第3話
私は混乱したまま、慌てて頭を下げた。
「も、申し訳ございません。お話し中にお邪魔してしまって……」
グラーフ伯爵夫人は一瞬きょとんとしたあと、ふっと笑った。
「あら、謝らなくていいのよ。
むしろ私のほうが突然来てしまったのだもの」
私は一瞬、言葉に詰まる。
伯爵夫人はにこやかなまま、やわらかく続けた。
「だから、どうぞ気にしないで」
その時だった。
ふわりと甘い香りが部屋に漂う。
伯爵夫人が小さく瞬きをした。
「あら」
その視線が、私の抱えた籠へ落ちる。
「いい香りがするわね」
私は慌てて籠を抱え直した。
「あ、あの……こちらは干し林檎で作った焼き菓子です」
伯爵夫人の目が、ぱっと明るくなる。
「干し林檎?」
「は、はい。領地で作っている干し林檎なのですが、料理人にお願いして焼き菓子にしてもらいました」
「いい香りだと思ったわ」
伯爵夫人はアーネストを見た。
「いただいてもいい?」
アーネストは一瞬だけこちらを見る。
私は慌てて頷いた。
「も、もちろんです」
伯爵夫人は嬉しそうにひとつ手に取った。
「ありがとう」
小さく一口かじる。
しばらくゆっくり咀嚼して――目を少し丸くした。
「まあ……これ、とても美味しいじゃない」
私は胸の奥の力が抜けるのを感じた。
伯爵夫人はもう一口、焼き菓子をかじる。
「本当に美味しいわ」
「ありがとうございます……」
その時、アーネストが口を開いた。
「小売のほうはうまくいっているようだな」
私は顔を上げる。
「はい。おかげさまで。街道沿いの小売店が一番よく売れています」
「それで、相談とは何だ」
「市場を、もう少し広げたいと思っていまして」
伯爵夫人が興味深そうにこちらを見る。
「市場を?」
「はい。規格外の林檎を仕入れられるようになりそうなので、生産量を増やせる見込みが出てきました」
アーネストは腕を組む。
「規格外か……」
しばらく考えるように黙り込み、やがて視線を上げた。
「供給量はどれくらい見込める」
「今年はかなり出るそうです。もしうまくいけば、来年以降も続けられると」
「……なるほど」
私は小さく息を吸った。
「あの……ですので、庶民向けだけでなく、貴族向けにも売り出したいと思っていまして……」
アーネストは黙ってこちらを見る。
私は思い切って続けた。
「もし差し支えなければ、夜会や実務者会で干し林檎を使っていただけないでしょうか」
「理由は?」
「まずは、食べていただく機会を作れればと思いまして」
アーネストはしばらく私を見つめていたが、やがて小さく息を吐いた。
「試してみる価値はあるな」
「……っ、本当ですか?」
その横で、伯爵夫人が楽しそうに焼き菓子をもう一口かじる。
「いいじゃない」
ぱく、と軽く頬張ってから、籠を覗き込む。
「これなら、干し林檎だけでも十分いけるわよ」
もう一枚つまんで口に入れる。
「ほら、これも美味しい」
私は小さく頭を下げた。
「頼る形になってしまい、申し訳ありません」
少し視線を落とす。
「……本当は、自分で茶会を開くことも考えたのですが」
言葉を選びながら続けた。
「母がおりませんし、私では夫人方との繋がりも少なくて……」
一瞬、沈黙が落ちる。
その沈黙を破ったのは伯爵夫人だった。
「あら、そんなこと気にしなくていいのよ」
伯爵夫人はにこにこと笑っている。
「若い娘がひとりで商売を始めているだけでも立派だもの」
そして楽しそうに言った。
「それに、こういう美味しいものを持ってきてくれるなら、いくらでも協力したくなるわ」
私は思わず目を瞬かせた。
その横で、アーネストが小さく息を吐く。
「謝る必要はない」
私は思わず顔を上げた。
アーネストは腕を組んだまま言う。
「売る側が機会を作るのは当然だ」
それから少しだけ視線をこちらへ向けた。
「むしろ、よく考えている」
「……ありがとうございます」
頬が少し熱くなる。
その時、伯爵夫人がぱっと思いついたように言った。
「それなら、茶会を開けばいいじゃない」
「茶会……ですが、私は……」
「ええ。だから私が夫人方を何人か呼ぶわ」
焼き菓子をもう一口かじりながら、さらりと言う。
「この干し林檎も出せばいいでしょう?」
私は思わず言葉を失った。
「よ、よろしいのですか……?」
「ええ、構わないわよ」
そしてふと思いついたようにアーネストを見る。
「この屋敷でいいでしょう、アーネスト?」
アーネストは一瞬だけ眉を動かした。
「……母上」
私は思わずアーネストを見る。
視線が合い、
胸の奥がきゅっと締まった気がした。
アーネストはわずかに目を細め、そして小さく息を吐いた。
「……好きにすればいい」
「ほら、いいって」
私は思わず何度も頭を下げた。
「ありがとうございます……!」
◆
エリナが去り、扉が閉まる。
執務室に静かな空気が戻った。
伯爵夫人は紅茶をひと口飲み、それからちらりと息子を見る。
「……ねえ、アーネスト」
「何だ」
「どうして隠していたの?」
アーネストは眉を寄せる。
「何をだ」
伯爵夫人は楽しそうに笑った。
「素敵な娘じゃない」
アーネストは何も言わない。
伯爵夫人は肩をすくめる。
「ヴィオラ嬢の話をしていたのに。ちゃんといるじゃない」
アーネストは小さく息を吐いた。
「母上」
「なあに?」
「違う」
伯爵夫人は面白そうに息子を見た。
「そう?」
そして、楽しそうに紅茶を口へ運んだ。




