十七、挑戦
菊は男が頌澄であるのを確認すると、笑顔で鈴花の肩を優しく叩いた。
「あら、頌澄様ではございませんか。今日も来て下さったのね。
ほら、鈴花。早く降りてお行きなさい。失礼がないようにね」
「……はい、お母様」
鈴花は菊に促されて牛車を降りた。先に降りていた朱音が鈴花の手を取る。
鈴花は無意識に、朱音の手を握る自分の手が震えているのに気付いた。
緊張が伝わったのか、朱音も心配そうな瞳で鈴花を見つめる。
そこに頌澄が霧木を引き連れやって来た。
そして出てきた鈴花を確認すると、さらに目を細めにこりと微笑んだ。
「これはこれは、鈴花殿。会えてよかった。今日はもうだめかと思いましたよ。
どちらにお出かけなさっていたのですか?」
近くで見る頌澄の顔は相変わらず品があり整っていたが、鈴花はその笑顔が苦手だった。
「今日は、是非鈴花殿に着ていただきたい着物をお持ちしました。
きっとお似合いだろうと思って」
頌澄は笑顔でそう言うと、頌澄に手を挙げ合図した。
するとすぐに、後ろにいた霧木が大きな箱を抱えてやってくる。
ふたを開けられたそこには、鮮やかな紅色の着物が入っていた。
鈴花は引きつった笑顔で応える。
面会をしたあの夜以来、頌澄は頻繁に鈴花の屋敷を訪ねるようになっていた。
日が沈みかける夕方になると、決まって霧木とやってくるのだ。
そしてその度に、こうして鈴花に贈り物をしてくるのだった。
「先日も、高価な帯をいただいたばかりですわ」
「遠慮などかまいませんよ。いづれ夫婦になる仲ではないですか」
「はぁ……」
相変わらずにこにこと愛想の良い笑顔の頌澄に、鈴花は肩を落とす。
婚約。
鈴花がはっきりと返事をしていないせいで、頌澄はこのようなことをしているのだ。
全ては鈴花に好意を抱かせるため。
それに気づいていても、鈴花は未だに返事を躊躇っていた。
「それと、もう少で……」
突然、頌澄の口元が不敵に微笑んだ。
「もう少しで、とても良い話があなたにできそうだ」
「とても良い…お話……?」
意味有り気な頌澄の笑顔に、鈴花は首を傾げた。
「はい。今はまだ、秘密です」
頌澄は再びにこりと微笑むと、霧木に手で合図をした。
霧木は自分の持っていた着物の入った箱を、鈴花の隣りにいた朱音に無理やり渡す。
「あ、ちょっと……」
「受け取れ。頌澄様のお気持ちだ」
「鈴花様…」
朱音の困った瞳に、鈴花は眉を垂らして微笑んだ。
「せっかくのお気持ち、ご頂戴いたしましょう」
「はい……では」
朱音は受け取った箱を両手で抱えなおした。
同時に、霧木の冷たい視線がジロリと自分を見ているのに気づき、思わず地面に目を逸らした。
「それでは、今日はこの辺で。どうか楽しみにしていてください。私も……」
すっと頌澄の細い指が、鈴花の頬を撫でる。
「縁談の良いお返事を、楽しみにしていますので」
ちゅっという小さな音と共に、鈴花は頬に一瞬柔らかいものを感じた。
鼻がぶつかりそうな程の距離で微笑む頌澄の表情に、徐々に自分の身に起きた事を理解する。
鈴花の頬が真っ赤に染まるころには、頌澄は自分の牛車に乗り込むところだった。
「それでは、またお会いしましょう!」
明るい声を残して去っていく頌澄の牛車を見送りながら、鈴花は立ち尽くしていた。
そんな鈴花に心配そうな声で朱音は話しかけた。
「……あ、あの、鈴花様…。大丈夫でございますか?」
鈴花の口はかすかに震えている。
「頌澄様は、大胆な貴殿なのですね……」
「……朱音」
「はい……いぃ!?」
朱音に振り向いた鈴花は笑顔だった。
だが笑顔であるにも関わらず、只ならぬ嫌悪感が溢れだしている。
「す、鈴花様…もしかしてお怒りに……」
「あなたは何も見ていません。判りましたね?」
「え?…あ、はい……」
「今日はとても疲れましたわ。早くお夕飯にしましょう」
そう言うと鈴花は頬を軽く袖で拭いながら、屋敷に入って行った。
その鈴花を慌てて追いかけ、朱音も屋敷に入った。
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「失礼します、鈴花様。お香を焚きに参りました」
