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正しい雪だるまの作り方

作者: 森野青葉

雪をテーマにした企画小説です。キーワードで雪小説を検索すると、他の作家さんの雪小説が読めます。

『今日、帰り平気?』

 英語のプリントの余白にそれは走り書きされていた。私はすぐにそれに気付き

「うん、調子いいね!」

と、手紙の差出人に返事をした。

 すると彼は一度でその文章を消し、

「先生、辞書ありますか? 俺今日忘れちゃって」

 と、まだ幼さの残る少年の笑みを浮かべた。

 私が手元に用意しておいた電子辞書を手渡すと、彼はすぐに目の前の問題に集中した。

 私は右の壁にある電波時計を確認してから、授業報告書を作成するため左の机の上にファイルを置き、それを開いた。ファイルは全て青色だが、間違えることはまずない。

 スーツの左胸ポケットの三色ボールペンでまず日付と時間、菅居悠紀と書き込んだ。そこにあるのは確かに生徒の名前であり、今の私にとってはかけがえのない人の名前でもあった。


 私がそもそも塾の講師のアルバイトを始めたのは、一年くらい前のことだ。

 それまで私には短期でしか働いた経験がなかったし、サークル活動で働ける日は限られていたから、飲食店には揃って首を横に振られていた。アルバイト情報誌も見飽きた頃、大学の友人が紹介してくれた。それが、四谷学院だった。

 講義の合間に何度か話を聞いて、仕事の内容は知っていた。子供も嫌いではなかったし、文学部なら教師を目指すのもアリかな、という前向きな考えが私にはあった。

 もちろん現実は理想だけでは駄目だった。

 面接を受けて、配属された先は開校したばかりの教室で、ぺーぺーの私が同じぺーぺーの職場で働くというのは複雑な心境だった。

 講師も生徒も十人に満たなかったから、研修期間の三十コマはなかなか終わらなかった。それに女の講師は私一人だけだったから、必然的に室長が不在の時に電話を取るのは私の役目だった。最初に覚えさせられたのもそれだった。

 失敗は絶えなかった。コピー機に紙づまりを起こして故障させかけたり、保留ボタンを押し忘れて電話を切ったり。中学受験の算数の問題が分からず、必死に頭を使うこともよくあった。振り込まれる少ない給料がさみしかった。

 それでも数カ月経って慣れてくると、仕事は楽しかった。授業で時折聞く、小学生の実状は興味が尽きなかったし、中高生の悩みや生活は懐かしかった。人が増えた今でもそう思う。



