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僕はふと、妙なことを思い出した。
「……そういえば、優と顔を合わせたとき、何を慌てていたんだ?」
「あぁ。あれか」
初めてネモが動揺した。
気まずそうに視線を逸らした後、ちらりと僕のほうを見、そしてため息をついた。
「……俺は人に見られちゃいけないんだ」
それだけだ。
説明はない。
「……どういうことだよ?」
「そういう決まりなんだよ」
「決まり?」
「あぁ。ああいう―――」
ネモはその時に通り過ぎた車を指差した。
「―――チラリと映るくらいだったら問題ないんだけどな。まぁその辺は曖昧だけど」
「いや、「決まり」って何の?」
「俺みたいな連中を取りまとめてる決まりさ」
「「死の使者」的な?」
「嫌な言い方だな」
ネモは笑った。
「まぁでも似たようなもんだけど」
彼が何者なのかを気にするのはやめたのだから、それはまぁ良しとしよう。
そんなことより。
「……で? その決まりを破るとどうなるんだ?」
「さぁ」
「はぁ?」
「俺は知らないんだよ―――ホントだぞ」
「……まぁどっちでも良いけどさ」
僕は信じなかったが、ネモもその事で抗議はしてこなかった。
「……なぁ、まさかとは思うけど、お前を見た奴に危害が及ぶ訳じゃないだろうな?」
つまり優に。
「まさか」
「ホントに?」
「多分」
「……お前なぁ」
「心配すんな。誰だって最後にはくたばるんだ」
馬鹿な。
明らかにそれは今言うべき言葉じゃないだろう。
僕が文句を言おうとしたちょうどその時、ネモが不意に空を見上げた。
僕が戸惑っている間に、ネモが空を見据えたままで口を開く。
「……悪いが時間だ」
「え」
直後、すべての音が消えた。
ネモの向こうをで、勢いよく走ってきたはずの車がぴたりと静止している。
何故か僕の目がフロントガラスの向こうの運転席に坐っている男の顔を捉えた。
彼は瞬きもせず前方の一点を見つめていた。
息をしていない。鼓動もない。
僕は周りを見回した。
何の動きもない。
痛いほどの静寂と、死んだような平穏があった。
世界が止まっていた。
ネモは僕の方へ向き直り、ニヤッと笑った。
「何か言うことはあるか? 斎藤 武君?」
「え」
僕はこんな形で終わるとは思ってなかった。
何も考えていなかった。
最後の言葉?
僕は何が言いたい?
いや、何を言える?
「……分かんないよ」
僕は自分に向けた薄笑いが口元に浮かぶのを感じた。
結局、僕には何も出来なかった。
「悔いがない」「僕はやりとげた」。
僕にはそんな嘘はつけない。
「畜生」「命の無駄遣いだった」。
僕はそんな正直さも持てなかった。
「……でも、ネモのおかげで俺も少しは闘えた」
そこに意味があったかどうかはともかく。
「……ありがとう、ネモ」
それが僕の最後の言葉になった。
表情を消して僕を見つめていたネモを中心に世界が一気に歪み始め、そして僕は闇の中に落ちていった。




