十二、欲望の瞳
2011/12/12
大幅に訂正を行いました。
「―…………ヤマガミ?」
鈴花は頌澄の言葉を繰り返した。
「はい、山神です」
頌澄はにこりと楽しそうに笑う。
「えっと―……」
鈴花は自分の記憶を探る。
「幼いころに聞かされた、昔話に出てきたような気がしますが」
すると頌澄はハハハッと馬鹿にしたような笑い声をあげた。
「ふふ、失礼。あまりにも可愛らしいことを言われるものだからつい」
鈴花は幼く見られたことに少しムッとする。
「山神は、昔話などの架空の存在なんかじゃない」
頌澄は少しずつ声を潜める。
「“獣族”なら、ご存知かな?」
「獣族―…………」
瞬時に、鈴花の脳裏にはあの狼の少年、八丸の姿がパっと浮かんだ。
今までは名前だけ知るのみで、実際に目にしたことがなかった種族。
いや、人間の目に触れてはいけない種族。
しかし鈴花は、八丸のことを不思議と親近感の湧く、心地の良い存在として感じていた。
まるで、同じ人間のような…………
「人間でも、獣でもない種族。今もなお山奥で、確かに奴らは生息している」
鈴花の思考の途中に頌澄の言葉が入る。
(知っておりますわ)
心の中で悪態をつきながらも、鈴花は黙って頌澄の話を聞き続けた。
「山神は、獣族の中で神のように崇められている存在です。山全体の統治者のような役割も持つ」
頌澄は立ち上がり、鈴花に背を向け語りだした。
「山神は神秘的な力で山を守っている。山神がいる限り、山は人間のものにはなりえない。
そして山神の死は山の死へ繋がる」
鈴花が話の意図が分からず首を傾げていると、頌澄はくるりと振り向き、その眼は真っ直ぐ鈴花を捉えた。
「私は、山神が欲しい」
低く呟かれたその言葉に、鈴花は身震いを感じた。
重く、冷たい声。
目は怪しげな光を放ち、口元は相変わらず不敵に笑う。
鈴花は頌澄の不思議な雰囲気に、飲み込まれるような感覚を覚えた。
「先ほども述べたように、私は欲しいものは何でも手に入れてきた。
金も、女も、地位も、都も。あちらの農地も、こちらの農地も私のものだ!」
頌澄は狂ったように声を荒げる。しかしすぐに、穏やかな表情を取り戻した。
「だが、まだ足りない。何かが足りない、満たされない」
落ち着いた声で呟きながら鈴花に歩み寄り、再び目の前で膝をつく。
「そして分かったのですよ。私には足りないものが二つある」
欲望に燃えるその瞳は、鈴花の胸の奥にまで鋭く突き刺さった。
「一つはあの山。獣族なんぞが群がるせいで、あの山だけは私のものではない。
しかし、山神さえ手に入れれば、山も、その神秘的な力も私のものになる。
そしてもう一つは―……」
にやりと笑い唇を舐めると、頌澄の長い指が鈴花の着物の衿にかけられた。
冷たい手がするりと着物の奥へ滑り込む。
「やっ……!」
緊張と恐怖で、鈴花の口から思わず声が漏れる。
体ごと頌澄に押さえつけられ、うまく身動きが取れない。
そんな鈴花を見つめながら、頌澄は言葉を続けた。
「美しいもの。この目に刺激を与えてくれる、美しいものが欲しい」
腕を抑える頌澄の手に力がこもる。
「私は、今まで欲しいと望んで手に入らなかったものはないのですよ」
頌澄の指が、鈴花の髪を掬い取る。
「そう、ひとつもね」
そのまま鈴花の艶やかな黒髪は、頌澄の鼻元に引き寄せられる。
「……良い香りだ」
「―…………っ!」
鈴花の全身の毛が逆立つ。気づいた時には、頌澄のその手を振り払っていた。
「お、お止め下さい!」
フゥ、フゥと、鈴花の呼吸が乱れる。
そんな鈴花に、頌澄は相変わらずにこりと微笑んだ。
「光晴殿に聞きましたよ。鈴花殿は、自然が好きだとか」
突然の話の流れに、鈴花は疑問の表情を浮かべる。
「私が山を手に入れた暁には、あなたにも所有権を与えましょう。
あの山が丸ごと、私たち二人だけのものになるのですよ。
どうです?考えるだけで興奮するでしょう?」
「い、いりません……」
鈴花は震える声を絞り出した。
「あの山は、山に生ける物たちの場所。
それを人間が奪うだなんて……私は、いりません。欲しくない」
鈴花は力を込めた瞳で頌澄を見上げた。
肩を落とし、残念そうな表情を浮かべている。
「……まぁ、いいでしょう。ならば他に、あなたの興味を引くことを考えるだけだ」
頌澄は再び鈴花に顔を近づけた。
「どうせあなたは、自分から私にすがり付くことになりますよ。…嫌でもね」
重く呟かれた言葉に、鈴花はただ睨み返すことしかできなかった。
「今日のところは、ここまでにしておきましょう」
そう言うと、頌澄は衣の埃を払いながら立ち上がった。
「くれぐれも、先ほどのお話は誰にも口外せぬよう誓って下さい」
立ち上がり、乱れた着物を整える鈴花の肩を強く両脇から抑える。
そして念を押すかのように低い声で再び呟いた。
「くれぐれも、頼みますよ」
「は、はい…もちろんですわ」
その一瞬、頌澄の表情は獣のような形相に強張ったが、
鈴花が震える声で答えると、再びにこりと優しげな好青年の表情へ戻った。
「では、次にお会いする日を楽しみにしております」
頌澄が自分から離れた後も、鈴花の足の震えは治まらない。
(危険。危険だわ、頌澄……)
