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甘いヴァレニエ、苦い平和  作者: 万里小路 信房


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2、ひと匙の甘み

 爆破テロの混乱から一夜明け、宰相府の一室。


 昨日の爆発は魔法を使った粉塵爆発だった。粉塵爆発は細かい粒子が漂う空間で起こる。条件がいろいろあって、自然では滅多に起こない現象だが、精霊の力を使えば簡単に制御できる。爆発系の魔法は大抵、この粉塵爆発の原理を利用している。


 アンドレアは、目の前に座る同年代の少女――オスカーを盗み見ていた。 上司から彼女は大公国の近衛騎士として正式に紹介されたが、その身のこなしは騎士というよりは、研ぎ澄まされた抜身の剣そのものだった。


 帝国宰相は、大公国側の独自調査を認めるという異例の措置をとった。だが、その案内役に選ばれたのが、昨日シャンデリアの下で腰を抜かしていた見習いのアンドレアだという事実が、帝国の冷ややかな本音を物語っている。


「……あの、自己紹介がまだだったね。僕はアンドレア。昨日は、その、助けてくれてありがとう」


「任務を果たしただけ。それと、私はあなたのお守りをするためにここに来たわけじゃない」


 オスカーは与えられた宰相府の一室で、一度もアンドレアと目を合わせず、宰相府の部屋割りと帝都の地図を凝視している。 彼女にとって、この豪華な宰相府も、美しい帝都の街並みも、攻略すべき地形か、警戒すべき伏兵の潜伏先にしか見えていないようだった。


 二人は捜査の名目で街へ出た。アンドレアがよく知る華やかな目抜き通りではない。オスカーが選んだのは、帝都の繁栄から取り残された、湿った裏路地だった。


「待ってくれ、こっちは治安が……」


「敵を知るなら、喉元を見るべきよ。ここには前線から強制送還された負傷兵や、職を失った民衆が集まっている」


 そこでアンドレアが目にしたのは、公的な文書には記されない帝国の姿だった。片足を失った若い兵士が、勲章をパン一つと交換しようと縋り付いている。路地裏の配給所には、飢えた子供たちが列をなしていた。


「帝国は勝っているはずじゃ……」


「あなたの言う勝利は、誰の犠牲の上に立っているの?」


 オスカーの言葉は、冷たい刃のようにアンドレアの心に突き刺さる。彼女の瞳にある孤独の正体を、アンドレアは少しずつ理解し始めていた。


 歩き疲れた二人は、目立たない小さな茶店に入った。オスカーは椅子に座るなり、周囲の退路を確認する動作を怠らない。アンドレアは、少しでも彼女の緊張を解こうと、お茶の飲み方の話をした。


「こっちではこのヴァレニエを舐めながら、お茶を飲むんだ。とても甘いよ」


 真っ赤なクランベリーをじっくりと砂糖で煮詰めた、帝国の伝統的な保存食ヴァレニエ。アンドレアが銀のスプーンをすくって口に入れる。


「糖分は脳の活性化に必要だ。効率的な栄養剤だな」


 オスカーは事務的に答え、銀のスプーンを受け取ろうとした。だが、彼女の指先がわずかに震えているのが、アンドレアにはわかった。恐れている? 何に? 


 アンドレアは知らなかったが、オスカーは戦うことだけを教えられ、自分のために何かを味わうという贅沢を知らずに育ったのだ。


「いいから。……はい」


 アンドレアは、ヴァレニエをたっぷり掬ったスプーンを、彼女の唇に近づけた。 オスカーは一瞬、拒絶するように身を引いたが、アンドレアの真っ直ぐな瞳に気圧され、観念したように小さく口を開いた。


 とろりとした甘みが、彼女の舌の上で弾ける。 クランベリーの微かな酸味と、煮詰められた砂糖の濃厚な熱。


「……あ」


 彼女の喉が小さく震えた。氷のように冷たかった彼女の表情に、見たこともない戸惑いが宿る。


「甘い。……なんだか、胸の奥が熱い感じがする。これは、薬なの?」


「薬じゃないよ。それは美味しいっていう感覚なんだ」


 アンドレアが微笑むと、オスカーは気まずそうに視線を逸らした。だが、彼女の頬はヴァレニエの色と同じように、ほんのりと赤く染まっていた。彼女の凍りついた時間が、ひと匙の甘みによって、わずかに溶け始めた瞬間だった。


 そんな二人の小さな平穏を破るように、店の中、冷徹な靴音を立てて人影が二人の卓に近づいてきた。


「実に見苦しく、そして美しい光景だね」


 現れたのは、中年に差し掛かったあたりの、冷たい顔をした男だった。周囲に聞こえないよう小さな声で、秘密警察副長官のロレンツォと名乗った。彼は飾り気はないが、仕立てのいいコートの襟を正し、底冷えのする笑みを浮かべている。


「宰相府は事件の調査に消極的だと思っていた。いやいや君たちのことを見くびっていたよ。こんなに優秀だったとは」


「ロレンツォ副長官……。僕たちは、爆破事件の調査を……」


「わかっているよ。私は君たちを助けに来たのだ」


 ロレンツォは懐から、一通の封印された書簡を取り出した。


「私は平和を愛する。不純物のない、完璧な平和を。これは私が個人的に収集した、爆破事件に関わる物流の記録だ。これを見れば、西の連合の影などどこにもないことがわかる。犯人は、もっと身近な場所にいる」


 彼の言葉は、協力の申し出でありながら、同時にアンドレアたちを逃げ場のない闇へと誘う招待状でもあった。ロレンツォの提供した資料によって、捜査は加速し、二人は後戻りできない帝国の深部へと足を踏み入れていく……。

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