006*
床の間の前に陣取って、木路蝋は忌々しげにため息を零した。
夢獣使いが使役する夢獣は、『式』と呼ばれる。
一方で、誰にも従属していない夢獣を『ハグレ』と呼ぶ。
『ハグレ』の中にも二種類あって、夢獣使いが存在を確認して印を付けているものを『飼ハグレ』、本当に自由に存在しているものを『野ハグレ』という。
夢獣のランク付けは5つで、低級、下級、中級、上級、高級の順に高くなり、式にするのは中級以上が多い。
飼ハグレは主に下級以下で式にするほどの力もなく、害がないとして見逃されているもので、何かあれば即刻滅することになっていた。
『夢獣使い』は祓い封じる力を持つものが受け継ぐお役目だ。
木路蝋は一族のうちで一番祓い封じる力を持っていて、だからこそ、当主に押された。
実際、上級の式を一番連れているのは木路蝋である。
一族の中で、露草が持つ祓い封じる力は弱く、木路蝋の足元にも及ばない。
けれどその一方で、露草には一族の中でも珍しい厄介な能力を持っていた。
夢獣を引き寄せるのである。
花の蜜に群がる蜂のように、夢獣を呼び寄せてしまう。
成長するにつれて強くなるその力に、幼稚園に通う頃から露草の父親が式を付けるようになったが、小学校に上がるころには、父親の中級の式では対応できないほどになっていた。
そこに、常々上級の式が欲しいと思っていた木路蝋は、言葉巧みに露草の父親を唆したのだ。
「露草から一端式を離して、上級の野ハグレを呼び寄せる。俺がそれを式に下したら、それに露草を護らせればいい」
屋敷には、古くからハグレを近寄らせない磁場のようなものがあったせいで、屋敷から少し離れた広場で、それは行われた。
「上級の野ハグレが現れたら、その陣の中に誘導しろ。上級以外は、周りで片を付ける」
陣というのは便利なもので、先に其処に封じる力を込めておいて、それに合わせて現在進行形で封じる力をのせることができる。
つまり、通常よりも2倍の能力を生かすことができるわけである。
それだけの準備をしていた木路蝋にしてみても、まさか高級の夢獣が現れるとは予想していなかった。
それは兎の姿で、その愛くるしい姿に騙されたことに気づいた時には、意識のなかった露草が悪夢に喰われそうになっていた。
総出で陣の中の高級を封じようとしたが、どうにもならなかった。
けれどどこから見ていたのか、露草に手を伸ばそうとした夢獣との間に、蘇芳が唐突に割り込んで。
もともと特異な能力があったのか、兎の夢獣は蘇芳の中に封じられてしまったのだ。
「失礼します」
襖を開けて入ってきた蘇芳と露草に、木路蝋は思考を中断した。
相変わらず被ったままの帽子に、不機嫌に視線を投げる。
「帽子の中は相変わらずか?」
「ちょっと、」
声を上げた露草とは違い、蘇芳は答えるかわりに、帽子を取って見せた。
露草にしてみれば、木路蝋は悪の親玉で、蘇芳が正義に見えるのだろう。
だから、露草は蘇芳の味方をする。
特に、この帽子の件に関しては。
髪の毛の間からは相変わらず、人間にはあり得ない白い兎耳がぴょこんと顔を覗かせていた。
勿論、つけ耳でないことは先刻承知だ。
「もういい。さっさとしまえ」
忌々しげに手を振って、木路蝋はその耳を視界から追い出した。
人間であり、夢獣でもある少女。
夢獣使いでもない他家の人間の使い道は限られてくる。
はっきりと木路蝋の式にならない以上、結局の所最初に戻るだけだ。
「俺も忙しい。報告したら、とっとと帰れ」
木路蝋の素っ気ない言葉に、蘇芳が帽子を被り直してぴょこんと頭を下げた。