第 3 話 水の精霊王との邂逅 その1
「――であるからして、今日から1年の猶予を与えます。あなた達はこの学園を出てアウリシェルの森に入り、幻魔などを使い魔にし、無事に帰って来てください……」
体育館で学園の校長が熱意ある瞳で学生達を見回しながら、 拡張魔法で話していた。
1年後に無事帰ってきたら卒業資格を得ることができ、魔法組合の審査を経て、晴れて魔法使いと認められるのだ。これは代々続く伝統的な儀式で、多くの偉大な魔法使いがこの試練を乗り越えてきた。
「私達はあなた達に全てを教えました。もう私達の教えることは何一つありません。1年後、またこの場所で会いましょう。ここにて解散……各自、担任の指示に従いな……」
校長が締めくくりの言葉を述べようとした、その時だった。
「すみません!遅れましたーー!!」
勢いよくドアが開いた。息も荒く、体育館の扉の前にはレオが立っていた。黒い髪を乱し、制服を整える暇もなかったのか、少しよれている。
「またお前か~!!!」
校長の怒号が拡張魔法の影響で響き渡った。
あまりの大音量に生徒達が耳を塞いだ。体育館全体に反響する校長の声は、まさに雷鳴のようだった。
「毎度毎度、これで何度めか!!」
校長は、はち切れんばかりの腹を揺らしながらレオを指さした。その指は震えており、長年の積もり積もった怒りが感じられる。
「はい!!これで104回目でございます!!」
レオは居住まいを正し、正直に答えた。彼なりに礼儀は弁えているつもりだった。
「戯け!!0がもう一つ足らんわ!!正確に言うと8年と1040回目だ!!」
「よくご存知で……」
レオは内心舌を巻いた。校長の記憶力に、ある種の敬意すら感じていた。
「ふっ…なんせこの儂はこの日記に記入しておるのだ!!」
「どうだ!」と言わんばかりに、校長は亜空間魔法を使い厚い日記を取り出した。表紙は使い込まれて色あせており、相当な年月が経っていることが分かる。
「このノートが8冊あるうえに、今日で1040日目なんだ!!…ん?なんだ?」
その時、一人の教師が校長に近づき、耳元で何かを囁いた。校長はその話に耳を傾け、何度か頷いている。話が終わると、教師は恭しく礼をして壇上から降りた。
「ウォッホン!!」
校長はわざとらしい咳をして、レオとのやり取りを打ち切った。
「時間を大変取ってしまったので、各担任のもとに行き、生徒達は最後として簡単な精霊を呼び出す試験を受けること……在校生徒は各教室に戻り、担任の先生が来るまで自習とする!……以上!!」
そう言うと、校長は壇上から降り、校長専用の席に座った。椅子が重みに耐えきれないとばかりに軋む音が響く。
レオはその時、あることに気づいた。
皆の視線が痛いことと、ぼそぼそと聞こえてくる声……
「余計なことを……」
「いい加減にしてくれよ」
「これだから落ちこぼれは……」
「あいつが要らんこと言わなければ、早く終わったのに」
「あいつが入学できた時点でおかしいだろう?」
「最後まで足引っ張りやがって」
「こうしている間に使い魔になるかもしれない妖魔達がどこかに行ったらどうしてくれるんだ」
口々にレオに対しての不満を呟く声に、レオは泣きたい気分になった。鼻の奥がツーンとした。
「ぐずぐずするな、早く行け!!」
一人の教師が怒鳴った。その言葉に生徒達は従い、全員外に出て各自、担任の指示を待った。
外の空気は少し冷たく、アウリシェルの森への出発を控えた生徒達の緊張感が漂っていた。
「いいか、お前達、今から杖を渡す順番に来い!!」
しばらくして、担任が束ねられた杖を脇に抱えながらやって来た。それぞれの杖は微妙に異なる木材で作られており、持ち主の魔力に応じて選別されたものだった。
全員に配り終えると、担任は手を叩いて視線を向けさせた。
「全員持ったな、よし!!今からお前達には水の精霊を呼び出してもらう……」
「えぇ~、それはないよ先生!!水の精霊だなんて」
生徒達が一斉に嫌がった。なんせ水の精霊は気まぐれでプライドが高く、それに警戒心が異常に高くて簡単には現れてくれないのだ。火や土の精霊に比べて、格段に召喚の難易度が高い。
「ぐだぐだ抜かすな!!決めたんだ、出席番号1番からやれ」
担任は腕を組みながら顎をしゃくった。その表情には有無を言わさぬ決意が込められていた。
「は、はい!!」
最初の生徒が呪文を唱えて精霊に呼びかける。集中して魔力を込めると、手乗りサイズの水の精霊が現れた。小さいながらも美しく透明な体を持つ精霊に、生徒は無事に召喚できたことに安堵の息を吐いた。
「よし、次!!」
この調子で番号順に進んでいき、ついにレオの番がやって来た。
「最後……43番」
