十五、鳶の恋
春風の吹き渡る青空の下、霧の里は無邪気に遊ぶ子供達の声が響いていた。
子ども達は人の姿の子もいれば、狐や狼の姿でじゃれ合っている子もいる。
そんな楽しそうにはしゃぐ子ども達を、響炎と葵は木陰から並んで眺めていた。
響炎は腕枕をして横になっている。その横で葵は膝を抱えて座っていた。
「元気ねぇー」
「そうだな」
響炎はチラリと葵を見た。
にこにこと優しい表情で子ども達を見ている。
葵の目は睫毛が長くてぱっちりとした二重だ。
普段は目力が強いそんな瞳が細められ、暖かな表情をつくっている。
そんな葵に、響炎は見とれてしまった。
「美夜ちゃんも、楽しそうね」
突然葵がそう言って振り向いたので、響炎は咄嗟に目を逸らした。
「あ、あぁ」
視線を他の子どもと遊ぶ美夜に移した。
人の姿の美夜は、無邪気な笑顔を浮かべて、走り回っていた。
「葵」
「ん?」
響炎の呼びかけに、葵は首を傾げて振り向く。
「いつも美夜の面倒見てくれて、ありがとな」
「いいのよ、私子ども好きだから。美夜ちゃんといるの楽しいよ」
葵は笑いながら視線を正面に戻した。
再び二人は沈黙になり、子どもの声だけが辺りに響く。
「…………ねぇ、響炎」
突然葵が口を開いた。
「なに?」
響炎はむくりと起き上がり、葵を見る。
先ほどの笑顔から、真面目な表情に変わっていた。
「最近の八丸、変だと思わない?」
「八丸?」
響炎は眉をぴくりと動かす。
「……なんで?」
「んー、ちょっとねぇー」
葵は曖昧な返事で目を地面に泳がせた。
そんな葵を見て、響炎は胸の奥がもやもやした。
「八丸が……心配なの?」
「え?」
葵はパッと顔を上げたかと思うと頬を赤らめ、すぐにまた膝に顔を埋めた。
「うん……だって、あいつ昔からなんでも独りで抱え込んじゃうでしょ?
だから幼馴染として、なんか……放っとけないのよね…」
葵の恥ずかしげに話す様子を可愛いと思う一方で、響炎は八丸に激しい嫉妬を感じた。
(やっぱり、葵は八丸が好きなんだ―……)
思わず唇を噛み締める。
(なんでこんなに可愛い葵を、八丸は放っておけるんだ?)
葵の高く結ばれたポニーテールが風でかすかに揺れている。
その下の綺麗なうなじを見ると色気を感じて、響炎は胸がどくんと高鳴るのだった。
「ねぇ、響炎は八丸から何も聞いてない?」
心配そうな葵の瞳に、ぎゅっと抱き締めたい衝動に駆られる。
「いや……別に…」
直後、響炎の頭に先ほどの八丸とのやり取りが浮かんだ。
「あっ」
「なに?」
「そういやあいつ、好きな人ができたらしいよ」
「…………えっ…?」
瞬間、葵の表情が凍りついた。
普段も大きな瞳がいっそうを大きく見開いている。
「は、八丸に好きな人……?」
「うん、椛の里の子だとか」
「ふぅーん……」
「気になる?」
「え?いや、別にー……」
そう答えながらも明らかに動揺している葵を見て、響炎はすぐに嘘だと分かった。
「だから、あんなこと聞いてきたんだ……」
ぽつりと目線を落としたまま葵が呟いた。
「どうした?」
「あ、ううん!何もないの!ちょっと独り言」
えへへと笑ってごまかす葵の作り笑顔に、響炎は胸が苦しくなるのを感じた。
「なぁ、葵」
「うん?」
「なんで、八丸なの?」
「え?」
「俺、葵の気持ち知ってるよ」
響炎は真面目な顔で真っ直ぐ葵を見つめた。
「や、やだな、なんのこと?私、八丸のことなんて幼馴染としか―……」
「嘘つかなくていいから」
「響炎……」
「俺、葵のこと―…」
「葵姉ちゃーん!見て見てー!」
響炎が言葉を言い切る前に、遊んでいた子どもが葵の名を呼んだ。
「葵姉ちゃーん!ほらほら!」
他の子ども達も大きく手を振っている。
子ども達の手にはシロツメグサで作られた花の冠がそれぞれ握られていた。
「あ、はーい!」
葵はパッと子ども達の方へ振り向き、大きな声で返事をした。
