第4話
数日後、王都のパン工房から便りが届いた。
干し林檎を使ったパンや焼き菓子が、思った以上に評判らしい。
『林檎の甘みが強いので、砂糖をかなり減らせました。
もし可能なら、もう少し干し林檎を回していただけないでしょうか』
手紙を読みながら、私は思わず息を吐いた。
その日の午後、今度はカイルが荷車を引いて現れた。
「頼まれていた規格外の林檎、お持ちしました」
籠を覗くと、小ぶりだったり形の悪かったりする林檎が山のように入っている。
「こんなに……」
「今年は出来がいいらしいです。
市場に出せない分が、かなり余っているそうで」
私は林檎を一つ手に取った。
――これなら、もっと作れる。
「本当にありがとう……」
思わず微笑むと、カイルは少し肩をすくめた。
「礼を言うのは、まだ早いですよ」
籠の林檎を一つ手に取り、軽く放って、また受け止める。
「これ、全部売れたら、その時に言ってください」
私は思わず笑ってしまった。
「売ります」
「なら、いいでしょう」
カイルは荷車の柄にもたれながら続ける。
「今年はまだ余っている農家も多いんです。
売れるなら、もっと集めてきますよ」
私は少し驚いた。
「そんなにあるんですか?」
「ええ。形が悪いってだけで弾かれる林檎なんて、山ほどありますから」
私は林檎を見下ろした。
こんなにあるのに、市場には出ない。
――形が悪いというだけで。
干し林檎にすれば、十分使えるのに。
胸の奥が、少しだけざわついた。
「……なんだか、申し訳ないですね」
カイルが眉を上げる。
「何がです?」
「農家の方はこれだけ作っているのに、
私はそれを安く仕入れて……」
言いながら、言葉が弱くなる。
「売る時は、もっと高くなりますから」
カイルは一瞬ぽかんとして、それから、くっと笑った。
「お嬢さん」
林檎を一つ放り、また受け止める。
「それ、誰も損してませんよ」
「え?」
「農家は、捨てるはずの林檎が金になる」
指で林檎を軽く弾く。
「俺は運んで金になる。
で、あなたは売って金になる」
少しだけ口の端を上げた。
「これを世間じゃ、うまい商売って言うんです」
私は林檎を見ながら、ほっと息を吐いた。
「そっか……」
それでも、もう一つだけ口にする。
「……せめて、買い取る時は、あまり叩き値にはしないでくださいね」
カイルは少しだけ目を細めた。
「……わかりました。
農家にも得になる値で、まとめておきます」
「お願いしますね」
私は少しだけ安心して息を吐いた。
「あ、そうだ」
持っていた籠を開く。
「焼き菓子を持ってきたんです。
干し林檎で作ったもので」
一つ差し出す。
「よかったら、皆さんでどうぞ」
カイルは籠を覗き込んだ。
「……ほう」
一つつまみ上げる。
「王都で評判の」
「まだ、そこまでじゃありませんけど……」
カイルは一口かじった。
しばらく黙って噛む。
それから小さく息を吐いた。
「……なるほど」
もう一口かじる。
「そりゃ、売れますな」
私は思わず笑ってしまう。
カイルは籠を持ち上げた。
「では、遠慮なくいただきます」
「どうぞ」
荷車のほうへ歩きながら、振り返る。
「また林檎、持ってきます」
「お願いしますね」
荷車がゆっくりと門の外へ出ていく。
私は籠の中に残った林檎を見下ろした。
胸の奥に、小さく、けれど確かな手応えが残っていた。
◆
「お兄様、収支を見ていただけますか?」
兄は顔を上げた。
「ああ」
短く答えると、手を差し出す。
「そこに置け」
私は帳面を机の上に差し出した。
兄はそれを受け取り、ぱらりと頁をめくる。
「……銀貨五十か」
兄は目を細めた。
「思っていたよりは稼いでいるな」
「パン工房とも、定期的な契約が見込めそうなんです」
「……定期か」
兄は帳面を閉じる。
「量は回せるのか」
「はい。乾燥小屋を増築しましたから。
うまくいけば、月に四十箱は用意できます」
「……そうか」
兄は少しだけ考えるように間を置いた。
「なら、もう遊びではないな」
私は小さく息を吐いた。
兄は帳面を差し出す。
「収支は毎月まとめておけ」
「はい」
私はそれを受け取る。
兄はすでに次の書類へ視線を落としていた。
「失礼しました」
私は静かに部屋を出た。
廊下を歩きながら、頭の中ではもう次のことを考えていた。
干し林檎の出来。
来月の発注数。
茶会の試作。
干し林檎の卸先を増やすべきか。
パン工房だけでなく、ほかの店にも試してもらえるかもしれない。
もし月四十箱が安定すれば――
私は指を折りながら考え込む。
その時、廊下の鏡に自分の姿が映った。
足が止まる。
「……あ」
ふと、思い出した。
伯爵夫人の茶会。
私は鏡の中の自分を見つめる。
――茶会用のドレス。
「……いる?」
私は部屋に戻り、クローゼットを開けた。
いつも茶会に着ていたのは、姉から譲られたドレスだ。
深紅の生地に黒レースとリボンをあしらった、華やかな茶会用のドレス。
胸元の飾りも袖口の意匠も少し大ぶりで、人目を引く愛らしさがある。
姉にはよく似合う一着だった。
私はそれを取り出し、しばらく見つめた。
「……とりあえず、着てみて……」
着替えて鏡の前に立つ。
少しだけ首を傾げた。
胸元が少し余る。
腰の位置も、どこか落ち着かない。
鏡の中の自分を見つめる。
「……似合って、ないよね……」
ぽつりと呟いた。
前は、そんなこと考えたこともなかった。
服なんて、着られればそれでいいと思っていたから。
でも――
アーネストから贈られたドレス。
ヴァルクレイン伯爵夫人に整えてもらった装い。
あの時、自分に合う服というものがあるのだと知った。
鏡の中のドレスをもう一度見下ろす。
「……これは、違う」
小さく息を吐いた。
しばらく考えて、ぽつりと呟く。
「……仕立ててもらう、べき?」
ついに私も……。
「……これは投資よ、うん」
自分に言い聞かせるように頷く。
仕方ない。
それに、今後も同じようなことがあるかもしれない。
今、作っておくべきよね。
……でも、どこに?
私は少し考える。
「姉に聞けばいいか……」
そう思って部屋を出ようとした瞬間、
ドアノブに手をかけたまま固まった。
「はっ……」
いや、だめだ。
結局、姉に似たものになってしまう。
「……あ」
ふと気づく。
「……そっか」
伯爵夫人に聞けばいいんだ。
机に戻り、便箋を取り出す。
ペンを走らせながら、小さく呟いた。
「伯爵夫人の茶会だもの」
くすっと笑う。
「夫人の茶会に似合うものにすれば、いいよね」
私は呼び鈴を鳴らした。
しばらくして侍女が入ってくる。
「お呼びでしょうか」
「伯爵夫人へ手紙を出してほしいの」
書き終えた便箋を差し出すと、侍女はそれを丁寧に受け取った。
「かしこまりました」
部屋を出ていくのを見送り、私は小さく息を吐く。
「さて……」
私は机に向き直った。
やることは山ほどある。
干し林檎の出来を確認して、
次の発注数も考えないといけない。
そこで、ふと手が止まる。
「初めての仕立て、か……」
胸の奥が、少しだけ弾んだ。
私はまたペンを走らせた。