さっきまで威風堂々と立っていた担任の表情は、なんだかとても嬉しそうだった。無理もない。学園の恥、落ちこぼれがいなくなるからだ。我慢しているつもりだろうが、レオを見ると顔がもう笑っていた。
「はい!!」
気にせず、レオは意識を集中して精霊に語りかけるようにゆっくりと呪文を唱え始めた。
「我、命ずる……透き通る泉に住みし水の精霊よ……」
呪文を唱えながら、レオの心は何故か昔のことを思い出していた。
そう言えば昔、僕はあの頃雲になりたかったっけ……大空を自由に泳いでみたかったんだろうな。その時、綺麗な青年に会ったんだっけ……よく思い出せないや……今どうしているのかな……
「我が声が聞こえるならば、今ひとたびこの場に現れ、我が命に答えよ!!」
魔法陣が足元に現れるが、その円は一向に光らなかった。魔力が込められず、そのまま役目を終えたかのように魔法陣は無数の光の粒となって散在し、消滅した。それはガラスが割れるかのような、神秘的だが儚い光景に見えた。
沈黙……
何も現れない。静寂の中、誰かのクスリと笑う声が聞こえ始めた。その声に触発されるかのように忍び笑いが聞こえてくる。堪えきれずに我慢していた者達も笑い出した。笑い声はますます多くなり、場の空気は嘲笑に満ちていく。
「っ――」
レオは俯きながら拳を握りしめた。恥ずかしくて、情けない自分が悔しくて、涙が滲み出てきた時だった。
『何が可笑しい』
その声は誰もが聞いたことのない、澄んだ声だった。例えるなら、発する声に応えるようにその場が清められるかのような、神聖な場所にいる錯覚に陥るほどの……
急に聞こえてきた声に笑い声は途絶えた。静寂の中、皆が声のした方を探すと、そこには、長い銀髪は月光のように美しく輝き、その髪は微かに風に揺れている。顔立ちは彫刻のように整っており、深い海の色をした青い瞳が印象的だった。身に纏っているのは青と白を基調とした上品な服で、まるで水の流れのような優雅さを感じさせる。
青年は腕を組みながら怪訝な表情を浮かべて立っていた。
召喚され、召喚主の元を思い思いに漂っていた精霊達は、不思議な青年が現れると同時に居住まいを正し、静止していた。まるで上位存在を前にして畏敬の念を抱いているかのように。
「ほう?……水の精霊ともあろう精霊が、こんな人間のクズに成り下がるとはな……お前達も人を弄びたい気持ちも分かる……だが主はもっとましな奴を選ぶことだ……分かったか?分かったなら今すぐ元の住みかに戻ることだ」
水の精霊達は不思議な青年の声に神妙に頷き、一斉に消えた。その光景は、まさに絶対的な権威を前にした臣下の振る舞いそのものだった。
あまりの出来事に生徒達は呆然としていた。水の精霊は精霊の中でも特に扱いづらく、契約していてもその契約はあってもないも同じ……命令も気分で聞いたり聞かなかったりするのが常だったからだ。
「な、なんだ貴様は!!関係者以外は入れないように結界が張られている筈だぞ!!」
担任は精霊達が消えたことに驚きつつ、突然現れた青年に近づき、服を掴んで連れて行こうとした。
「触れるな……」
青年は不愉快を露わにし、汚物を見るかのような視線で担任を睨んだ。その瞳には氷のような冷たさが宿っていた。
それでも担任は聞こうとしなかった。
「触れるなと私は言った筈だ!!今すぐその汚らしい手を離し、この場から消えろ!!」
青年の表情は徐々に険しくなっていく。担任はそんなことお構いなしに、動こうとしない青年を連れ出そうとなおも引っ張った。
「何だと!!貴様こそ早く立ち去れ!!さもなくば力ずくで追い出すぞ!!」
「うるさい人間だ……早くその汚らしい手を離せ……」
「フン!!負け惜しみか?いいだろう……おい、お前達!本当の闘い方をよく見ておくがいい」
青年の服から手を離し、大きく距離を取って指さしながら生徒達を促す担任。その顔には自信に満ちた笑みが浮かんでいた。
「ダメです!!先生、黙ってあの人の話を聞いた方が身のためです!!」
青年の表情には恐れが微塵も見られず、かといって殺意すらも感じられなかった。レオは手荒なことは止めるように必死に担任を説得しようとした。
「安心せよレオ、私は殺しまではせん。こやつは悪運が強い……万が一はないだろう……まあ重軽傷と言ったところかな」
レオは名乗ったことのない青年から自分の名前を呼ばれ、小首をかしげた。
「あれ?僕、名前言ったかな?」
すると青年は話ができて嬉しいと言わんばかりに微笑んだ。その笑みは先ほどの険しい表情とは打って変わって、とても穏やかだった。
「何をゴチャゴチャと……来ないならこっちから行くぞ!!行けぇっ、焔火!!」
担任が何もない空間に向かって叫ぶと、大きく波紋が現れた。そこから使い魔の火竜ドラゴンがぬっと顔を出し、勢いよく青年に食いつこうとした。火竜の巨体は圧倒的な存在感を放ち、纏っている炎は周囲の空気を歪ませていた。