響炎は思わず言葉の続きを飲み込む。
「ごめん響炎、今なんて?」
「いや、いいんだ。気にしないで」
響炎はへらっと笑って不満気な顔をしている葵の頭を撫でた。
「行ってあげて。子ども達が呼んでる」
「響炎も行こ?」
「いや、俺はもうちょっとここで昼寝してるわ」
葵は再び不満気な顔をしたが、少し悩んだ末に、
子ども達の声に答えながら響炎のもとを離れて行った。
響炎は葵の背中を見つめながら、再びごろんと木陰で横になった。
「…………あーあ」
大きなため息をもらした後、ゆっくりと瞳を閉じた。
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「あ、飛鳥さんが―……?」
「うん」
山の木々が風で葉を揺らし、ザワザワと騒いでいる。
八丸は飛鳥の思わぬ言葉に衝撃を受け、目を見開いたまま固まっていた。
「俺は人間の女に恋をしたんだ。ちょうど、八丸くらいの頃だったかな」
「なんで……」
「聞きたい?」
少し首を傾げ、八丸の目を覗き込むように飛鳥は問いかけた。
「聞きたいなら、絶対誰にも口外しないと約束してもらわないと」
八丸はごくりと唾を飲み込んだ。
「き、聞きたい。約束します」
「うん、じゃあちょっと長くなるけど」
そう言いながら飛鳥はゆっくりと自分のかぎ爪を木の幹から引き抜いた。
すぐ真横の凶器から解放されたことで、八丸の中でほんのわずかに緊張が緩んだ。
「座ろっか」
「はい」
飛鳥に促され、近くに横たわっていた丸太に並んで腰を下ろした。
八丸はそわそわした気持ちで飛鳥に目を向けた。
横から見る飛鳥の顔は、高い鼻が際立ち一層美しく見える。
「……あの日は、秋晴れだったな」
懐かしそうに目を細めて、ゆっくりと飛鳥が語り始めた。
「気持ちの良い日で、いつもみたいに鳶の姿で空を散歩してたんだ。油断してたんだよね。
突然、パンって大きな音がしたと思ったら、右の翼に雷が落ちたみたいな激しい痛みを感じたんだ。
あまりの痛さに羽ばたくことができなかったから、なんとか左の翼を動かして、猟師から離れた所に着地した。
下りてすぐに人の姿に戻って右腕を見たら、案の定銃に撃たれていた。
出血が酷くて、意識が朦朧としてきたその時……
一人の女が、木の陰から現れたんだ」
僅かに、飛鳥の口元が緩んだ。
「心配そうな顔をして、ゆっくり俺に近づいてきた。匂いで、人間だって分かったんだよ。
俺はやばいと思って動かせる左腕を翼に変えて、その女を威嚇した。
でもそいつ、急に怒った顔になってね。
怪我してるんだから、見せなさいって俺を怒鳴りつけたんだ。
俺は獣族だぞって言ったら、それがなに?怪我人は怪我人でしょって。
思わず拍子抜けちゃったよね。
その女の勢いに圧されて、いつの間にか腕に包帯が巻かれてた。
それから数日、空を飛べるようになるまでは、
近くの葉っぱとかをかき集めて寒さをしのいで過ごした。
その女は、頼んでもいないのに毎日俺のところに通って看病をしてくれた。
そのうち、あんまり親切にしてくれるそいつが可愛く思えてきて―……」
飛鳥が途中で言葉を止めたので、思わず八丸は口を挟んだ。
「好きに、なっちゃったんですか?」
飛鳥は目だけを八丸にむけ、口元を緩めた。
「飛べるようになったとき、そこを発つのが名残惜しかった。
その女に会えなくなるのが哀しかった。
だから、これからもここで会おうと約束をして、俺は霧の里へ戻ったんだ。
それから毎日のように、女と会った場所に通って話をした。
そいつの笑顔を見てるだけで幸せな気持ちになれたんだ。
会う回数を重ねるうちに、女は俺を好きだと言ってくれた。
俺がいないと、生きていけないと言ってくれた。
でも、俺たちは種族が違う。
許されない恋だと分かっていたから、俺はその女の言葉をいつも曖昧な返事で流していた。
