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僕は下手なことをやって、彼女を更に怒らせるようなことをしたくなかったので、何も言わずに再び箸を取った。
草薙が何に怒っているのか、正直、さっぱり分からない。
なにかまずいことを言った覚えもないし、やった覚えもない。
僕は悪くない。
……はずだ。
僕は自分にそう言い聞かせ、ご飯をかっこんだ。
残ったご飯粒も全部さらい、ふっと息をついて茶碗をテーブルに戻そうとした瞬間、こっちに向けて手を伸ばしている草薙に気づいた。
「え」
「おかわり持ってこようか?」
「え、あ、うん。お願い……します」
とっさに出た最後の言葉で、草薙にまた顔をしかめられてしまう。
「……何それ?」
「いや、なんか怒ってるみたいだし……」
「怒ってないよ」
嘘だ。
僕の頭の中をよぎった呟きに応えるように、草薙が続ける。
「……ただ、ちょっとイラッとしただけ」
「え」
草薙は立ち上がり、僕の茶碗を持って台所の方へ行ってしまった。
さっぱり分からない。
一体何に?
というか、はっきり言って「イラッとした」なんてレベルじゃなかったような気が……。
やばい? やばいのか?
草薙が戻ってきた。
相変わらず怒っているらしい。
「はい。普通に盛ってよかったんだよね?」
「うん。ありがとう」
僕に茶碗を渡してすぐ、草薙が「そういえば」と切り出した。
「さっきの賭け、お願いを思いついたよ?」
「賭け?」
「ゴミ箱の!」
「あぁ」
僕は頬をポリポリかいた。
「俺が勝ったはずなんだけど」
というだけのことを、僕は言えなかったのだ。
「……はい。出来ることなら何でも致します」
草薙は「フフン」と笑った。
「言ったね?」
僕はその笑顔に危険なものを感じる。
「あの、お手柔らかに……」
彼女は笑い声を上げた。
「アハハ! そんな無茶を言うはずないでしょ?」
僕は肩をすくめた。
「言わないって! ただね……」
草薙が言葉を切り、ほんの一瞬不安そうな目を僕に向けた。
ただ、それは本当に一瞬で、僕がなにか言う前に彼女は言葉を続けた。
「今まで全然気にしてなかったことが、さっき急に嫌になっちゃったんだ」
何をやった?
僕はじわっと汗が滲み出てくるのを感じた。
根拠も何も無いが、嫌な予感がしたのだ。
「それで、「お願い」なんだけど……」
彼女の笑顔が怖い。
そう思うのがただの邪推であって欲しいと、僕は半ば祈るような気持ちでいた。