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「何を驚いているんだ?」
ネモはひどく冷笑的に言った。
「「夢オチ」なんてありふれた話だろ?」
そうかもしれない。
僕は絶望的な気持ちでそう思った。
僕自身、ネモの存在を夢だと疑っていたのだから。
でも、一度信じたものから裏切られることほど悲しいことはない。
「……なぁ、これはホントに、「夢」で終わっちまうのか?」
「あん?」
ネモは平気そうな顔で缶を傾ける。
僕の思いにまったく気付いていないかのような顔で。
「「夢」なら、全部意味がないじゃんか」
言っていて僕は途方もなく悲しくなってきた。
自分で言うのもなんだが、僕は頑張ったと思う。
最期の最期だけは。
そのすべてが夢だったなんて信じたくはなかった。
僕が生きていたのはこの短い間だけだったのに。
無駄だったのだろうか?
僕はぼんやりと思う。
僕が生きた意味なんてあったのだろうか?
「馬~鹿。意味なんて、最初っからねぇんだよ」
コーラを飲み干したネモはやはり冷笑的に言った。
いや、違う。これがネモのユーモアだ。
ネモには多分、悪意がない。
だからその言葉を信じられるのかもしれない。
「お前がそこにいた。それだけで十分なはずだ。違うか?」
「……でも」
僕は反論しようとしたが、言葉が何も浮かんでこなかった。
代わりに胸が苦しくなり、内側から何かがこみ上げてきた。
目が潤む。喉が詰まる。
僕はたまらずうつむき、顔を覆ってしまった。
口が勝手にぼやきだす。
「……なんで「夢」だなんて教えたんだよ……?」
ネモは答えない。
僕はまだ自分を止められない。
「聞かなきゃ、俺は、何かをやり遂げたと思い込んで死ねたのに」
現実ではないとしても、僕は幸せだった。
何故ネモは教えてくれてしまったのだろう。
考えれば分かるじゃないか。
教えてくれないほうが良かった。
すべてが夢だったなんて。
「分かってないなぁ」
顔を上げると、ネモが微笑んでいて、僕が呆然としてしまうほど優しい目をしていた。
「他の人にとって、これは「夢」かもしれない。でも、お前にとっては「現実」なんだ。そうだろ?」
それを聞いて僕は自分の右手の中の缶に視線を落とした。
やたら冷たく、少し握るとその力を押し返しながらも少しへこむ。
僕はしばらくそうしていたが、ふいに思い立ち、右手に渾身の力をこめた。
アルミがゆがみ、ぐしゃっと潰れた。
僕は一度手を開き、そのゆがんだ缶を見つめた。
実に不恰好だ。
僕はもう一度力をこめた。
「……イテ」
アルミ缶の破れ目が手のひらに突き刺さったのだ。
傷から、赤い血がつうっと浮き出てきた。
そしてそれは、程なくして手相を伝う。
確かに、現実だった。
「……オイ、大丈夫か?」
「ちょっと切っただけだよ」
僕は傷口をなめた。
しかし、血はまた流れる。
今度は左手でそれを拭ったが、やはり血は流れてきた。
「……ネモ」
「ん-??」
ネモは手の中で缶をくるくる回していた。
「……俺、何かをやり遂げたと思っていいのかな?」
ネモはピタリと動きを止めた。
それと同時に、不思議な静寂が訪れた。
車の音がやけに遠くに聞こえる。
血は手首を横切った。
「……ネモ?」
「……お前はちゃんと、生きてたよ」
「え?」
ネモは微笑んだ。
「間違いなく、な。俺が保証する」
「……それで……?」
答えはない。
ただ、微笑んでるだけだ。
しばらくして、その口が繰り返した。
「お前は、ちゃんと、生きていたよ」
僕はその顔を見つめた。
不思議に思ったというか、不信感を抱いたというか、とにかく、そういう視線だったはずだ。
しかし、ネモは表情を変えない。
「……糞」
僕は呟いた。
「……自分で考えろって……?」
「そう聞こえたか?」
僕はムカッとしたのだが、それ以上は聞かなかった。
ネモには答える気なんてなかった。
もしかすると答えはないのかもしれない。
僕は生きてはいた。