それでも次第に、種族なんて関係ないんじゃないかって思えてきてね。
これだけ想いあっているなら、それでいいと思ったんだ。
でも―…………」
急に飛鳥の表情が曇った。八丸も思わずごくりと唾をのむ。
「俺が女に気持ちを伝えようと意気込んで向かったその日から、突然女はそこへ来なくなったんだ」
「えっ?」
「俺は変わらず毎日そこへ通ったが、一向に女が姿を現すことは無かった」
飛鳥は空を見上げた。
白い雲が緩やかに青空を流れていく。
「何日もたって、あの女に会いたくてたまらなくなった俺は、女の住んでいる村を探すことにしたんだ。
女の身なりがいつもボロボロだったから、賤民だろうと考えて空に飛びあがった。
そしたら案の定、その場所から数キロしか離れていないようなところに、小さな集落を見つけたんだ。
すぐ近くに降りて仕事をしている人たちを見ていたら、見つけたんだ。
あの女が、小さな家から水桶を持って出てきたんだ。でも―……」
突然、飛鳥の視線が下へ落ちた。
八丸も緊張して、つい体に力がこもる。
「女の元へ飛び出して行こうとしたら、数人の子どもたちがその女を囲った。
その子たちがさ、女を……母ちゃん、母ちゃんって呼んでいたんだ。
それで、女が持つ水桶を自分たちが持つと言い張っていて、女は笑いながら、ありがとうって水桶を子供たちに渡してさ。
その時に、見えたんだ。女の腹が。あいつ、身ごもってた」
飛鳥の視線が、八丸に向く。
八丸は、ただ目を大きく見開くことしかできなかった。
「旦那がいたんだよ。しかも、子どもまでさ。
腹が大きくなってきて、俺にばれると思ったから、あいつは俺に会いに来なくなったんだ。
最初から、俺は愛されてなんかいなかった」
ハハッと乾いた声で笑う。
「俺って馬鹿だなーって思ったよ、本当に。
毎日会ってたくせに、その女のこと何も知らなかったんだ。
そう考えたら、女の顔を見てらんなくなってさ。すぐに里に飛び帰った。
哀しさのような、怒りのような、落胆のような…………
なんとも言えない感情に押しつぶされて、苦しかった。
所詮、人間なんてこんなものだって開き直ったよ。
人間は、獣族と違って平気で嘘をつく生き物だ。
やっぱり、獣族と人間は通じ合うことなんてできないんだ」
「そんな―――……」
「だから、ね?八丸」
再び飛鳥との距離がずいっと縮まる。
「八丸は、その女の子のことをどれほど知ってるの?」
「ど、どれほどって……」
「その子は、八丸を好きと言ってくれた?」
「――…っ!」
「ほら、何も言えないじゃん」
飛鳥の目が鋭く光る。
「人間の女に片思いなんかするだけ無駄なんだよ。自分が苦しくなるだけだ。
きっと、その女の子だって自分と八丸の立場の違いくらい分かっているよ」
「お、俺は……」
八丸は飛鳥から目を逸らそうとしたが、顔をぐっとつかまれ阻まれた。
「逃げんなよ」
恐ろしさと、困惑した思いが交じり合う。
(鈴花は俺をどう思っているのか。そんなこと、考えたことなかった)
頭の中に、鈴花の笑顔を思い出す。
たんぽぽのような暖かい笑顔。頬を赤らめたはにかんだ笑顔。
「かっ、彼女うぁ……」
八丸が口を開いたので、飛鳥は手を放した。
「なに?」
「彼女は、笑っていた」
八丸は震える拳を必死に抑える。
「確かに飛鳥さんが言うように、あの笑顔は偽りなのかもしれない。
俺は、彼女のことを何も知らない。
お嬢様で、山が好きで、優しくて、可愛いくて、悪戯好きで……
俺は彼女のそんなところしかわからない」
きっと目に力を込めて飛鳥を見る。
「でも、それでも俺は自分の気持ちに嘘をつけない。
俺は、獣族だ。嘘はつけないんだ」
言葉にも力がこもる。八丸は、いつの間にか立ち上がっていた。
全身で飛鳥に訴えていた。
「彼女が俺をどう思っていても、かまわない。
だって、しょうがないじゃないか。好きって気づいたんだから!
