ふたあめ
とある晴れた木曜日。
ここ第一高校高等部『保健室』にて。
叫び声聞こえたり。
「き、如月さぁぁーーんっ!!!」
吉津音先生はシャッ、と私が寝ていたベッド周りに引かれている薄手の白いカーテンを全開にする。
「…ちょ、吉津音先生。レディが寝てるのにカーテン開けないで下さいよ」
まだ眠い目を擦りながら私は半身起こして吉津音先生を睨む。私の制服が乱れでもしていたらどうするのか。このセクシャルハラスメントめ。
「セクハラで訴えますよ。セクハラで訴えられた先生の人生はそこからどん底の一途を辿り、たとえそれが無罪であっても有罪にされて捕まるんですよ。獄中では泣かないで下さいね?メソメソしないで下さいね?私が会いに行ってあげますから」
「なっ、失礼な事を言わないで下さい。泣かないですよそんなことでは…ってそもそも僕は警察に捕まるようなことは断じてしてませんからっ!」
保健室教諭だからいいとでも。
寝てる女性徒の寝室に上がり込んでもいいとでも。
「肩書きなんてくそ食らえ、ですよ。先生、電車ではちゃんと両手を上に上げてますか?先生だからって痴漢に間違われたら終わりですよ」
寧ろ『保健室の先生』だから逆にヤバイかもしれない。
「あ、それは大丈夫ですよ。僕は電車ではなく車で通勤してますから。痴漢に間違われるような心配はない…、って違がぁぁ!!」
吉津音先生は叫んだ。
煩い。起き抜けは頭に響く。私は両耳を塞いだ。
吉津音先生はそんな私に「じ、二郎、二郎がっ」とこれまた大丈夫だろうかと心配なぐらいに狼狽して私に詰め寄ってくる。
「二郎がここにいませんかっ?」
「ああ、二郎なら」
ここに、と私は掛け布団を捲る。そこにはまだ寝てるのか微動だにしない狐の二郎の姿。
「やっぱりっ!!」
そう叫んだ吉津音先生は二郎の首根っこを引っ掴む。二郎は嫌がる素振りもなくされるがままになっていて、ブラブラ二郎の体は宙に浮いて揺れている。
「二郎っ!!もう如月さんには関わるなと言っただろうっ?!」
「先生、それ動物虐待」
「何度も何度も如月さんが寝てるベッドに潜り込んでっ!!何考えてるんだっ!如月さんは女性なんだぞっ?!」
「先生が生徒を女性とかいうとなんか危ない感じですね」
「二郎っ!ちゃんと分かってるのかっ!!」
「躾もしてるんですね。狐なのに」
いちいち茶々を入れていた私。
そんな私にも吉津音先生の怒りは飛び火してしまった。茶々、入れなければ良かった。
私は吉津音先生にじろりと睨まれる。
「如月さんも如月さんです。二郎には気をつけて下さいとあれほど言ったのに」
「いや、でもいつのまにかいるんですよ?その子」
私は二郎を指差し言った。
今日も私は吉津音先生がいないのを見計らって保健室に侵入しベッドで寝ていた。それはもうぐーすかすぴすぴと眠りこけていた。
その時確かに二郎はいなかった。保健室の中にすらいなかったと思う。
だが、いつの間にか私が寝ているベッドの中にいたのだ。この狐は。
いつものごとく。
「もう慣れました」
「慣れないで下さい」
「二郎、今度やったら檻に入れるからな」と吉津音先生は二郎を脅してからぽいっ、と放り投げた。二郎はくるりと綺麗に一回転してから着地する。
「先生、動物虐待」
「二郎はいいんです」
まったく、と怒りながら吉津音先生は二郎を睨み付けていた。二郎に対して厳しすぎやしないだろうか。
「別に私は構わないですよ?」
ベッドに潜り込んで来るぐらい。
そう言うと吉津音先生は「駄目ですっ!!」と叫んだ。最近の吉津音先生は叫んでばかりだ。私は耳を塞ぐ。
「二郎は男ですよっ?!何考えてるんですかっ!!」
「男って…」
オス、って言うべきなんじゃないだろうかと私は呆れて吉津音先生を見る。そんな動物の性別まで気にしなくても。所詮狐なのだから。
「先生、もしかして二郎に嫉妬で」
「違います」
ぴしゃりと私に皆まで言わせず吉津音先生は否定した。照れも糞もない。
「照れなくても」
「僕が照れてないの分かっててそういうこと言わないで下さい。二郎は如月さんの事を気に入ってしまってるんです。何かあってからでは遅いんですよ」
「…………」
狐と何が?
何があると?
疑問だったが吉津音先生のあまりにも深刻そうなその態度に、その疑問の問いはかけられなかった。吉津音先生は二郎を何だと思っているのか。私はただの狐だと思うのだが。
「あ、でも先生っ。気に入られてるって事は私は二郎に好かれてるって事ですよね。嬉しいなぁ」
私はベッドから降りて身支度を整えながらそう言った。
狐に好かれるとか。
普通に嬉しい。
犬とか猫に好かれる、というのは簡単そうだが、狐に好かれるだなんて難しいだろう。まぁ、狐自体飼っている人だなんて吉津音先生か動物園ぐらいなんだろうけど。
吉津音先生は以前二郎を『保護』しているのだと言っていたが、一体いつまで保護し続けるのだろうか。動物園に引き渡したりはしないのだろうか。野生に返したりしないのだろうか。
先生に聞いてみようか。
そんな事を考えていたら何処からか誰かの「本当っ?!」という声がした。
私は顔を上げる。
「…先生?」
今の声は先生だろうか。
私がそちらに目をやると、吉津音先生と二郎がジタバタと暴れて格闘していた。何を遊んでいるのか。
「先生、今の声先生ですか?」
「えっ?は、はいっ、そうですよ。僕意外に誰がいるとっ?」
それはそうなのだが。
それにしてはいつもより声質が高かったような。
だけど、今ここには私と吉津音先生しかいないのだから。
がぶっ、と二郎が吉津音先生の手を噛み吉津音先生が「痛いっ!」と叫ぶ。
「大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫ですよっ。大丈夫です。如月さんは早く教室に戻って下さい。二郎っ!!!」
吉津音先生から逃れ挑発するように尻尾を振る二郎に、吉津音先生は怒鳴った。
最近の吉津音先生はやはり叫んでばかりだなと、私は改めてそう思うのだった。
《叫ぶのが日課。吉津音太郎先生》