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それから僕たちは食事を終えると、二人で片付けをして、他愛のない話―――ごく最近読んだ本のことやら、耳にした面白いことやらを話した。
願えば願うほど、想いに逆行して時間は飛び去っていく。
僕は生きたいと思った。
生きたい。
まだ死にたくない。
僕はぼそりと呟いた。
「……「時よ、とどまれ。汝は美しい」……」
突然に思い出した台詞だった。
正に、その言葉通りだったのだ。
「え?」
「……なんでもない」
そういえば、その言葉はファウストの最後の言葉だったか。
彼は最後に救われることになっているらしいけど、僕はどうだろう。
時計を見ると、8時半過ぎだった。
潮時だな、と思った。
僕は優の方に向き直った。
「今日はホントにありがとう。楽しかったよ」
優は帰ろうとしている僕の雰囲気に気づいて驚いたようだが、すぐにニッコリ微笑んだ。
「こちらこそ」
そして彼女は時計を見上げ、もう一度目を丸くした。
「もうこんな時間なんだ! あっという間だったね?」
「……うん」
僕がつばを飲み込むと、喉がゴクリと大きな音を立てた。
慌ててその辺りを手で抑えた僕を見て、優が不思議そうに首を傾げる。
「……どうしたの?」
僕は驚いた。
あんなに大きな音だったのに、彼女には聞こえていないのだ。
「……なんでも、ない」
嘘をついてばかりだ。
特に今日は。
一番大事なところをかすめはしたけど、一番深い場所は隠し通してしまった。
仕方ないと言えば仕方ないのかもしれない。
「俺、今日死ぬんだ」なんて言ったところで、彼女を困らせるだけなんだから。
そして、「もっと生きたい」なんて泣きついたところで、彼女に出来ることなんて、多分何も無い。
「……だいぶ遅くなっちゃったね。帰るよ」
「……うん。大丈夫?」
「多分」
僕は「よいしょ」と立ち上がった。
このタイミングを逃すと、僕はここから離れられない。
そんな気がした。
「タケ、明日は暇?」
唐突な問い掛けに僕は一瞬言葉が出ない。
優は言い訳するような調子で続けた。
「いや、あのね? まだもらった「軍資金」も残ってるし、今日はほんとに楽しかったし、明日も休みだし……」
「予定もないし?」
僕が笑って口を挟むと、優もまた笑顔になった。
そう、僕の予定は真っ白だ。
僕がここに存在しているのかどうかも含め、完全なる白紙だ。
そこに好きな子と一緒にどこかに出かける、そんな楽しい予定が入っていたら、僕の命がつながるかもしれない。
僕はそんなくだらないジンクスのような可能性にさえ、すがろうとしていた。