これが恋じゃないなら、恋ってなんなんだよ!!」
八丸は飛鳥の肩を強く掴んだ。
「教えてよ、飛鳥さん……」
消え入るような声で呟き、首を垂らした。
飛鳥は真面目な表情を崩すことなく、八丸を眺める。
そして顔を上げない八丸に向かって、ゆっくりと口を開いた。
「大切な人ほど、案外すぐ近くに居るものだ」
優しい声に、八丸はゆっくりと顔を上げた。掴んでいた肩から手を離す。
飛鳥は目を細め、穏やかに微笑んでいた。
「もっと、近くに居る子のことを考えてみな。
そしたら、本当に大切にしなくちゃいけない子が分かるから」
「本当に、大切にしなくちゃいけない子?」
八丸は首を傾げて考えてみたが、いまいち飛鳥の言葉が理解できなかった。
「うん。まぁ、あとは時間が教えてくれる」
そう言うと飛鳥は立ち上がった。
ポンポンと尻についた砂を払う。
「長話し、しすぎちゃったね」
空を見上げたら、辺りは薄暗くなり始めていた。
きらきらと小さな星も出始めている。
「八丸」
飛鳥のきりっとした声に、八丸はびくっと肩を弾ませた。
「はい」
「今回は、見逃してあげる。みんなにも黙っていてあげる。
だから、早くその人間の女の子と会うのを止めろ。それが黙秘の条件だ」
念を押すかのような鋭い瞳が八丸を真っ直ぐ見据えている。
八丸は大きく深呼吸した。
「嫌です」
「なっ!お前、バラしても…」
「さっき言ったじゃないですか。
俺は自分の気持ちに嘘をつけないって。それに……」
八丸はにこりと微笑んだ。
「飛鳥さんは優しいから。絶対に他の仲間には言いませんよ」
「判らないよ?俺、結構意地悪だし」
「大丈夫です」
八丸の崩れない柔らかな笑顔に、飛鳥は思わず苦笑いをした。
「響炎に嘘ついたくせに、自分に嘘はつけないだなんてな」
「そっ、それは―…っ!」
「アハハっ 八丸もまだまだ子供だな」
飛鳥の言葉で八丸は自分の矛盾が恥ずかしくなり、顔が赤くなった。
口を尖らせて飛鳥を睨む。
「あ、あれとこれは嘘は嘘でも違うんですよっ」
「ふふっ はいはい」
飛鳥は八丸の頭をポンポンと優しく叩いた。
「でも、そのうち痛い目を見るのは自分だよ」
にこりと笑いかけられる。
「苦しくなったら、いつでもおいで」
「飛鳥さん!」
八丸の顔は一緒にして輝いた。
「あーあ!お腹空いちゃったー。八丸、俺の獲物も捕ってきてよ」
「えぇ!?でも今日はもうこんな時間だし・・」
「あの人間の女の子、襲っちゃおっかなあー」
「と、捕ってきます!今すぐ!美味そうな鼠捕まえてきますね!」
八丸は慌てて山の奥へ向かって走り出した。
そんな八丸の背中を、飛鳥はくすりと笑って見送った。
「羨ましい奴―…」
飛鳥は小さな声で呟くと、ゆっくりと霧の里へ向かって歩き出した。
※訂正のお知らせ※
飛鳥が二話では(人物紹介も)鳶の設定だったのに、いつの間にやら十三話から鷲になってました!本当にごめんなさい。
作者のくせに間違えるだなんて…。
先日お気に入り登録してくださった方、ありがとうございます。
長くなりましたが飛鳥の過去編でしたー。
どんなふうに書くか悩んだ末、結局会話口調で収まりました。
次回は鈴花サイド。みんな大好き頌澄も出るよ!←
執筆頑張りますので、お楽しみに。今後もよろしくお願いします。