怖い。怖い。怖い。
頌澄が部屋の襖を開けたので、廊下の明かりが部屋の中へ差し込む。
「光晴殿を呼んでおくれ」
頌澄が朱音に話しかけている声が聞こえる。
「今夜はこの辺で失礼する」
体の震えが少しずつ治まり、鈴花もゆっくりと部屋の外へ向かう。
「鈴花様っ!」
懐かしく感じられる温かい声が、鈴花の名を呼ぶ。
顔を上げると、心配そうな眼差しで見つめる朱音の後ろで、頌澄が笑っていた。
隣では、頌澄よりも背の高い霧木が、冷たい目で鈴花を見降している。
(この方も、頌澄の野望を知っているのね……)
鈴花は必死に冷静な心を取り戻すと、朱音にふわりと微笑んだ。
「この方たちをお見送り致しましょう」
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頌澄たちが去った後、鈴花はすぐに自分の部屋でへたりと倒れ込んだ。
そんな鈴花に、朱音は慌てて駆け寄る。
「大丈夫ですか!鈴花様」
「大丈夫……」
朱音に帯を解いてもらいながら鈴花は呟く。
「久しぶりに緊張をして、疲れただけよ」
「鈴花様―……」
髪飾りも取り外し、重い振袖から腕を抜く。
着替えの手伝いをしながら、朱音は口を開いた。
「鈴花様。あの霧木とかいう男、術師でございました」
「術師?」
突然の言葉に、鈴花は思わず上ずった声を上げる。
「はい。あの男、私共が部屋から出たのを確認すると、部屋の中の声が外に聞こえぬように呪いをかけました。
大きな素振りは見せずに、呪文だけをぼそぼそ呟いていたので、きっと私しか気づいた者はおりません」
鈴花の化粧を布で落としながら真面目な声で黙々と朱音は話す。
「すぐに違和感を得たので、阻止しようとしたのですが、間に合わなくて―……」
「そう言えば、朱音も術師でしたわね」
「多少の教養があるだけでございます。
だからこそ、鈴花様をいつでもお守りできるように私が付き人に選ばれたのです」
照れたように朱音は言う。
「本当に、朱音は頼りがいがありますわ」
「勿体なきお言葉です」
鈴花の言葉で、更に朱音の頬は赤く染まった。
一通りの着替えが済むと、朱音は鈴花にお茶を入れた。
鈴花はそれをゆっくり啜り、一息つく。
体にゆっくりしみこむ温かさが、とても心地よく感じた。
「ねぇ、朱音」
「はい」
隣で正座をする朱音が、姿勢を正して応える。
「私、やはり頌澄様に恋心は抱けませんわ」
「鈴花様……」
「あの方の目を見ていると、とても不気味な感情に襲われるのです」
何か恐ろしいことを抱いているような、欲望に染まった瞳。
不敵に微笑む頌澄の顔が再び思い起こされる。
(山神――…………)
最後に念を押されたときの恐ろしい頌澄の形相が脳裏をよぎる。
(誰にも口外できない……)
あの時の恐怖が沸き起こり、小さく体が震える。
霧木が術師だと分かったことで、見張られているのではないかと考えてしまう。
朱音は心配そうな顔で鈴花を覗き込んだ。
「顔色が悪いです。今夜は早めに床についた方が良いかと」
朱音の優しい言葉に、思わず全ての不安を吐き出してしまいたいと思ったが、
鈴花は感情をぐっと拳を握り堪えた。
「ありがとう、朱音。もう下がって良いわよ」
「―…………では」
そう小さく返事をすると、何度も心配そうに振り向いたが、朱音は鈴花の部屋を後にした。
鈴花はひとりになり寝床につくと、布団を頭から被って体を丸めた。
不安と恐怖が混ざり合い、腹のあたりでぐるぐる回っているような感覚に襲われる。
頌澄は帰り際に、光晴には「また後日」と言って去って行った。
その時の光晴は、頌澄が去った後心配そうに鈴花を見たが、何も言わなかった。
(父上のため、母上のため)
頭の中で何度も繰り返すが、鈴花はどうしても頌澄を受け入れられそうになかった。
(金、力、地位、…………)
頌澄とのやりとりで出てきた単語が頭の中で再生される。
(山神、獣族―…………)
「―……獣族?」
はっと鈴花は顔をあげた。もやもやした感情が少し薄れる。
(明日は、八丸さんとの約束の日!)
二日前に柳の木の下で、三日後に会う約束を立てたことを思い出す。
(明日の朝になれば、八丸さんに会える)
沈んだ気持ちが徐々に晴れ、わくわくした感情が込み上げてくる。
まだ二度しか会ったことのない少年に、なぜここまで胸を動かされるのか鈴花には分からなかった。
しかし今はただ、明日会えるというそれを考えるだけで胸の鼓動が高鳴るのだ。
きらきらと輝く黄色の瞳。すこし筋張った首筋や、たくましい腕。
くしゃっと無邪気に八重歯を出して笑う笑顔。柳の木の下で見た八丸の姿を思い起こす。
(八丸さんは不思議な人)
そんな言葉を頭に浮かべてすぐに、はっと気づく。
「―……不思議な、狼さんだわ」
もやもやとしていた気持ちは、気づけば明日への期待で吹き飛んでいた。
鈴花は布団の中で、ゆっくりと目を閉じる。
そして夜の静けさに浸りながら、夢の中へ落ちていった。
文章は前回の投稿文とほとんど変わっておりませんが、訂正完了しました。
やらしい文が増えただけだなんて言わせません←
また何か思われることがあれば、ご指摘いただけると幸いです。