就寝前、布団の上でのんびりしていた鈴花の元に、朱音がやって来た。
灯り用の蝋燭から火をとり、お香を焚き始める。
部屋中に、ふわりと甘い香りが広がった。
「そろそろ、違う香りに替えようかしら」
「それでしたら、頌澄様から頂いたものがありますが」
「それと…違うものが良いわ」
鈴花は少し眉を寄せた。香りでまで、頌澄のことを思い出したく無かったのだ。
頌澄と二人きりになった時に感じた恐怖が、頌澄を思い出すと同時に今でも体を襲う。
「では、明日街に出て良いものを探して参ります」
鈴花の心境を察してか否か、朱音はすぐに微笑んだ。
「私も行きたいわ」
「しかし、また今日のような事があっては……」
「その時は、朱音が守ってくれるのでしょう?」
「す、鈴花様それは……!」
「ふふ、冗談ですわ」
鈴花はくすくすと口に手を当てて笑った。
そんな鈴花に朱音はふぅっと溜息をついた。
「あ!そうだわ、朱音」
突然、ぱんっと鈴花が両手を合わせた。
「私に術を教えてくれませんか?」
「え!?…あ、いえ、その……はい?」
目を輝かせている鈴花に、朱音は思わず驚きの声を上げた。
「術、でございますか?」
「はい。だって、私が強くなれば朱音に守られる必要もありませんわ」
「そんな!いけません、お貴族様が術師の真似事など……」
「それでも、私は自己防衛の力を身につけたいのです」
「その必要が無いよう、私がいるではありませんか」
「それではいつも朱音に守られっぱなしだわ」
好奇心旺盛な子供のようにキラキラした瞳で、鈴花は朱音を見つめる。
その瞳に耐えかね、朱音は畳に目を逸らした。
「…………朱音?」
「は、はい……」
「私がお願いしているのですよ?」
「えぇ、ですが…こればかりは…」
「それは…、私にそちらの才能は無いと言っているの?」
「め、滅相もございません!むしろ……」
鈴花の悲しげな声に思わず抗議し、朱音はハッと自分の口を抑えた。
しかし時すでに遅く、鈴花はにっこりと満足げに微笑んでいた。
「あら、じゃあ少しは兆しがありそうなのですね」
返す言葉がなくなってしまった朱音は、大きくため息をつき肩を落とした。
「全く、鈴花様には敵いません……」
眉を垂らして微笑み、姿勢を正して鈴花に向き直る。
「術師は、自分の中にある“霊力”を操るのです。
霊力は生まれつきその人の魂が持っている力。
鈴花様には……初めてお会いした時から、とても大きな霊力を感じます。
なので……むしろ、かなり期待はできるかと………」
後半、少し口ごもりながら朱音は話した。
それを鈴花は食い入るように耳を傾ける。
「あとはその霊力をどれだけうまく操れるか。それだけなのです」
「まぁ!では早速その方法を教えて下さいな」
「し、しかし…もしこのようなことが光晴様に知られたら…」
「大丈夫。絶対にばれない様にいたしますわ」
「お約束して下さるのなら……」
そう呟くと、朱音はふっと大きく息を吐き、決意を込めた瞳で鈴花に向き直った。
「いいですか、鈴花様。術は、もし取得できてもむやみに使ってはいけませんよ」
鈴花もごくりと喉を鳴らし、真剣な面付きで朱音に頷いた。
「私たちの術は、火、水、木、金、土の五行をつかさどる神の力を借りて発動します。
そして、それぞれの神に術相応の霊力を与えることで、発動するのです」
「だから、術を使う時に神の名を呼んでいたのですね」
「はい。つまり、そのためにはまず、自分の霊力を使いこなす必要があります。
鈴花様には、まずその基本段階を身につけて頂かなくてはなりません」
「頑張りますわ」
鈴花はぎゅっと小さな拳を握って見せた。
「良い心意気でございます。では、まずは集中力を高めるとこから始めましょう。
自分の霊力を感じ取らなくては」
「どうすればいいの?」
「目を閉じて……自分の中の、力を感じ取るのです」
朱音に言われるまま、鈴花は目を閉じた。少しして、ゆっくりと目を開く。
「……よく、判らないわ」
