四、鹿の少女
「ひとつ、ふたつ―……」
暗い洞窟に、幼い少女の呟く声が響く。
「みっつ、よっつ……また、命が連鎖していく」
少女はかがみこみ、数えながら足元の小石を積み上げた。
「どうかなさいましたか」
洞窟の入り口から女の声がした。
「アサ、ミサ」
少女が呼ぶと、二人の背丈も顔もそっくりの赤い袴をきた女が少女の傍による。
「花を奉っておくれ。両手いっぱいの、彼岸花を――…………」
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八丸は相変わらず葵に手を引かれて歩いていた。
「なー!なんでそんな急ぐんだよ」
「よし婆のとこのきい坊が大変なの!」
「なんだって?」
「熱が出て、まだ若い雄が誰も戻らないからこうやって私があんたを探しにきたんじゃない」
「お前、そういうことは早く言えよ!」
急に八丸の目の色が変わる。
「えっ?」
「走るぞ!」
ばっと葵の手を振り払うと、八丸は駆け出した。
「ちょ、待ちなさいよ!」
葵もすぐに追いかける。
いくつもの集落を越えていくと、小さな岩山が見えてくる。
その梺に位置する所が狼の集落だ。集落に近づくと、八丸はスピードを落とした。
「葵、きい坊どこだ?」
「よし婆の家に・・・あ!いたいた! おーい!よし婆!八丸呼んできたよー!」
葵は手を振りながら、一人の老人のもとへ駆けていく。八丸もそれに続いた。
老人は家の前をおろおろしながら歩き回っていたが、二人の姿を確認すると、嬉しそうに手を振りかえした。
「おー葵!早く早く!八丸もいいとこに帰ってきてくれたのう」
「きい坊は?」
「中で横にさせている、ひどい熱じゃ」
二人は小さな家にあがり、弱々しく横たわっている一匹の子狼の元にかがみ込んだ。
息が荒く、とても苦しそうだ。
「きい坊!おい、きい坊!」
八丸が子狼の耳元で呼びかける。
「う……八丸、にい…ちゃん?」
子狼がうっすらと目を開けて答えた。
「今日のお昼に急に具合悪くなったの」
葵が隣できい坊の体を優しくさする。よし婆も心配そうにのぞきこむ。
「二人とも、この子を早く山神様のもとへ連れて行ってやっておくれ。
お願いだよ。儂じゃあとてもあそこまでこの子を運べぬ」
「ああ、もちろんだよし婆」
「行きましょう、八丸。山神様なら治してくださるわ。きい坊、大丈夫だからね」
八丸は手に持っていた木の実を置くと、ゆっくりきい坊の体を起こし、背中に背負った。
「背負いにくいな。きい坊、少しだけ人型になれないか?」
「……頑張るっ」
ふわっと優しい風とともにきい坊の姿が人の子供の姿に変わった。
しかし、薄茶色の髪からは狼の耳が出ていて、尻尾も、手足の先も狼のままだ。
「十分だきい坊。よし、行くぞ」
「これで勘弁してくれるかのう」
よし婆は黄色い山花の花束を葵に渡した。
「供え物には十分よ。行ってくるね」
二人は家を飛び出し、まっすぐ岩山へと向かった。
岩山の奥の滝を越えたところにある洞窟。そこが山神の奉られている場所だ。
その途中には鹿の集落があり、不審な者が山神の所に近づかないよう警備している。
山神は代々、鹿の獣族から誕生するのだった。
八丸たちも案の定、まずは鹿の集落で足止めされる。
体格の良い若い2人の槍を持った男が八丸に歩み寄った。
「山神様へ用があります」
八丸はそう言うと、背負っているきい坊を男たちに見せた。
相変わらず熱に侵され、苦しそうに喘いでいる。
「病人か?よろしい、早く連れて行ってやりなさい」
そう言ってすんなりと道をあけてくれた。
またしばらく駆けていくと大きな滝に出た。
「あそこだな」
いよいよ山神の奉られている洞窟は目の前だ。
葵が頷き答える。
「山神様にしか、私たちの怪我や病は治せないもの。本当に不思議で素晴らしいお力よね」
「さあもうちょっとだ、頑張れきい坊!あと少しだぞ」
八丸と葵はきい坊を励ましながら滝をくぐりぬけ、洞窟にたどり着いた。
洞窟はとても大きく開いており、奥行きも深い。
中へ入ると天井も高く、風が吹き込むたびにごぉっと音がする。
あちこちに木の実の殻や石などで作られた飾りがぶら下がっており、風でからからと音を鳴らしている。
少し入っていくと、二人の赤い袴姿の美しい女に迎えられた。
「アサさん、ミサさん」
葵が八丸の前に出て二人に話しかける。
二人の女は顔が瓜二つで、唯一違うところは長い髪を束ねている方向だ。
「葵様に八丸様ですね」
右側に髪を結んでいる女が答えた。
「あの……」
二人の女は同時に八丸の背中のきい坊へちらっと目を向けた。
そして互いに顔を合わせると再び葵と八丸に向き直った。
「山神様はもう状況を存じられております。どうぞこちらへ」
二人の女に誘導され、さらに洞窟の奥へと進んでいく。
暗い洞窟の中は、ところどころに松明が灯っているので完全な闇ではない。
ある程度暗くても、獣族の目にはこの程度の松明で十分だった。
すると、大きな木を組んだ上から植物を編んで作られた
簾ようなものが垂れ下がっているものが見えてきた。
その前にはたくさんの供え物であろう花や食べ物が置いてある。
飾り物の数も増え、小さな鈴の音もちりんちりんと聞こえる。
この簾の奥に、山神がいるのだ。
(いつきても不思議な場所だ)
八丸は目をきょろきょろと動かした。
トン、トン……と、小石のぶつかる音が響いている。
「山神様、先ほどおっしゃっていた三人が見えました」
「雌狼の葵、雄狼の八丸、雄狼の少年―…」
「あ、きい坊と言います。初めてですね」
葵が慌てて付け加えた。
こつん―……
石のぶつかりあう音が止まった。
「―……やはり、あの気配は葵に八丸だったのだな」
細く可愛らしい少女の声が聞こえてきた。
「ミサ、開けておくれ」
左に髪を束ねた女がすっと簾を上にあげる。
そこには小さな少女が敷物の上に正座をしていた。
肩まで長さがあるおかっぱ頭の左上には大きな牡丹の花のような髪飾り。
桃色の綺麗な着物に身を包んでいるこの少女こそ、獣族の奉っている唯一の存在である山神だ。