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山神  作者: 小豆
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十四、小さな嘘




八丸はちまる鈴花すずかからうつったわずかな人間の匂いをとるために、

小川で少し水浴びをした後、霧の里を目指して歩きだした。

すると、里の入り口であるイチョウの木の下に、一人の人影が見える。

その人影は八丸の存在に気が付くと、こちらに向かって歩いてきた。

目を凝らして見ると、金色のきらきらとした美しい髪がなびいているのが分かる。



その青年は、響炎きょうえんだった。



「よう、八丸」

「あ、響炎。どうしたんだ?こんなところで」

少し違和感を感じながらも、八丸はいつのも調子で話しかけた。

響炎は無表情のまま、首を少し傾げると、真面目な瞳で八丸を見た。

「お前、また朝からどっか行ってたんだな」

「あ、あぁ。ちょっとな」

目を逸らす八丸の顔を響炎は不思議そうに覗き込む。



「なんで隠すんだよ」


「えっ」


「俺に八丸が隠し事なんて百年早いんだよ」


「響炎…………」


(鈴花のことを―……)


しかし、八丸はぐっと言葉を飲み込んだ。

いくら相手が響炎であっても、やはり人間である鈴花の話をするのは躊躇ためらいがある。


(でも、何もないだなんて、言うだけ無駄なんだろうな)


八丸はごくりと唾を飲み込み、響炎を見た。

無表情だが、今響炎は怒っている。長い付き合いだから分かる。

「ごめんな、響炎」

響炎の眉がピクリと動いた。八丸はふぅっと息を吐き、気持ちを落ち着かせた。

「実は、人に会っていたんだ」

「…………誰だ?」

「ほら、前にとっても美しい人に会ったと言っただろ。あの人だ」

「あぁ、そういえばそんなこと言ってたな」

響炎は記憶を探るように腕を組み、上を見上げた。

「それで?」

「あ、うん」

これだけでやり過ごせると思ったが、やはり厳しいようなので、八丸は言葉を続けた。


もみじの里の子だよ。以前会ったとき、また会おうと約束をしていたんだ」

「椛の里?よくそんな遠いところから来てくれるな」

「本当に美しい……狼の、女の子だよ」

八丸の言葉を聞くと、また響炎の眉がピクリと動いた。

「…………へぇ」

探るような瞳で八丸の目を見てくる。

深く茶色い瞳が八丸の心を見透かしているかのようだった。

「好きなのか?」

「えっ!?」

予想外の言葉に、思わず体がびくっと跳ねた。

「その子のことが、好きなのか?」

再び問い詰める響炎の言葉に、なぜか顔が熱くなる。

八丸は足元に目を泳がせながら自分の心に問いかけた。


(鈴花が好きなのか?)


「ああ」


顔を上げて、今度は真面目な面付きで響炎に向き直る。



「好きだ」



はっきりと、力強く言い放った。


「好きなんだ、その子のことが」



すると突然、響炎は腰に手をあて首を垂らした。そして、フンっと鼻を鳴らすと再び顔を上げた。

その表情は、先ほどより緊張感が解けているようだった。

八丸が真面目な表情を崩さないでいると、響炎の口元が緩み、次第にその表情は笑顔に変わった。



「ハハっ 分かったから」


その言葉に八丸の表情も緩む。


「お前の気持ち、分かったから」



「響炎」



「だからさ、俺に告白するみたいに言うな。気持ち悪い」


「なっ!お前が言わせたんだろっ」


八丸がいつものように響炎に掴みかかると、その手を響炎はぐっと押さえた。

「え?」

響炎の行動に驚き顔を上げると、

冷たく、しかし奥では炎が燃えているかのような瞳が八丸を見ていた。

ぐっと腕を引き寄せられ、顔が近くなる。

あまりにも真剣な響炎の瞳に、背筋にヒヤッと寒気が走った。


「お前が本気なら、あおいは俺がもらうぞ」


重みのある低い声で、響炎ははっきりと言った。

力強い目から目が離せない。

(葵……?)

突然パッと腕が解放される。その衝撃で八丸はよろけた。

「おい、何で葵……」

「いい。分かってなかったのなら、いいんだ」

そう話す響炎は、再びいつもの親しい表情に戻っていた。


「あ、いっけねぇ!また葵に美夜みよの面倒見てもらってたんだった」


明るい声をあげ、霧の里の方へ振り向く。

「響炎?」

くるっと八丸に向き直った響炎は、笑顔だった。


太陽の光のように、眩しい笑顔。


「ありがとな、話してくれて」

嬉しい返事であるはずだが、百面相のような響炎の表情の変化に、八丸は戸惑いを隠せなかった。

口ごもってしまい、うまく返事の言葉が出てこない。


「不安だったんだ。八丸が俺に隠し事してるって気づいてから、見捨てられたような気がしてさ。

でも、ちゃんと話してくれた。だから今はすごく嬉しい」


あまりにも素直な響炎の言葉は、まっすぐ八丸の心に突き刺さった。


(俺、響炎のこと何も見てなかった)


