098
「遅くなってすまぬの」
小さく笑って、織はちらりと教室を一瞥すると宙を見遣った。
「なるほど。随分無茶をしたらしいの。天地水に翡翠と札は捧げたようじゃが、如何せん足りん」
「私一人では、足りませんか?」
「お主一人、全てなら、足りるやもしれんが」
『ふざけるな!』
耳元で喚いたような白銀の声は、外には届かないはずなのに、織は確かに目を細める。
「白銀よ。この娘の中におって、この娘の感情が解らぬお主でもあるまい」
言葉を飲み込んだらしい、白銀は、けれど声を失いはしなかった。
『いつもそうだな。お前は、一族以外はどうでも良いわけか』
「わしは、氏神。一族を護うて何が悪い」
「悪くありません。だから、露草も護ってください」
感情を込めずに呟いた蘇芳に、織は浅く笑う。
「あい、解った。わしももう、依代が損なわれるのはうんざりじゃ」
一房の髪を掴んで、織はそれを無造作に護刀で切り落とすと蘇芳に差し出した。
『この、馬鹿!』
「これは?」
「少しの間の依代じゃ。わしが抜けたら、本体は外に出して構わぬ」
「お預かりします」
「すまぬの」
髪を受け取った途端、崩れ落ちた露草を受け止めて、蘇芳はその身体を一瞬だけ抱きしめる。
『今なら、まだ』
「兎さん。ありがとうございます。でも、もう決めましたから」
そっと露草を光の外に横たえて、蘇芳は一房の髪を握りしめると、金華猫のいる陣の中に飛び込んだ。




