005*
少し後ろを歩く幼馴染みにちらりと一瞥をくれて、露草は小さくため息をつく。
いつの間にか、帽子姿が当たり前になってしまった。
帽子を被っていなかった蘇芳より、帽子を被るようになった蘇芳が生きてきた時間の方が長くなるのはもうすぐだ。
露草の家は旧家で、古くは殿様に仕えていたらしい。
表向きは、祐筆だったと聞いている。
しかし本業は、『夢獣使い』だったそうだ。
夢獣というのは、人の夢を司るもので、さまざまな獣の形を持っているらしい。
夢獣は悪夢を喰らい、悪夢を植え付け、吉夢を見せ、吉夢を奪う。
一般の人には見えないそれを、祓ったり、使役したりするのが、夢獣使いの仕事だったと父に聞いた。
悪夢を植え付ければ、相手は現実にも衰弱するし、吉夢を奪えば、運を奪うも同じだ。
そんなふうに政治を裏側から支えていたという。
尤も現在は特別誰かにつかえているわけではない。
使役されていない夢獣による被害があればそれに対応する程度だ。
そして現在の当主が、木路蝋だった。
「漸くお帰りか、露草。待ちくたびれた」
「げ」
玄関を入るなり鉢合わせた男に、露草は思わず呻いた。
着流しが良く似合う。
露草は彼が洋服を着ているのを見たことがなかった。
ぱたぱたと動く扇子は多分上物だ。
時折流れてくる香を焚き染めたのは、多分彼の妻だろう。
「ほう。久しぶりに会った叔父に向かっていい度胸だ」
「あんたは従兄弟で十分だ。はらう敬意もないね」
露草が生まれた時から、母の兄の子どもで従兄弟だった木路蝋が、父の妹と結婚して叔父になったのは、小学生の時だ。
それから結局、中学に上がった時には当主になっていたが、露草は木路蝋を苦手としても、口調を改めるつもりもなかった。
それは多分、蘇芳の事があったからだ。
「遅くなりました」
露草の後ろから、ぴょこんと頭を下げた蘇芳に、木路蝋は不機嫌に鼻を鳴らした。
「随分と遅いな。露草が一緒でなければ、叩き出すところだ」
「すみません」
「ちょっと、僕さっさとあがりたいんだけど」
三和土の木路蝋を押しのけて、露草は蘇芳を振り返る。
「早くしなよ。母さんにも、顔見せてくんだろ」
「あ、はい」
「何でも良いが早くしろ。それと、露草。お前もあとでそいつと客間に来い」
言うだけ言って答えも聞かずに木路蝋は踵を返した。
蘇芳が、無意識にだろうが帽子の端を押さえるのが視界に入る。
蘇芳が帽子を被ることになったわけ。
それこそが、類を見ない能力の持ち主として大切に育てられ有頂天だった木路蝋の鼻っ柱をへし折り、彼が蘇芳を目の敵にしながら顎で使う原因だった。