響炎に対して、たまらなく申し訳ない気持ちで胸がいっぱいになる。

「ありがとう」

自然と感謝の言葉が口から洩れた。

「照れくさいな」

「お前こそ」

二人はにいっと顔を見合わせて笑う。

「じゃ、俺は先に里に戻るから。お前も、さっさとチビどもの飯獲って来いよ」

そう言って響炎は八丸に手を上げて見せると、イチョウの木を目指して駆け出した。

「あ、忘れてた!」

響炎の言葉に本来の自分の仕事を思い出す。

「じゃあな、響炎!」

響炎の後姿に手を上げる。次第にその姿は、深い霧の中へと姿を消した。





八丸は獲物を捕りに山へ引き返そうとした。

その時だった。


「八丸。嘘はいけないよ」


「誰!?」

突然どこからか、自分の名を呼ぶ声が聞こえた。

辺りをぐるりと見渡すが、どこにも姿が見えない。

緊張で汗ばむ拳を握りしめた時だった。

「ここ、ここ!上だよ、上」

「その声―……」

八丸は声のする背後に振り返った。

高くそびえ立つブナの木の上に、誰かいる。

束ねられた長い黒髪が風になびいており、爽やかな笑顔で八丸を見下ろしていた。


飛鳥あすかさん―……!」


名前を呼ぶと、その好青年はすたっと地面に飛び降りた。

そして八丸に歩み寄ると、にこりと優しげな笑みを浮かべる。

しかし八丸は、その笑顔が無性に恐ろしく感じた。


「やあ、八丸」


「飛鳥さん。さっきの言葉……」


「うん」


嫌な予感がする。ただ八丸は本能で感じていた。


「話の女の子が人間だったなんてね。びっくりしたよ」


軽い調子で発せられた言葉だったが、八丸は身が凍るような感覚に襲われた。

「……み、見てたんですか」

素直な疑問が、思わずそのまま言葉になる。

「良く響炎に、嘘が言えたね」

少しずつ、ゆっくりだが飛鳥が距離を縮めてくる。

八丸は無意識に後ずさっていた。


「……言うべきじゃないと、思ったんです」

「なんで?」

「そりゃ…」

「人間だから?」


ドンッ


「あっ」


気づいた時には、大きな木に背中がぶつかっていた。

飛鳥の顔からは笑顔が消えており、八丸のすぐ目の前に立っているので逃げ場がない。

「どうしたんですか、飛鳥さん」

飛鳥の放つ威圧感に、声が震える。

「それはこちらの台詞だよ?」

八丸は耳元で小さな風の音を感じた。

ちらっと目をやると、鳶のかぎ爪を備えた飛鳥の手が、顔のすぐ横で木の幹に深く突き刺さっている。

八丸を逃がさないつもりなのだろう。

いつもの優しい態度からは想像できない飛鳥の変貌ぶりに、八丸は逃げようと考えることが無駄であると判断した。

ざわざわと風に揺れる子の葉の音がいつもよりも大きく聞こえる中、緊迫した空気とともに凄まじい緊張感が、八丸の全身を支配する。


「―……やめておけ」


小さく、しかし重みのある声で飛鳥が呟いた。

その鋭い黄色の瞳が八丸を真っ直ぐ見つめる。

獲物を捕らえる、鳶の目だ。


「人間の女なんて、やめておけ」


「なんで―……」

「負の関係にしか成り得ないからだ。お前は獣族、狼の遺伝子を引き継ぐ男だ。

それが獣族にとって敵である人間の女と結ばれることが、許されると思うかい?」


八丸は強く唇を噛みしめた。


「お前の家族も、友達も、獣族全員が、許すわけがない。

子供でも分かることだよ。それに、人間側だってそうだ。

人間からしてみたら、俺たちは汚れた血の種族だと言われている。

お前はそれを知ってて、あの子に近づいているの?」


「そ、それは…」


(知らない。そんなこと知らない)


八丸は自分が今更ながら人間について無知だと自覚した。

鈴花から人間の生活の話を聞くだけで、何となく人間がどういうものか分かったつもりになっていたのだ。

「……人間は、俺達とあまり変わらない」

八丸は、逸らしたくても逸らせない飛鳥の目を睨み返す。

「人間も、俺達みたいに笑って、家族を、自然を、愛している」

「あの子から聞いた?」

飛鳥の問いかけに、八丸は黙って頷く。

「そう。一部の人間はね。そしてまた、残りの人間は残酷だ」

「なんで―……」

飛鳥の言葉に、八丸の今までもやもやしていた感情は

腹の奥からふつふつと怒りとなって湧き上がってきた。

思わず牙をむき出し、ギラリと光る目で飛鳥を威嚇いかくする。


「なんで決めつけるんですか!!」


一度大きな声を出したことで、八丸の感情の糸がぷつっと切れた。

口から出る言葉が止まらない。声も次第に大きくなる。


「なんでそんな、知ったようなことを言えるんですか!飛鳥さんに、何が分かるんだよ!」


「分かるよ」


「嘘だ!飛鳥さんは何も知らない。

人間の残酷なところなんて、俺でも十分知っている!赤ん坊でもわかる!

でも、良いところを知らないだろ?

飛鳥さんは、人間の優しい部分を知らないんだ!」


「知っている」


「じゃあなんで、なんでやめておけだなんて言うんですか!

俺の気持ちなんて分かるわけない!

相手が人間でも、誰を好きになろうが、そんなの俺の自由じゃ…」


「知っているから!だからやめておけと言っているんだ!」



感情的になっていた八丸の言葉を、飛鳥は怒鳴りつけて遮った。

突然の大声に、八丸はビクリと体を震わせ大人しくなった。

八丸も飛鳥も、息遣いが荒くなり、フゥ、フゥと肩を上下する。




「八丸の気持ち、俺は分かるよ」

八丸は飛鳥の鋭い眼差しの奥に、一瞬いつもの暖かさを感じた。






「俺も一度、人間の女に恋をしたんだ」







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