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駆け足して、希㐴の元へ向かう。
彼女は喜々としていたが、兵臚省の人間は引き攣った顔をしている。
なぜと言うまでもなく因縁の相手に会っているからだろう。
「ちょ、なんですか!おろしなさい。」
咄嗟に姫抱きされた鐘醴さんが困惑する。
「希㐴に気付かれたんで会いに行こうと思って。」
「だからって私を横抱きにして走る必要あります!?」
「…確かに。」
鐘醴さんの説明を受け1人納得している私と対象的に、焦った鐘醴さんが顔を真っ赤にさせながら足を振り回している。
そのせいで相手を更に冷静にしてしまい、希㐴たちに冷めた目で見られた。
「あっ、と…。」
気まずくなり声が漏れる。
先程鐘醴さんが話していた男性と目が合う。
既に逃げ足の早い希㐴は居なくなっていた。
その男性は私をチラッと見ると、鐘醴さんに目を移した。
「貴方…、釉柳ちゃんでなく今度は噂の雁蘭ちゃんにまで手を付けてるとは!私のでは!」
その男性は突如、大声でヒステリックな声で喚き始めた。
本人の目の前で仲良くないのに堂々とちゃん付けで呼ぶ様子から既に異常な様子は見て取れる。
思わず顔を顰めていたことは目の前の男の反応から見て取れた。
「雁蘭ちゃんも。私のものであるに関わらず、他の男に行くとはどうしたんだい?いくらこの私でも悲しんでしまうよ。」
「私、名前言ったっけ?この人に会ったことない気が…」
あまりの不快さに声が漏れると、鐘醴さんの顔が険しくなる。
「この人間は噂になった全員に下心を持ち…それに、特に面食いですから。」
「雁蘭さんの美貌の噂を聞いてストーキングする内に身近に錯覚してしまったんでしょう…。」
はぁ、と力なく息をついて説明を留めた。
これ以上は言わなくても分かるだろうということだろう。
それに過剰に説明すると、却って目の前の男を逆上させかねない。
「なるほど…、でも私ってあまりいい噂ないのでは?」
「性別や仕事場によって噂の内容は違うんですよ。そう、男性の方では…、えぇっと、ですね。」
素朴な疑問を呈しただけの私と対称的に鐘醴さんは口ごもった。
そう隠されると却って気になるのが人間の性というもので、先程から躊躇っている鐘醴さんに食い下がる。
「どんな噂なんですか?そう言うなら教えて下さいよ。気になるんですけど、」
「雁蘭ちゃんがそんなに気になるなら、私が教えてあげるよ。」
好奇心に逆らえず、この際は彼にでも聞いてみようと考える。
そもそもその情報だけであれば誰から聞いても問題はないはずだ。
「ほんとですか!お願…」
「いや、私が説明します。」
言いかけたところで、鐘醴さんが口を挟んできた。
気が変わったのだろうか、言っていることが先程と大きく変わっている。
「この人間は平気で尾籠なことを言ってきます。年端もない娘を守るのは当然では?」
「鐘醴さん…!」
こんなに頼もしく格好いい鐘醴さんは、会って間もないが初めて見る。
思わず感動して鐘醴さんを見つめると、眉を顰められた。
「ちょっと黙っててもらってもいいですか。」
「え。」
「簡単に言います。
『女性も虜にするほど美少女で、釉柳が年端にない娘を籠絡して自分の部屋で抱え込んだ。あまり良い所の出ではないから拒否できず言いなりになって性奴として使われている。』
ということです。」
途中から言うのも不快なようで眉間にシワが寄ってしまっていた。
私も思わず固まってしまい、何も言えなかった。
「お望みの聞きたかったことですよ?男性の、特に兵臚の噂は酷いんです。多分この人間はこれ以上に知っていますが。まったく釉柳様も雁蘭さんもそんなことしないのに勝手な妄言を…」
