十、狼の本能
四人の男の視線が痛かった。
八丸は伍雨の言葉に唖然とし、立ち尽くしていた。
すると突然、男たちは笑い出した。
「そうか!お前もとうとうヒトを食ったか!」
「なんだよ、独り占めするなよー」
「八丸も大人の仲間入りだな」
男たちは一斉に八丸に話しかける。
八丸は全く話についていけず戸惑っていた。
すると、その様子に気づいた七弥が八丸の服の裾を引っ張った。
八丸はそこでようやく腰を下ろすことができた。
「七兄、おじさんたちが言ってるのって……」
「あー、お前分かってないんだな」
そいつはいけねぇと、叔父たちも身を乗り出した。
「ヒトは子供の食うもんじゃないからな」
隣に座っていた叔父の六平が八丸の肩に手を置いた。
「なんで?」
「なんでって、そりゃうまいからだよ。そこらの痩せた動物よりも肉がやわらかい。
特にヒトの女は最高さ。女の死体を見つけたときの気分といったら、最高だぜ!」
「ただ、ヒトをやたらに求めちゃいかん」
七弥の向こうから、父の四芭が話に入ってきた。
「子供の頃に人のうまさを知ると、欲求に駆られて人里まで降りて行きかねないからな。
それに、大抵山にくる人間は恐ろしい武器を使うことを知っているだろ?
だからむやみにヒトに近づいちゃいかん」
「まぁ、そういうわけだ」
伍雨は不敵に八丸に笑いかけた。
「分かったらおめぇもガキどもに勧めてくれんなよ」
八丸は少し大げさに笑って見せた。
「あぁ、そうだったのか!分かったよ。それと、今度見つけたらみんなの分も持って帰るな」
笑いながら立ち上がる八丸を、七弥は心配そうに見上げる。
「八丸?」
「ちょっと水浴びてくる。
家で臭ってちゃみんなに悪いからさ」
「夜風で冷えるぞ、風邪ひくなよ」
「おう」
八丸は軽く手を上げ答えると、家出た。
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「―……っぷはぁ!気持ちいーい!」
ザバァっと水の流れる音が静かな夜の山に響いた。
八丸は体をぶるぶるっと震わせ水を落とし、川から岸へ上がる。
布で残りの水滴を拭き取り、服を着た。
体を優しくなでる夜風は、春先にもかかわらず、まだ冷たかった。
八丸は川を後にすると、家ではなく、岩山を目指した。
鹿の集落へ行く途中にある険しい崖の上に、大きく平らな岩があり、そこから集落が一望できる。
八丸のお気に入りの場所だった。
岩の上に立つと、八丸は大きく深呼吸をして空を眺めた。
満天の星空が広がっている。八丸は、そのまま上向きに寝転んだ。
空気が澄んでいるため、星の一つ一つがまぶしいほどに輝いている。
「―……きれいだ」
輝く星を見つめながら、八丸は鈴花のことを思い出した。
(……本当に、美しい人だった)
鈴花の隣で感じた胸の高鳴りが、再び八丸の中に湧き起こる。
その時、先ほどの叔父たちの言葉を思い出した。
『おめぇ、ヒトを食ったのか?』
『特にヒトの女は最高さ』
『女の死体を見つけたときの気分といったら、最高だぜ!』
頭の中で、何度も何度も繰り返される。
(俺は、確かに鈴花を見て気持ちが高ぶっていた―……)
鈴花といた時の気持ちは、八丸にとって初めての感情だった。
そして今も、胸の奥がぎゅっと苦しくなる。
(………俺は、彼女を食料として見ていたのか?)
