056
『蘇芳』
言葉の中に混じった不安げな響きを聞き取って、蘇芳は人形の露草に笑って見せた。
「大丈夫です、露草。そんなことはしませんから。私も解っています」
大丈夫だ。
もともと、織と事を構えようなどと思ったわけでもない。
此処に来るまでの、纏わりつくようなあの視線の正体。
それを漸く理解して、蘇芳は、もう一体の人形に向き直る。
「兎さん」
『ったく。それも、忌々しい呼び名だな、おい』
「私に力を貸してください」
『はぁ?』
『ちょっと、蘇芳』
「蘇芳ちゃん!?」
「お前!」
「おやおや」
「遠回ったけど、結局こうなるか」
織だけがただ何も言わず、楽しそうに音を立てて扇を閉じた。
「お願いします」
『お前なぁ』
兎耳の日本人形に、蘇芳はひたと視線を合わせて畳に額をつけるように頭を下げると、呆れたように兎耳がため息をつく。
『馬鹿』
「え?」
『あれだけ豪快に喰っておいて、今さらお願いなんてガラかよ』
其処には否定のニュアンスはなくて、蘇芳は思わず顔を綻ばせて人形を抱きしめた。
『おい!』
「ありがとうございます」
『結果も知らずにお礼なんざ、酷い目に遭っても知らねぇぞ』
「それでも、ありがとうございます」
強くなりたい。
露草を護る最後の時まで。
存在意義がある、その一瞬まで。
それが、少しでも長くあるように。
言葉にはしなかった言葉を、兎耳はどうしてか感じ取ったようで、蘇芳の腕の中で、本当にひっそりと呆れたように目を細めた。




