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もう、どうでもいい。
生が苦しみだとか、そうじゃないとか、そんな難しいことを考えてなんになるんだ。
今目の前にあるのは、そんなに難しい話じゃない。
苦しみ。
ただ、それだけだ。
僕は自分に無理矢理背負わせた、ささやかな「希望」―――この先いつか来る「明日」に「何か」が変わるはずだという考え―――が、自分を離れていくのが分かった。
「希望」なんて知ったことか。
来るはずがない。
僕は思った。
「明日」なんていつでも、「今日」の繰り返しに過ぎないんだから。
冷たい決意を固め、目を開けると、ピンクの空が広がっていた。
痛む体を無理に動かし、ふらふらとフェンスに向かう。
今日はいつもよりひどく痛む。
そりゃそうか。時田だけじゃなく、クラスメートの男子のほとんどに殴られ、蹴られたんだから。
しかも時田の指示により、彼らは腹の辺りを中心的に攻撃してきた。
内から湧き上がる強い吐き気を抑えるために、今にも漏れてきそうな呻きを封じるために、口は開かなかった。
有り難いことに、フェンスの高さは胸ぐらいまでしかなかった。
これなら今の状態でも乗り越えられる。
フェンスに手をかけた瞬間だった。
「タケ!?!?」
驚いてる間に草薙が僕のシャツを掴んでフェンスから遠ざけた。
そして、尻餅をついてる僕を怒鳴りつける。
「何考えてんの!?」
僕は怒りを感じた。
あまりに激しすぎて、怒鳴り声を出すことも出来なかった。
「……邪魔すんなよ……」
「馬鹿!!タケが死んだら……!!」
「……草薙に……何が分かんだよ!?」
正直、うんざりだった。
こいつらに分かるわけがない。
救う手を持たないくせに人の道を封じるなんて、偽善以外の何物でもない。
「……これしかねぇんだよ……!道は……!!」
「違う!!」
草薙は僕の胸倉を掴んだ。
しかし、僕にたいした反応は出来ない。
彼女は僕を揺さぶった。
「ねぇ!ちゃんとこっちを見てよ!」
僕はそうしなかった。
まともに目を合わせられるはずがなかった。
「「死」は逃げ道じゃない!!」
草薙は吼えた。
僕は内心舌打ちをする。
そんなせりふうちの親でも、あの教師達でも言える。
草薙は必死で自分を抑えながら、ゆっくり手を放した。
「なんで?なんで何もしないで死のうとするわけ!?何かしてからだって遅くないでしょ!?」
僕は掴まれていた場所をさすりながら呟いた。
「……何かしたって……「明日」も「今日」と同じだからだよ」
「そんな訳ない!」
草薙はすぐに否定した。
僕が反論の意思をなくすほど(もとからそんな気力はなかったが)きっぱりと。
彼女は空を指差した。
「あの雲は昨日と同じ?あの夕焼けは?ちゃんと見て!」
僕は空を見上げ、首を横に振った。
草薙が「でしょ?」と言った。
その声がとてもやさしく聞こえたが、僕はまだ納得はしてなかった。
「……今日の電車はすいてたか?」
草薙は一瞬と惑ったようだが、すぐに首を横に振った。
「そこにいる奴らの顔は明るかったか?校長は?俺らのこと考えてたか?」
草薙は僕の問いにことごとく首を横に振った。
最後の問いの時も、迷いはなかった。
「ねぇ、何?」
僕はまだ続けた。
「星座の形は?太陽の大きさは?地球の自転の速さは?」
草薙は訝しげに首をかしげた。
「……いつもと同じだろ」
草薙は「分かった!」という顔をしたが、すぐに顔をしかめた。
「そうだけど……」
僕は間髪いれずに言った。
「明日も同じだよ」
草薙はほんの一瞬だけ空を見上げたあと、僕に向き直った。
「……変わろうとしてないから、変われない」
僕は初めて草薙の顔を見上げた。
彼女は自分の言葉に大きく頷いた。
「……きっとそうだよ」
「……じゃあ、夕焼けは変わろうとしてるって?」
草薙は大真面目に言い切った。
「多分。いや、絶対」
僕は笑ってしまった。
声を出して笑う僕を、草薙が覗き込む。
不思議とその顔がぼやけた。
「タケ……?」
彼女が僕の頬を触る。
「泣いてるの……?」
僕はそう言われて初めて、視界を覆っている代物に気がついた。
「あ、あれ……??」
拭っても拭っても、涙が流れる。
それにも笑えたが、涙だけは止まらない。
「おかしいな……」
「ゴメン、タケ……ゴメン……」
笑いながら泣く僕の横に、謝り続ける草薙がいた。
僕は訳も分からず、顔を上げて彼女を見た。
彼女のつぶった目からゆっくり流れた液体が頬をぬらし、顎まで届いて滴り落ちる。
それを見て、僕の涙は止まってしまった。
「……草薙?」
「……ゴメン……!」
彼女はうつむいた。
それで彼女の涙が一気に流れた。
僕はすっかり狼狽していた。
「あ、わ、え~っと……」
慌てた僕は、自分の涙を袖で拭き取った。
「……何謝ってんのか分かんねぇけど……」
草薙は頭を大きく振った。
「私なの……」
「え?」
草薙はしゃくりあげた。
「……先生に言ったの、私なの……!!」
彼女はやっとそう言うと、下唇をかみ締めた。
僕に彼女を責める気は毛頭なかった。
ただ、ぽろぽろと涙をこぼす草薙を見て、何も言えなくなってしまったのだ。
それで、ぎこちない手つきで彼女の頭をなでるのが、僕の精一杯だった。