064
「ほら、お前言ってたじゃねぇか。帽子を被る訳があるってな。顧問の教員が、風紀委員には伝えておくって教えてくれてよ」
「あ、」
蘇芳が学校に告げた帽子を被る理由は、幼い頃の過失による怪我痕で、養父につけられた耳の上から首筋にかけて走る縫合痕を、これ幸いと利用することにしたのだった。
「えと、それは、」
傷以外の理由を合法的に考えるのは、難しいだろう。
少なくとも風紀委員長という存在にそう認定されてしまえばのちのち動きにくい。
それとも、兎耳に気づいているからこんなことを言うのだろうか。
ぐるぐると廻る思考回路に、蘇芳が次の言葉を探しあぐねていると、徐に萌葱が帽子の上から頭を叩いた。
「勿体ないから被るんじゃねぇよ」
「え?」
「言ったじゃねぇか。お前は、帽子かぶらない方が可愛いと思うぞ」
そう言ってあまりに屈託ない様子でにっこりと笑うので、蘇芳はもう、なんだか泣きそうになってしまう。
この言葉が嘘ではないと、証明できたらどんなに良いだろう。
『どうしても本音が聞きたいことがあったら、相手が男なら、色仕掛けに出ちゃいなさい』
『泣き落としにかかるなんて、馬鹿じゃないか? あいつに効果がないことくらい、把握しておけよな』
『泣き落としでも良いけど、それよりは押しに弱い男が多いからね。距離を詰めて問いただしたほうが、答えが解ることが多いわよ』
場違いに思い浮かんだ台詞に、蘇芳は思わず萌葱の手を両手で掴む。
素肌に触れることは紙一重だ。
相手が夢獣持ちなら、お互いに解ってしまう。
本当は帽子を取ることが一番なのだけれど、それだけの覚悟が、蘇芳にはなかった。
「どうした?」
驚いたように目を丸くして、けれど心配そうに尋ねる美人風紀委員長の手を、蘇芳は俯いたまま強く握った。
儚い望みだろうか。
閉じてしまいそうになる瞳を押し広げて、蘇芳は息を詰める。
まるで何十分も経ったようなそんな気がしたが、実際はほんの数秒だったのだろう。
萌葱は手を引かなかったし、蘇芳の中の兎も、騒がなかった。
彼では、ない。
「猶予をくれますか、萌葱さん」
身体の力が抜けて、蘇芳は思わず笑ってしまう。
一度抜けてしまった力は、なかなか簡単に入れ直せるものではないのだ。
「一週間考えさせてください。覚悟が出来たら、貴方のアドバイス通り帽子を取ることにします」
「あぁ、そうしろ。でも、無理はするんじゃねぇぞ? 嫌な格好をすることはないんだからな」
「ありがとうございます」
もうきっと二度と会うことはない優しい美人に向かって、蘇芳はぺこりと頭を下げた。




