35
妙にふわふわした感じで下駄箱まで歩いていくと、一段と激しいめまいがした。
それで僕は、下駄箱にもたれかかった。
と、同時に足がずりずり滑りだし、最後にぺたんと床に座り込んでしまった。
僕の情けない声が一粒こぼれた。
「……あれ……?」
(疲れてるな)
対照的に確固としたネモの声。
しかし、温かだった。
「……ま、しょうがないでしょ……」
(気張りすぎなんだよ。分かったろ? 何かを変えるってのも、生易しいもんじゃねぇんだよ)
「……後、少しだからさ……」
僕は目の辺りを押さえた。
「……何も残せないなら、何かをするしかないじゃんか……」
ネモは鼻を鳴らしたが、なんだかそれも温かく聞こえた。
「タケ!!」
目を上げると、草薙が心配そうに覗き込んでいた。
「……大丈夫?」
「……さぁね」
僕は何とか立ち上がったが、彼女はまだ心配そうだった。
僕は無理に笑って見せた時、思いついたことがあった。
しかし、それを口に出していいものか、一瞬躊躇われた。
草薙は僕の様子を観察していたが、「大丈夫」と判断したらしい。
「……タケ、行こ」
僕は彼女の顔をじっと見つめ返した。
「え? 何?」と、草薙が少し戸惑う。
僕は決断した。
腹をくくろう。
どうせ最後だ。
その価値はある。
「……あのさ」
「え?」
「明日、どっか行かない?」
草薙はキョトンとこっちを見ていた。
「どっか?」
僕は肩をすくめた。
「どっか、だよ。ここじゃない、草薙が行きたい場所」
彼女の目が変わった。
何か「深い」とでも言おうか。
後ろの感情が全く見えない。
彼女は僕の目を見つめたままで頷いた。
「……いいよ。放課後?」
「……できれば朝から」
真面目な草薙にこんなことを言うのは間違いかとも思ったが、彼女はふっと笑った。
「やっぱりね。……いいよ」
「え?」
自分から誘ったのに、相当驚いてしまった。
というか、よく考えたら、校長に「明日話すから」なんて言って逃げてきたのに。
……まぁ、いいか。あんな奴。
草薙に促されて、僕たちは学校から出た。
僕は振り向いてたまるかと思った。
ここにはもう、なにもない。
振り向いてはならないのだ。
残されたひと時のために。
そんなことを考えていた僕は、
「どうするつもり?」
という草薙の問いかけにハッと我に返った。
横を見ると、草薙が首をかしげて僕を覗き込んでいる。
質問の意図がよく分からなかったが、僕は「親にどう説明するのか」ということだととった。
僕は説明する気などさらさらなかった。
「……私服を持って出てこよう。途中で着替えれば……」
「親には黙っていくってこと?」
草薙は淡々と確認するように言った。
「当然だろ」
僕は目を背ける。
「だって許してくれるはずがないじゃん」
「出かけることじゃなくて」
草薙は横を向くと、僕の視線を追った。
「今日のこと」
「今日のこと?」
当たり前じゃないか。
今まで隠し通してきたのに、なんで今更言わなきゃならない?
「……そんな傷だらけの顔で、どう誤魔化すつもりなの?」
僕は始めて彼女の言わんとするところに気付き、顔の絆創膏に手を当てた。
そうか。 忘 れ て い た 。
「そう簡単に出してもらえるはずがないでしょ? いくらなんでも」
「まぁ、なんとかなるでしょ」
僕は肩をすくめた。
草薙が何を感じたのかは分からないが、彼女はそれ以上尋ねてこなかった。
勝算はあった。
同じ手を使えばいいのだ。
「明日」。
「明日話すから」と言えばいい。
僕はそれだけで逃げ切れるのだ。