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そういうわけで僕は、草薙の家(かなり高いマンションの十六階にある)の居間で椅子に座り、彼女が台所で忙しそうに動いているのを見ていた。
(最初は手伝おうとしていたのだが、草薙に「足手まとい」と切り捨てられ、おとなしく待つことになったのだ)
美味しそうな音と匂いが漂ってくる。
急にお腹が減ってきて、僕は台所にいる草薙に呼びかけた。
「草薙ぃ。まだぁ?」
「んー、もうちょい」
「へーい」
僕は椅子の背もたれに向かい合うような形で座り、ほっと息を付いた。
(……疲れた)
当然といえば当然かも知れない。
でも、それは苦痛ではなかった。
多分、こういう疲れ方なら、朝に目覚めたとき、前日の疲れが体の節々に残っている、なんてことにはならないのだろう。
身体とまぶたはともかく、心が軽かった。
「お待たせ!」
草薙が大きなトレーを抱えて居間に入ってきた。
「おぉ!」
「あんまり品数はないけどね」
と、草薙は照れくさそうに笑い、食器を並べ始めた。
「ご飯と味噌汁と、それから豚肉ともやしの炒め物……だけでごめん」
「い、いやいや」
予想をはるかに上回る出来で、僕は心底驚かされていた。
「草薙、すげぇな!」
草薙の手がぴたっと止まった。
そして、かなり不機嫌な顔が僕の方を向く。
「え」
僕はその理由が分からず、ただ目を瞬かせるしか出来なかった。
「ど、どうしたの? てか、何?」
草薙は僕から顔を背けると、また食器を並べ始めた。
彼女は作業をすべて終えてから、ポツリと言った。
「……別に。ほら、食べよ?」
僕は首を傾げてしまったが、どうすればいいのかも分からないので、おとなしく目の前の食事にありつくことにした。
「……いただきます」
「どーぞ」
その声にも彼女の不機嫌さが現れていて、僕は思わず笑ってしまう。
途端に草薙の視線が飛んで来た。
「何?」
「いえ、なんでも」
僕は味噌汁のお椀を掴み、ずずっとすすりこんだ。
「お、うまい!」
「ありがと」
草薙はニコッと笑うと、自分も味噌汁に口をつけ、頷いた。
「うん、我ながらいい出来」
「アハハ!」
「何? なにか文句でも?」
「いえいえ、まさか!」
僕は一旦箸を置き、テーブルに両手をつけて頭を下げた。
「大変美味しゅうございます。本当にありがとうございます、草薙様」
せっかくおどけてみせたのに、反応がなかった。
僕は「あれ?」と思い、目だけ上げて彼女を窺う。
草薙「様」は表情を完璧に殺した顔で、黙々と箸を動かしていた。