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ネモはいつものようにするりと姿を消した。


僕はもう慣れてしまい、「またか」と思っただけだ。



とはいえ、その最後の言葉になにか不穏なものを感じたのは否めない。




まさか、優に被害が及ぶような何かが起こるわけじゃないだろうな、という疑いを抱いたのだ。



(……いや、それはないだろ)



別に根拠があったわけではないが、それはありえないと思った。



だってそうじゃないか。



知らせる奴の生死も握ってない奴が、他の人間の生死をどうこうできるはずがない。



優は大丈夫だ。


大丈夫だ。


だからそんなことより。



「……どうしたの?」



「……今、そこに誰かいなかった?」



「え?」



優の目が正確にネモがいた場所を見つめていて、僕は驚かされた。


彼女にネモが見えるとは思っていなかった。


やはりネモは幻ではなかったらしい。



でも僕は、知らないふりをすることにした。



「誰が?」



説明するのは面倒だ。



優は不審そうな顔でまだその空間を見つめていた。



僕はちょっと微笑んで見せ、首をかしげた。


「ゆーさーん?」


「……あ、ごめん」


と言いつつ、彼女の目はまだこっちを向かなかった。


僕が笑いながらため息をつくと、彼女は僕の方をちらりと見た。


「……あのね、タケの「お願い」をまだ聞いてなかったなぁと思って」


「え?」


僕は驚いた。


まさかそんな用向きでわざわざ出てきたとは思っていなかったからだ。


「……なんか今日じゃなきゃいけない気がしたの」


それがぱっと頭にひらめいて出てきたのだろう。


そのひらめきが過ぎ去り、ふと正気に帰って今、自分の行動の唐突さに気がついたのかもしれない。


優はちょっとそっぽを向いて、頬をポリポリ掻いている。


照れているらしい。



僕は笑ってしまいそうになった。


今までに増して、彼女が愛おしかった。



胸の奥がほわりと温かくなった。


そして同時に、針が突き刺さっているような冷たい感触があった。



僕は優が好きだ。


優も多分、僕を好いていてくれているらしい。



でも、僕は、彼女を幸せにはできない。



僕は死ぬ。




気付くと、僕は優の手をとっていた。



僕の手は彼女が(そしてそれ以上に僕自身が)驚くのもかまわず、彼女を引き寄せ、抱きしめていた。



「タ、タケ……!?」



「え、あ、その……」



真っ白である。


正直、意味が分からない。



そのくせ、手は彼女を離そうとせず、ぴたりと固まっていた。



優もそれ以上何も言わず、ただ身を強張らせていた。




非常に居心地の悪い数秒間が過ぎていく。



「……優さん」


声がかすれた。


「……優さんのこの先の長い人生の中の十秒、……十秒だけ俺にください」



必死だった。


ただ、必死だった。



だから彼女の答えを待つ間、僕はほとんど命を懸けてその場所に踏みとどまっていた。


体が逃げようとしてたのだ。



その時、張り詰めた僕をそっと包むような優しい声がした。


「十秒?」



優がクスリと笑った気配がした。


そういえば、彼女の体の緊張が、いつの間にかなくなっている。



「今から?」


優が拒まなかった、というだけでも、僕は嬉しかった。


僕はこみ上げてきたものをぐっとこらえ、微笑みを浮かべようと頑張った。



「……うん。数えて」


僕にそのカウントは不可能だった。


とても無理だ。



「……分かった。ちょっと待って」



優はもがき、一瞬だけ僕の手から自由になると、すぐに自分の腕を僕の背中に回した。


ぎゅっと力が入る。


優は小さな声で言った。


「行くよ?」


僕がうなずくと、彼女はゆっくり間を取ってから数え始めた。



僕は目を閉じた。




「いーち」



熱い。


生きている温度だ。



「にーい」



それにすごく柔らかい。


なんだか分からない良い匂いもする。



「さーん」



優の力強い、確かな鼓動を感じる。


手に力をこめると、彼女もそれに答えてくれる。


僕は幸せだ。



「よーん」



でも、と心配になる。


本当に彼女は気を悪くしてないのだろうか。


嫌がる気持ちを隠してはいないのだろうか。



「ごーお」



もしそうなら嫌だな、と思った。


僕は最後の最後まで彼女に迷惑をかけてしまった。


僕は優に助けられてばっかりだ。


最初から、最後まで。



「ろーく」



もうだめだ。


もう遅い。


僕は彼女に何も出来ない。


何も返せない。


そのことに今気がつくなんて。


僕にいったい何が出来るというのだ。


遅すぎる。



「なーな」



何故僕は死んでしまうんだ。


何故僕は優を幸せに出来ないんだ。


どうしてだ。


僕が悪いのか?


何をしたって言うんだ。


これは人生を無駄にした報いなのか?


そんなの僕だけじゃないじゃないか。


何が悪いんだ?


誰のせいだ?


誰を責めれば良い?


いや、結局僕か?


僕なのか?


僕が僕の命を無駄にした。



それだけのことなのか?



「はーち」


あぁ、もう時間がない。


よせ、やめてくれ。


まだだ。


僕はまだここにいたい。



こうやって優のそばにいたい。


優を抱きしめていたい。


この体温と、感触と、香りと、空気と、彼女の優しさの中にいたい。


どうして。


ネモ、何でもっと早く来てくれなかったんだ。


せめてあと一日。



あと一日だけでも。



畜生、何で僕はもっと早く立ち上がらなかったんだ。


なんで、すべてを諦めていたんだ。


手を伸ばせばここに触れていたのに。



ここに、届いていたのに。




「……きゅーう」



時よとどまれ。


時よとどまれ!



僕は生きたい。


生きていたい。



止まれ、止まってくれ。



あぁ、終わってしまう。


僕はどんな顔で彼女と別れれば良いんだ。


目が開けられない。


どうすれば。


歯を食いしばれ。


笑え。


一点の曇りも残さず笑え。


出来るか?


やるんだ。



でも、もし出来るなら……


頼む、誰か。



時を、止めてくれ。







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