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「アハハ、そんなに緊張しなくても」
松田先生は笑っているが、僕は顔をしかめざるを得ない。
「……それ、結構染みるんですよ」
「何言ってんの、小学生じゃあるまいし。ほら、覚悟決めて」
そして彼女は消毒を始めた。
「イテ!!」
「我慢しなさい、男だろーに」
「人の目に指突っ込んどいてそりゃないでしょ!」
「あら、失礼」
彼女はあっけらかんとしていた。
「それよりねぇ、斎藤君」
「……なんですか?」
僕はむっとしながら答えた。
しかし、先生は全く気にも留めなかった。
「君はねぇ、学校を変えたほうが良いよ」
しばらく、その場所から音が消えた。
唐突過ぎて、僕は何も言えなかった。
「分かってると思うけど、君が時田君を倒せたのはただの偶然。次、時田君と顔を合わせたら、もっとひどく痛めつけられる……」
そして、教師たちにそれを止める術はない、と彼女は言った。
「私は君が時田に反撃したことが間違いだったとは思わない。でも……」
彼女が手を止め、僕の目を覗き込んだ。
「どう考えても、それ以上戦う必要はない」
しばらく、僕は沈黙を保った。
彼女が作業を再開し、ガーゼやら絆創膏やらを貼り付けていった。
僕はかなり遅れて聞き返した。
「……それ、どういうことです?」
「意味が分からないはずはないでしょ。戦ってるのは君なんだから」
さらりと言うには、あまりに意味深で、強烈な言葉だった。
噛み締め、飲み込むのにひどく時間がかかる。
僕が黙っていると、彼女はパンと手を叩いた。
「はい、応急処置も、押し付けがましい説教もおしまい!」
僕があっけにとられていると、先生は片目を閉じて見せた。
「さ、帰った帰った! 可愛い彼女を待たせちゃいけないよ!」
僕は声を上げて笑い、立ち上がった。
「一応言っときますけど、違いますからね」
「「まだ」、でしょ。いいよねぇ。両想いの子達見てると、「青春!」って感じで」
僕は慌てて反論しようとしたのだが、松田先生のニヤニヤ笑いと僕を追い払うような手の動きを見て、何故か言葉を失ってしまった。
それで僕は顔の熱さを感じながら、逃げるようにその場を後にした。
楽しそうな笑い声が僕の背中を押していた。
保健室の外で、草薙が僕の分の荷物まで持って立っていた。
「タケ、はい、荷物」
「……サンキュ」
僕は若干うつむき加減でかばんを受け取ったが、草薙は放さなかった。
顔を上げると、彼女が真剣な目で僕を見つめていた。
「何話してたの?」
僕は一瞬前の会話を思い出し、彼女から思わず目を背けた。
「……現在の政治情勢について」
草薙は顔をしかめた。
「くだらないこと言って。学校を変えろって言われたんじゃないの?」
僕は笑った。
少しだけホッとしたのだ。
「分かってんなら聞くなよ」
しかし、草薙は表情を崩さなかった。
「行っちゃうの?」
その言葉が、僕には別の―――つまり、「逝く」という―――意味に聞こえた。
「……さぁ、分かんないな」
草薙がじっとこっちを見つめている。
その瞳の奥に、僕の「見たくないもの」が見えた気がして、僕は目を逸らした。
「……帰ろうぜ」
「……下駄箱んとこで待ってて。ちょっと忘れ物」
目を上げたときには、既に草薙は背を向けていて、表情は分からなかった。