第3話
投稿遅れて申し訳ございませんm(_ _)m
アーネストは、黒に近い深紺の礼装をまとっていた。
装飾はほとんどなく、仮面も銀の細線がわずかに入っただけの簡素な半仮面だった。
それなのに、不思議と人混みの中で埋もれて見えない。
「思ったより落ち着いていたな」
「……そうでしょうか」
私は少し目を伏せた。
「相手の方がリードしてくれたおかげです」
アーネストは一瞬だけ、エリオットが戻っていった方へ視線をやった。
「それもあるだろう」
低い声は、いつもと変わらず落ち着いている。
「だが、お前が足を止めなかったから形になった」
その言い方に、胸の奥が少しだけ熱くなる。
「……ありがとうございます」
「次は、もう少し肩の力を抜け。今のままだと、見ている方が疲れる」
「……そんなに固く見えましたか」
「見えた」
間髪を入れずに言われ、私は少しだけ肩を落とした。
「気をつけます……」
「もう一曲くらいなら動けるか」
「え……はい」
「なら、次は私が相手をする」
思わず、私は目を見開いた。
アーネストはそれ以上何も言わず、私へ手を差し出す。
私はその手と、アーネストの顔を見比べた。
どうして、この人は……。
胸が苦しくなる。
それでも断る言葉は出てこなかった。
私はそっと手を伸ばした。
けれど、指先が触れる直前になって、自分の手がわずかに震えているのに気づく。
そのとき、アーネストの手が静かに私の指を包んだ。
「そんなに身構えるな」
「……はい」
かろうじて返すと、アーネストは私の手を取ったまま、広間の中央へ歩き出した。
ちょうど切り替わったのは、先ほどの曲よりも少しゆるやかなものだった。
広間の中央でアーネストは軽く向き直り、私の立ち位置を整える。
「今度は足元ばかり見るな」
そう言って、彼は空いた手を私の腰のあたりへそっと添えた。
礼法として正しい位置なのだと分かっている。
それなのに、その瞬間、布越しの熱が一気に意識へ上ってきた。
「……っ」
「呼吸を合わせろ」
低い声が近い。
「私を見る必要はない。まずは力を抜け」
音楽が流れ、周囲の組がゆるやかに動き始める。
私は慌てて足を出しかけたが、アーネストの手がわずかに力を返し、早すぎる一歩を自然に抑えた。
「急がなくていい」
「……はい」
「さっきより簡単だ。曲に合わせて歩幅を取れ」
言われた通りに息を合わせようとする。
けれど今は、それどころではなかった。
アーネストは、こちらが崩れそうになるたびに歩幅を合わせてくる。
甘やかすでもなく、ただ、私が迷わないように支えているようだった。
「肩に力が入っている」
「……すみません」
「謝るな。抜け」
短く言われて、私は小さく息を吐いた。
すると、ほんの少しだけ動きがましになったのか、アーネストの手から返ってくる力がやわらぐ。
「そうだ。そのくらいでいい」
その声音が穏やかで、胸がまた苦しくなる。
――どうして、離してくれないのだろう。
思わず顔を上げた、そのときだった。
仮面の奥にあるアーネストの目が、ほんのわずかに揺れて見えた。
その視線に、私は一瞬息を止める。
「……そんな顔をするな」
「え……」
「ますます力が入る」
そう言って、アーネストは私の腰へ添えた手の力をほんの少しだけ緩める。
でも、その手が離れることはなかった。
やがて曲が終わり、アーネストは最後まで乱れない足取りのまま私を止めた。
静かに礼を執られ、私は少し遅れて頭を下げる。
「……少しは慣れたか」
「はい……おかげさまで……」
「そうか」
短く答えたあと、アーネストは私を見た。
「先ほどより、余計なことを考えていたな」
「え……そ、そんなつもりは……」
「そう見えた」
私は言葉に詰まった。
アーネストはほんの一瞬だけ黙り、それから低く続ける。
「……そんなに、私の相手はやりにくいか」
「ち、違います……!」
思わず強く否定すると、アーネストはわずかに目を伏せた。
「なら、そんな顔をするな」
なぜか、その声が苦しそうに聞こえ、私は返す言葉を失う。
「こちらまで、加減が分からなくなる」
低く落ちたその一言の意味を、私はすぐにはうまく飲み込めなかった。
ただ、胸の奥だけがまた苦しくなる。
何か言わなくてはと思うのに、言葉が見つからない。
そのときだった。
「――お話し中、失礼いたします」
明るい声が割り込んできて、私ははっと顔を上げた。
振り向くと、ルーカスがやわらかな笑みを浮かべて立っていた。
「先ほどのお約束を、今ここで頂いてもよろしいですか?」
一瞬、空気が止まった気がした。
アーネストは何も言わない。
ただ、仮面の奥の視線だけが静かに私へ落ちる。
「……どうする」
問い返されて、胸がぎゅっと縮む。
けれど、このまま彼の前に立っているのも苦しかった。
「……はい」
ルーカスはやわらかく微笑み、すっと手を差し出す。
私はそれを取ろうとして、なぜか一瞬だけためらった。
けれど次の瞬間には、もう逃げるようにその手へ自分の指を重ねていた。
軽やかな曲に合わせて一度ゆるく回ったあと、ルーカスが仮面の奥で笑った。
「少しは、仮面舞踏会を楽しめていますか?」
「え……はい。皆様、話しやすい方ばかりで」
「それはよかった。ですが、それはエリナ嬢がきちんと相手の言葉を受けていらっしゃるからですよ」
そう言われて、私は少しだけ苦笑した。
「ありがとうございます。でも、それは皆様も同じです」
「なるほど。では、今夜の客人たちはなかなか優秀ですね」
ルーカスが冗談めかして言うので、私は思わず小さく笑った。
「先ほどの手土産も、母がとても喜んでいました」
「そうでしたか」
「ええ。ですから――もしご負担でなければ、近いうちに茶会へいらっしゃいませんか」
私は思わず目を上げた。
ルーカスはそのまま、静かに続ける。
「干し林檎のお話も、もう少し伺いたいのです。今度は、もう少し落ち着いた場でお話しできればと」
私は息を呑んだ。




