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都合のいい私を、辞めることにしました  作者: 福嶋莉佳
八章

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第4話

茶会を終え、屋敷を出るころには、空気はすっかり冷えていた。


用意された馬車に乗り込み、扉が閉じられる。


しばらくのあいだ、車輪の音だけが静かに響いた。


向かいに座る姉は、すぐには口を開かなかった。


やがて、小さく息をつく。


「……思っていたより、上出来だったわね」


「え……」


「ただし、あれは奥様のおかげよ」


姉の視線がこちらへ向く。


「あなた一人で立てたわけではないわ」


「……はい」


「……気に入られたようには見えるわね」


その言葉に、胸がわずかに揺れる。


「ただし、それがどういう意味かは別の話よ」


私は黙ったまま、姉を見る。


「ヴィオラ様もいらして少し驚いたけれど……当然よね」


窓の外へと視線が向けられる。


「本来、あの場で名が挙がるのはあちらよ……あの方は、簡単にどうこうなる相手ではないわ」


胸の奥が、きゅっと締め付けられる。


「わたしは……そんなつもりは……」


思わずこぼれた言葉に、姉は一度だけこちらを見た。


「分かっているわ。あなたがどういう子かくらい」


落ち着いた声だった。


「でも」


視線が、再び窓の外へ向く。


「そう見られる場に、もう立っているのよ」


言葉が、静かに落ちる。


私は何も言えず、膝の上で手を握りしめた。


「それだけのことよ。……忘れないで」


姉の声は、どこまでも穏やかだった。


馬車は揺れながら、夜の領地道を進んでいく。


私はそのまま、窓の外を見つめた。


遠くに見える屋敷の灯りが、ぼんやりと滲んで見えた。




結局、三棟目の乾燥小屋を建てることにした。


思っていた以上に、仕入れの目処が立ったからだ。


カイルが持ってきた林檎を見たとき、思わず息を呑んだ。


「……こんなに、集まったんですか?」


屋敷の応接間でカイルと向かい合い、テーブルに広げられた紙を見る。

箱数、時期、運搬の目安。

細かく書き込まれている。


カイルは椅子に深く腰掛けたまま、肩をすくめた。


「声かけて回っただけですよ」


「だけって……」


カイルは軽く茶を口に含んだ。


「規格外で余ってるところなんて、探せばいくらでもあります」


私は顎に手を当て、紙を見つめる。


ありがたい。

けれど、この量をそのまま抱え込めば、倉庫はすぐにいっぱいになる。


――乾燥小屋を、もう一棟。


頭の中で計算を巡らせる。


建てること自体はできる。

けれど、そこまで増やして捌ききれるのか。


視線が紙の上を行き来する。


パン工房とは定期の話が出ている。

茶会でも、反応は確かにあった。


――「あなたが形にしていけば、それで十分よ」


ふと、あの声がよぎる。


……でも。


「悩んでる顔ですね」


カイルがくつくつと喉の奥で笑った。


私は顔を上げる。


「だって……増やせばいいってものでもないでしょう」


「そうですか? 売れりゃ正解じゃないですか」


「それが分からないから悩んでるんです」


少しだけ声が強くなる。


カイルは肩をすくめた。


「じゃあ聞きますけど」


視線がまっすぐこちらに向く。


「売れる見込み、ないんですか?」


言葉が、一瞬止まる。


――伯爵夫人の穏やかな視線。

――茶会での夫人たちの反応。

――そして、去り際にかすめたあの視線。


「見込みは……あると思います」


カイルは一瞬だけ目を細めた。

それから、ふっと笑う。


「じゃあ建てましょう」


「そんな、あっさり……」


「迷ってる時間のほうが、もったいないでしょう」


私は思わず言葉に詰まった。


そのとき、卓上の皿に載せてあった試作の干し林檎へ、カイルが手を伸ばした。


一枚つまみ、口へ放り込む。


噛んで、少しだけ眉を上げた。


「……塩、利いてますね」


「酸味の強い林檎を干して、少しだけ塩をまぶしたんです」


私は皿へ視線を落とした。


「そのままでは使いにくいから、何とかできないかと思って」


カイルはもう一枚つまみながら、軽く頷いた。


「どうですか?」


「悪くないです」


それだけ言って、もう一枚つまむ。


「よかった……」


胸の奥が、少しだけ軽くなる。


カイルは茶を飲み干し、立ち上がる。


「また林檎集めてきますよ。それまでに準備しといてください」


「え、ちょっと――」


「決めたんなら、動きましょう」


振り返りもせずに言い残す。


その背中を見送りながら、私はもう一度、紙に目を落とした。


「止まるわけにはいかないものね……」


私は静かに息を吐いた。


――そして今、乾燥小屋三棟目が完成しつつある。


私は領民たちと向き合いながら、ゆっくりと言葉を選んだ。


「人員は、少し余裕を持たせましょう」


作業表の上に指を落とす。


「それから、検品はもう一工程増やしたいの」


数人が顔を上げる。


「……理由を、伺ってもよろしいですか」


「品質を、落としたくないの」


視線を、乾燥棚の並ぶ方へ向ける。


茶会での光景が、ふとよぎる。


あの場に並んだ視線。

評価の言葉。


――そして、測るような目。


「これからは、真似されることもあると思う」


静かに言葉を落とす。


「だからこそ、ここでしか作れないものを守らないといけないの」


手元の紙に、指先を添える。


「うちの領地でしか出せない味を、そのまま届けたい」


部屋の空気が、少しだけ引き締まる。


私は顔を上げた。


「そのための手間は、惜しまないつもりよ」


短い沈黙のあと、

一人が小さく頷いた。


「……分かりました」


その声に続くように、他の者たちも頷いていく。


ある程度見届けたあと、私は屋敷へ戻った。


――王都へ行く準備をするためだ。


仕立て屋に、ドレス代を返さなければならない。


「うう……」


思わず額を押さえる。


正直、痛い。


けれど。


「……宣伝にはなったし……」


小さく呟いて、息を吐く。


あの場で名前が出た。

味も覚えられた。


――無駄ではない。


机の上に置かれた手紙を手に取る。


グラーフ伯爵夫人からの紹介状だ。


それをそっと胸元へしまった。


「……そろそろ時間ね」


小さく呟き、荷物を持って立ち上がる。


玄関を出たところで、私は思わず足を止めた。


門前に、一台の馬車が控えていた。


「わ……」


馬車は家のものよりひと回り大きく、扉脇には見覚えのある紋章が控えめに入っていた。

馬具の手入れも行き届いていて、全体に隙のない造りをしている。


御者がこちらに気づき、恭しく一礼する。


「エリナ様。お迎えに上がりました」


「……ありがとうございます」


私は荷物を抱え直した。

指先に、少しだけ力が入る。


侍従が扉を開く。


内装は落ち着いた造りだった。

座面は深く、揺れも拾いにくそうで、長く乗っても疲れにくそうに思えた。


――さすが、グラーフ伯爵家の馬車だわ。


そんな場違いなことを思いながら、私はそっと腰を下ろした。


扉が、静かに閉まる。

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― 新着の感想 ―
王道の、家族全部敵みたいな話と思って読み始めました。 姉は、味方なのか?最後に妹の手柄かっさらう系? アシストがすごい的確だし、段々と姉から目が離せない(>ω<)
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