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僕はすぐに向きを変え、エレベーターホールに向かって歩き始める。
笑顔はドアを閉めた瞬間に消えてしまった。
「暗い顔だなぁ?」
僕は真横のネモをじろりと見た。
「なんなんだよ。さっきまで声もかけてこなかったのに」
「なぁに言ってんだか。気ぃ使ってやったんだろ?」
余計なお世話だ、と思ったが、口には出さないでおいた。
「……で? こっちの「お楽しみ」が終わったから出てきたわけだ?」
「……随分と毒のある言い方するな?」
ネモは軽くあしらうような言い方をする。
「言っとくが、俺が伝えたからって俺のせいってわけじゃないぜ?」
「「伝えた」?「運んだ」じゃなくて?」
「あのなぁ」
ネモが呆れたように笑う。
「俺、別に死神ってわけじゃないんだぜ?」
「あ」
エレベーターがちょうど通りすぎてしまった。
運が悪い。
いや、そんなことはともかく。
「え、死神じゃないの?」
「違うよ」
ネモは一歩前に出て下の矢印を押した。
「俺は執行するわけでも、決定するわけでもない。ただ、伝えるだけだ。それに……」
「それに?」
ネモがちらっと目を上げて僕を見た。
「……望んでるわけでもない」
「え」
僕は本気で驚いてしまった。
ネモは本気で申し訳なさそうに視線を落としていたのだ。
何故かは分からないが僕は、彼が僕のことを惜しんでくれるとは微塵も思っていなかった。
「無駄な人生だったな」
なんていう皮肉交じりのユーモアで呆気無く送り出されると思っていたのだ。
その方が余程彼らしいし、僕だって気が楽だ。
「……よせよ。もう決まったことなんだろ? 別にネモのせいだなんて思ってないし、そういう変えようがないことで、そんな顔するなよ」
ネモがこちらを振り向き、僕を見た。
そのままの顔、そのままの目で。
僕はその苦悩と葛藤を感じ取り、再度驚かされる。
ネモがそんな人間らしい素振りを見せるとは!
それにしても、ネモは一体何者なんだろう?
「死神」ではないらしい。
でも、明らかに「ヒト」でもない。
幽霊にしては存在感がありすぎるし、天使だのなんだの、そういう類の奴にしては口も態度も悪い。
(……そうか)
僕は思った。
ネモは「ネモ」なのだ。
つまりは「誰でもない」。
案外、すべてが僕の夢かもしれない、と思った。
走馬灯の代わりに僕の脳裏に描かれた、長い幻だ。
(……走馬灯?)
自分の思考に笑いそうになってしまった。
結局僕は、自分の最期を疑おうとしていないのだ。
(……だってそうじゃないか)
僕は心の中で呟いた。
(こんな、夢みたいな一日でケリを付けられたら、それ以上はない……)
本心だった。
無理はしていない。
嘘もない。
僕はうつむくネモの姿を見つめながら、そんなことを考えていた。
光が目の隅を横切る。
僕とネモが同時に顔を上げ、到着したエレベーターの方を見た。
その時。
「タケ!!」
優の声が突如として響き渡った。
そして僕がそれに何かを感じるより早く―――
「―――ヤバい!!」
振り向くと、ネモが驚愕をそのまま形にしたような顔で、呆然と僕を見つめ返していた。