シュンと肩を下げる鈴花に、朱音は優しく微笑んだ。
「だから難しいのですよ。ただ集中するのも骨が折れます。
今日はもう夜も深いのでお休みになり、明日から取り組まれてはいかがでしょうか」
「……そうね。朱音がこれだけ説明してくださったことに今日は満足しておきますわ」
「ありがとうございます。それでは、失礼いたします―……あ、鈴花様」
明かりの火を吹き消そうとした鈴花を、朱音は引き留めた。
「なんでしょう?」
「また朝に、どこかへ出かけられていることが無いように頼みますね」
「分ってますわ。おやすみなさい」
鈴花はふふっと笑って朱音を部屋から出した。
再び瞳を閉じ、先ほど朱音に言われたように集中してみる。
しかし、集中しようとすればするほど、他の思考が鈴花の頭を悩ませるのだった。
(頌澄様の……良いお話とはなんでしょう)
外からは蛙の鳴き声まで聞こえてきた。とても集中が続かない。
その夜、結局鈴花は何も掴めぬまま眠りに落ちたのだった。
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「ねぇ、朱音」
翌日、夕食後に部屋へ戻る廊下を歩きながら鈴花は朱音に問いかけた。
「なんでございましょうか」
「私、コツがわかりましたわ」
「…っ……な、鈴花様っ!」
朱音は慌ててあたりを見渡した。
そして、誰の姿も見当たらないのを確認すると、胸を撫で下ろした。
「そのお話は、お部屋にお戻りになられてから……」
「ふふ、ごめんなさい。あまりにも嬉しくて、早く伝えたかったのですわ」
朱音はくすくすっと笑う鈴花の背中を軽く押しながら、部屋に向かって進んでいった。
「それにしても、まさか一日もかからずに霊力を感じ取ることができるようなるなんて。
……正直、思ってもおりませんでした。」
部屋に入るとすぐに、鈴花は体全体からふわっと霊力を放って見せた。
ピリピリっと周りの空気が振動する。
「これが、“霊力”とやらなのですね」
「本当に、鈴花様には驚かされてばかりでございます」
驚く朱音に鈴花は満足げに微笑んだ。
「では、朱音。早く術の使い方を教えて下さいな」
「ですが、まだでございます。霊力を認識できたら、次にそれを凝縮したり、量を調節したりと、まだまだ覚えなくてはいけないことがたくさんありますよ」
「やはり、直ぐには難しいのね……」
肩を落とす鈴花に、朱音は優しく微笑んだ。
「しかし、普通ならば一カ月以上もかかる霊力の認識を一日足らずでできたのです。
すごいことなのですよ。自信を持ってください。
ところで……先ほど鈴花様の放った霊力を感じてみたところ、鈴花様の属性が分りました」
「属性……?」
「はい。人の霊力にはそれぞれ適切な属性があるのですよ。鈴花様には水への適性がございます。
霊力の扱いを完璧にできたら、水の神、黒竜の扱いをご指導いたします」
「黒竜……なんだか、強そうですね」
朱音の言葉を聞き、早く術を習いたいという気持ちから、鈴花は一層やる気が出てきた。
「つまり、私は水の術しか使えないのですか?」
「そうなります」
「でも、朱音は二つも使えたではありませんか」
「あぁ……はい。基本的に人の霊力は一つしか属性を持ちません。
しかし、時々私のような者もいるのですよ」
鈴花は自分にとって術師の世界は未知の世界だったので、
朱音の言葉が新たな情報としてすんなりと頭に入っていくのを感じた。
「奥が深いのですね、こちらの世界は」
「本来なら、お貴族様が学ぶようなことではございませんので」
未だに心配そうな様子の朱音に、鈴花はにこりと微笑んだ。
「朱音。私のわがままに付き合ってくれてありがとう」
ふわりと、タンポポのように柔らかい笑顔。
鈴花の笑顔に朱音は思わず頬を赤く染め、深々と頭を下げた。
「私は、いつでも鈴花様のお力になりたいのです」
朱音の言葉に、鈴花は一層頬を緩めた。
こうして、鈴花は朱音からこっそりと術の指導を受けることが、密かな楽しみとなった。
退屈な屋敷暮らしに、また一つ楽しみが増えたのだった。