『特にヒトの女は最高さ』
自分の抱いた感情が、叔父の言葉と重なる。
八丸は、彼女をそのような目で見ていたとは考えたくなかった。
しかし、それが狼としての本性だと思うと、さらに胸が苦しくなるのだ。
「あー!くそっ!」
苛立ちに耐え兼ね、大声で叫んでみたがすっきりするわけでもなかった。
体を起こし、ため息とともに首を垂らしたその時だった。
「八丸?」
思わず名を呼ばれ、体がびくっと反応する。
声のした方へ目をやると、人影がゆっくり近づいてきた。
「やっぱり、八丸だ」
聞きなれた少女の声に、八丸は安堵のため息を漏らした。
「葵か。びっくりさせんなよ」
月明りで次第に顔もはっきり見えてくる。
「あは、ごめんごめん」
葵は笑いながら八丸の隣に腰を下ろした。
「驚かすつもりは無かったんだけどさ」
にこっと優しく微笑む葵の顔を見ると、八丸は、先ほどまでの苛立ちが徐々に静まっていくのを感じた。
「どうしたんだ?こんな時間に」
「星がきれいだったから、散歩。あんたこそどうしたのよ?」
「……ん、ちょっとな」
「悩み事―……?」
八丸はただ無言で視線を落とした。
「八丸のくせに、珍しいー!」
「なんだよ、悪いかよ」
そんな八丸を、葵はくすっと微笑み優しく見つめる。
「あんた、昔っから何かあるとここに来てたもんね」
「………………」
「何年一緒にいると思ってんのよ」
葵はそっと八丸に近づいた。肩と肩が軽く触れる。
八丸が顔を向けると、葵は正面を向いたまま、少し照れくさそうに呟いた。
「私がついてるじゃない」
そんな葵を見て、八丸は胸の奥が温かくなるのを感じた。
そして自然と笑みがこぼれた。
「―……ありがとう」
「……何よ…」
「うん。元気出た」
「私、何もしてないんだけど」
「いいから、ありがとう」
八丸は立ち上がり、戸惑った表情の葵の頭を軽くぽんぽんっと撫でると、ぐっと体を伸ばした。
「あー!何か馬鹿らしくなってきた!」
「何がよ?」
「俺、獣族だもんな」
「当たり前じゃない、何馬鹿なこと言ってんのよ」
「なあ、葵」
ん?っと葵は首を傾げて八丸を見上げる。
「―…………恋って、なんだろうな」
「はあ!?」
葵は目を見開いて、拍子抜けた声を出した。
「なんだよ、その顔」
八丸がけらけらと笑うと月明りに照らされた葵の顔が、次第に赤くなった。
「……そんなこと、私に聞かないでよ」
膝を抱えて座り直し、口元を膝に埋めながらごにょごにょと呟いている。
「なに?」
「な、なんでもないわよ!」
声を大きくして葵も立ち上がる。
「何慌ててんだよ」
「慌ててなんかない」
「葵も恋を知らないのか?」
「し、知ってるわよ、恋くらいー……」
「どんな気分なんだ?」
「…そうね、ドキドキする―……」
葵は足で地面をいじりながら答える。
「その人のことばっかり考える」
「ふーん……」
「それで、胸が苦しくなる」
「―……それってさぁ」
八丸は真面目な顔で葵に向き直った。葵は大きな瞳で八丸を見つめ返す。
「……食欲とどう違うんだ?」
「……………は?」
夜風が二人の間を吹きぬけた。
葵はわなわな震えだすと、ついには腹を抱えて笑い始めた。
「あはは!何その質問!ははっ!」
「な、真面目に聞いてるのに、笑うことないだろ!」
八丸は恥ずかしくなり顔が熱る。
「だって…ふふっ、何で恋と食欲が一緒になるのよ」
葵は相変わらず笑いをこらえようとしている。
「だってうまそうなもん見ると嬉しくなって、ドキドキして、そのことで頭がいっぱいになるだろ」
「あーもう、気ぃ抜けちゃった」
一生懸命説明しようする八丸の話を聞き流して、葵はくるりと背を向け、集落に帰ろうとした。
「おい、まだ話の答えは―……」
「もう今夜は遅いし、また今度ね」
「今度って…」
「あのね、八丸」
葵は八丸から離れたところで再びくるりと振り向いた。
目を細め、にこりと微笑んだ。
「恋は自然に始まるんだよ」
「し、自然と?」
八丸の頭が葵の言葉の意味を理解する前に、葵は手を振り去って行ってしまった。
一人呆然と立ち尽くす。
八丸は再び空を見上げた。来てすぐに見上げた空よりも、さらに星の光が眩しく見えた。
「―……自然と」
八丸は胸の奥で何か熱くなるものを感じた。
「-……帰ろっか」
帰り道、八丸の頭は、朝の鈴花の笑顔でいっぱいだった。
長い間放置しておりました、久々の更新です。
私情の忙しい時期が過ぎたので、
また更新頑張りたいと思います。
今後も不定期な時もあると思いますが、
よろしくお願いします!
また、今回の話から少し残酷な描写を含み始めましたので、
「残酷な描写有り」の警告をつけました。
話が進むごとに出血シーンや多少グロテスクな描写が
多くなると思いますので、
以後の観覧に関してはあらかじめご了承ください。