 突然、電子音が教室中に響いた。曲はレミオロメンの粉雪。

 たいしたことではないのに、苦笑がもれた。

「授業中はマナーモードにね」

「す、すいません」

 彼が慌てて鞄の中をごそごそと探り、角ばった形のケータイはようやく大人しくなった。



 そういえば最初のデートで、雪が降ったのを覚えている。

 映画か何かを見た帰りで、することもないけど離れがたくて。のんびり帰ろうと駅に降りた時。

 街は雪景色だった。

 私達はわけもなくはしゃいで、

「雪だるま作ろ!」

と同時に提案した。


 人気の少ない公園は、人に見られたくない私にはうってつけだった。

 雪は冷たいのに何故かさらさらしていて、ずっと触っていたかった。

 私が頭で、悠紀が胴体を担当した。積もっている雪だけをかき集めて、玉にしてそれを転がす。それだけなのに私には難しかった。

 いびつなおにぎりのような頭は、悠紀が作った胴体の上をゆらゆらと揺れて、最終的にぼと、と雪の上に転がった。

 カッコ悪かった。

「相変わらず不器用だなあ、アキは」

 悠紀は私の家の近くにくるまで、ずっとけらけら笑っていた。


 悠紀と雪だるまを作ったのも、それが初めてではなかった。

 中学の部活の途中。はしゃぎ回っている後輩をまとめられず、私は今日は終わり!と宣言した。

 そして後輩も同学年のやつも混じって、雪合戦らしきものをするのを眺めていた。その時隣にいたのが悠紀だった。

 ナマイキで女顔のかわいい感じの後輩。私はその時までそう思っていた。

「先ぱい、雪だるま作って勝負しようぜ? 大きく作れた方が勝ち。」

 私は雪を集めて玉を作り、叩いて固めた。野球ボールくらいの大きさになると、雪をこすりつけて固めた。

 しばらくして、悠紀がりんごの二倍くらいの雪の玉を持って戻ってきて、突然吹き出した。失礼なやつだ。

「先ぱい、何やってんの」

「え、雪だるま。作ってるんだけど」

「作り方ヘンだよ。転がしてかないと、いつまでたっても大きくならないじゃん」

「…そういえば、そうだね。でも…雪だるまになればいいんだから、いいの!」

 私はそれまで自分のやり方が間違っていると知らなかった。少し考えれば、わかることなのに。

 私は悔しくて、悠紀をつっぱねた。言い返してくることは分かっていたけど、うまい言い訳が思いつかなかった。

 でも飛んできたのは軽口じゃなかった。

「先ぱいって、面白いね。俺と付き合ってくれない?」

 瞬間、ただの後輩ではなくなってしまった。

 当時私には好きな人がいて、叶わないことも知っていて、でも想っているだけでよかったのに。


「先生、できました」

「あ、はいはい。ちゃんと見るわよ」

 授業中は誰かに悟られないよう、彼とはあまり話をしないようにしていた。担当ではないし、メールも削除するようにしているけど、この時間はどきどきする。

 生徒と親しくなりすぎたら、解雇なのだ。たとえ理由が何であろうとも。

「先生、この部屋暑くないっすか?」

「仕方ないのよ、変な位置にエアコンがついてるから」

 私は椅子から立ち、教室の入口のあたりの壁にあるエアコンのボタンを押した。温度と風力を適当に下げる。

 ふと外を見ると、雪がちらついていた。



 何故だろう。今もあの頃と少しも変わっていない気がした。

 いや、きっと私は分かっている。教師には向いていないこと。

 生徒のしたことやその他の情報を他人に話したりしてはいけないのに、漏らした。何より生徒と付き合っている。致命的だ。

 私が作る雪だるまも、いつもぶさいくで、かっこよくない。要領が悪いのだ。いつも、いつも。



 授業もチャイムが鳴って、次回の授業で使う確認テストを作り、月別報告書を書くと、仕事を終えた。

 塾は何かのビルの三階にある。エレベーターで一番下まで降りると、悠紀が待っていた。

「今日は早かったな」

「生徒がいい子ばっかりだからね、やりやすかったの」

 私達は同時に笑った。

 そして駅までの道を並んで歩いた。手はつながない。言い訳できない状況になってしまうから。

 でも、本当はもちろん繋ぎたい。それが、私の気持ち。

「悠紀、先生は…須藤先生は先生を辞めるよ」

「え、いいの?」

 悠紀は驚いたような、でもどこか嬉しそうな表情をした。

 ちらつく雪は悠紀の髪について、溶けていく。

「雪だるま、作ろ」

 最初の質問には答えずに、私は駅の方へと走る。


 コンクリートに積もった雪は集めやすくて、今までで一番うまくできそうな気がした。

「本当に、いいの」

「新しくやりたいこと、見つけたいの」

 悠紀は雪玉を転がしながら私の言うことを聞いていた。私は最後にこうつけ加えた。

「ただし、辞めるのはみんなの受験が終わってから! 須藤先生はそこまで自分勝手じゃないよ?」

 悠紀はまたけらけらと笑った。


 出来上がった雪だるまは雪が少ないため、小さかった。でも頭は落ちなかったし、丸い雪だるまになった。

 それは今まで一番、かわいい雪だるまに私には見えた。

初の短編で、全て携帯執筆でした。きつかったです。それでも読んで下さった方が何かを感じてくれていたら嬉しいです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 割と先生の仕事の描写がしっかりとしていて 妙にリアルさを感じられました。 純愛な感じが、親しみやすい文体に乗って 大変、心地よい響きでした。 [気になる点] 個人的には 少しだけ、描写が…
[一言] サラサラとした粉雪みたいな独特の雰囲気があって、読後感が良かったです。(あ、粉雪って雪だるま作りにくかったですっけ) いや教師(講師)と生徒の恋愛で、これだけ純なものに書き上げるとは…卑しい…
[一言] これで青葉さんの作品を読むの三つ目なんですけど、今作が一番、好きです。 指摘を探す目で読んだつもりが、いつの間にか話の雰囲気にドップリつかってました。 おかげで何も指摘出来ない(笑) 多作…
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