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それから僕たちは、最寄り駅に着くまで一度も口をきかなかった。
それも、別れる寸前に待ち合わせ場所と時間を決めただけだ。
ただ単に恥ずかしくなっただけだ。
お互いがお互いを、妙に意識してしまっていた。
僕は家のドアを極力ゆっくり引っ張った。
……ドン!
(……鍵!?)
今の音でもうばれたとは思ったが、音を立てないように鍵を差し込み、ゆっくり回した。
……カ……チャ
(……ふぅ)
そっとドアを開け、するりと中に入り込み、後ろ手で鍵を閉めた。
運の良いことに、誰もいないようだった。
それでも僕は忍び足で部屋に上がり、ベッドに腰を下ろした。
「ふぁ~、疲れた」
「で、どうすんだ?音楽か?それとも昼寝?」
いつの間にかネモが隣にいた。
もう驚きはしない。
「う~ん。そーいう気分じゃないな。あ、ところで、何時ぐらい?」
「何が?」
「タイムリミット」
答えがない。
見ると、ネモはポカンと口を開けてこっちを見ていた。
「……なんだよ?」
「……お前、こっちが心配になるほど「冷静」ってか、「他人事」だな」
ネモが呆れたように言った。
意外だった。
「おや、心配してくれてんの?」
「「この馬鹿は本当に理解できてるのか?」ってな」
僕は苦笑いを浮かべるしかなかった。
「まぁ、半信半疑だからな」
「半信半疑? まだ疑ってんのか? ……まぁしょうがないかもしれんが」
「いや、お前を疑ってるわけじゃなくてさ」
「あん?」
「ただの心持だよ。「明日死ぬみたいに行動して、まだまだ生きられるように考える」。半信半疑だろ?」
「……その使い方は何かおかしいと思うんだがな」
「まぁ、細かいことは気にすんなって。で、何時?」
ネモは僕の顔をじっと見た後で、無表情に言った。
「9時半過ぎ」
「……テキトーだな」
「細かいことは気にしないんじゃなかったのか?」
僕がにらみつけると、彼はふっと微笑んだ。
「分かった分かった。9時37分38秒06だ」
「細か!!しかも微妙すぎないか?」
ネモはニヤリと笑った。
「人間、死ぬ時間は選べねぇんだよ」
僕は頭をよぎった疑問を、一瞬躊躇ったが、そのまま口にした。
遠慮する必要もない。
「逆に……選べるものってあるのか?」
「……何?」
僕は後ろのベッドに倒れこんだ。
天井を見つめていると、心臓がきりきり痛んだ。
ネモの力ではなかった。
ただ、苦しかった。
「そうだろ? ネモ。俺たちは生まれる場所も、親も、仕事も、……学校だって選べない」
「でも、仕事とかは……」
「分かれ道に気付くのは通り過ぎた後なんだよ」
少なくとも、僕はそうだった。
「それじゃ選んだことにはならないだろ?」
ネモが答えないので起き上がると、彼はさっと目を逸らした。
僕が戸惑っていると、彼が低い声で言った。
「……それなら、一旦戻って、もう一度分岐点に立つんだよ」
「へ?」
僕は不意打ちを食らったように思った。
ネモが不機嫌に続ける。
「お前ら、進むことばっか考えて、自分が戻れるって事を忘れてやがる」
彼は「よいしょ」と立ち上がった。
「突き進むだけなら、ヤクの中毒者となんも変わらねぇんだぞ」
頭がズキッと痛んだ。