤を作るのだ。もし防波堤が築けなかったら、革命の名の下にあらゆるアジアの伝統は破壊されることになる。言い換えれば、清東陵の略奪がアジア全土で起きることになる」
「・・・・・」
清東陵の略奪。それは私にとって紫禁城の追放以上に屈辱を感じた事件だ。私の先祖である、乾隆帝や西太后の墓のある清東陵が略奪されたのだ。これだけならそこまでの屈辱を感じなかった。私が非常に屈辱を感じたのは、略奪を行っていた犯人がわかっていたのに、その人物が国民党に賄賂を送っていたが故に一切の処罰を受けなかったのだ。
私は国民党へ激しい怒りを憶えた。墓を略奪されたことにも、それを国民党が賄賂で握りつぶしたこともだ。あの日以来、私の心の中では清朝復辟の念が日に日に強くなっていた。
「もはや、清朝が復活する事は不可能だろう。漢民族がそれを望んでいないのだから。だが、満民族は?約200年間漢民族を支配していた満民族が再び漢民族に支配される事を望んでいるだろうか?」
私は心の中で、さまざまな想いが駆け巡るのを感じた。清東陵の略奪への怒りや国民党への反発、そして紫禁城への帰還への念。
「・・・数日、考える時間が欲しい」
「分かりました。ではまた1週間後に訪問する事にしましょう」
男が帰った後、私は側近を集めてこの事を話し意見を求めた。当然多くの者が反対した。危険な考えだ。失敗すれば命が危ない。そんな声があちこちから聞こえてきた。しかし、1人の側近がこう言った。
「陛下がそれを望むのであれば参加すべきです。陛下が初めて自らの意志で何かを成し遂げようとしているのですから」
この言葉で、私の心は決まった。この言葉だけで決まったという事は、私は元々参加する気だったのだ。側近達に意見を求めたのは、その心を後押しする言葉が欲しかったのだろう。そして、後押しの言葉をもらった私はもはや一点の躊躇もなく、参加への意志を固めた。1週間後、再び訪ねてきた男に私は参加への意志を話した。話しを終えると、男は笑顔で話し始めた。
「陛下の英断に感謝いたします。これから私たちは同志です。同志であるからには、私の正体を明かしておきましょう。私の名は土肥原賢治。関東軍にその身を置いております」
そう言うと土肥原は握手を求めてきた。私はこれを受諾し、彼と握手を交わした。
私が、彼らの計画に参加した瞬間であった。
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奉天駅で列車を降り車で十数分移動した後、他の同志が待つという建物へと到着した。建物の中では数人の軍服を着た男が待っていた。
「お待ちしておりましたよ、陛下」
「ああ、準備はできているのか?」
「もちろん、いつでも始められますよ」
もう準備はできているようだ。後戻りはできない。
数秒間目を閉じた後、覚悟を決める。
「・・・では、始めようか」
_____賽は、投げられた