「この靖光、雁蘭ちゃんのことは全て知っているよ。まさかコレと一緒になってるのは、釉柳が無理矢理したんだよね?」
そう言って私の手を握ろうとしてきた。
全て知ってたらそれこそおかしいため、寧ろ全てが勘違いなことに安心をしてしまうまである。
そんなわけで気が抜けていた私は靖光さんに手を握られていた。
それに気付いたのは鐘醴さんが凄い勢いで手を突き放したからだ。
「許可も取らず雁蘭の手を握るな。雁蘭さんもすぐに手を離しなさい。」
「…?」
何が起きたのか一瞬理解できず激しい剣幕で怒り狂う鐘醴さんを眺めている事しかできなかった。
先程まで人の温度があった自分の手を眺める。
「そう人に安々と手を触らせるのは女性として控えるように。自分の容姿、価値、相手からの感情を理解して危機感を持ちなさい。」
説教を続ける鐘醴さんの声は耳に入らず、何となく触れられた手を眺めていた。
家でも修業の影響であまりボディタッチの無かったのもあって、ピリ、と残ったモヤモヤが胸に張り付く。
ぼんやりとしていると右手に感触がある。
手に沿って視線を動かすと、鐘醴さんにぶつかる。
時計で殴られたような衝撃が走って、思わず鐘醴さんを凝視した。
しばらく眺めていると我に返って腕を引っ叩いてしまった。
「ッひゃ!?ぎゃああ!」
「なんですか?寂しいんじゃないんですか?」
「予想外すぎてびっくりしました。」
けたたましい叫び声を上げながら叩く私に微動だにせず痛いところを突いてくる。
結局平然と恥も無く言い返されて、文句を付けるまではできなかった。
私と鐘醴さんの距離感を見た靖光さんが息を巻き始める。
「てめぇ!雁蘭ちゃんに触れてんじゃないよ!」
「少なからず貴殿に言えることではないのでは?」
ここは一つ空気を変えよう、そう考えて口を挟んだ。
「ねぇ、靖光さんと鐘醴さん私のこと好きなの?」
質問すると、靖光さんは得意気に頷き、鐘醴さんは顔色を悪くした。
「あぁ、私が悪かった。」
「適当言ってこの人間を付け上がらせるのは止めてもらえませんか。」
慌てて謝ると、鐘醴さんはふ、と息を吐いて話す。
少し緩やかな弧を描いた口からはもう怒りの溜飲は下がったのだと分かる。
これ以上怒らせないために、そして勘違いさせないために直接的な言葉で表現した。
「そうですね、私は靖光さんのこと知りませんし好きじゃありません。」
「…は?おい!この毒婦がっ。」
真っ向からの拒否に逆上した靖光さんが掴みかかってくる。
抵抗しようと、指を開いて一歩踏み込む。
しかし、相手を振り切る前に、鐘醴さんが器用に靖光さんだけを跳ね飛ばした。
思わず驚いていると、更に後方から出てきた大男二人に靖光さんが取り押さえられる。
「次の処罰は追放になるのかしらねぇ…。ほんと懲りない。」
大きなため息と共に大物の風格を漂わせた女性が歩いてきた。
振り向くと、綺麗なミントブラウンの髪を一つに結った女性がいる。
美しいながらも鍛えられているのが見て取れる脚と肩から兵臚省の人間だと薄々感じさせる。
鐘醴さんの元上司_靖光さんの上司と言ったところだろう。
「兵臚の靖光がご迷惑をお掛けしました。釉柳妃のご来賓様。」
ご来賓、その枠組みに思わず驚いた。
鐘醴さんに目をやるとバツが悪そうにしている。
後で教えるという、了承が視線から伝わるのでここで言及するのは止めておいた。
「いえ、お助け頂きありがとうございます。」
「希㐴さんから問題が起きていると伺い、足を運びました。なんとか間に合って良かったです。」
最後の方には口調を崩して微笑まれる。
兵臚省でも幹部は外交が必要なのだろう。
しかし、この態度から釉柳妃の来賓ほどの重要度ではないと案じられる。
事情を知った上で言葉を選んでいるのであろう。
「青級、現行は参の界。」
「はっ!」
また先程の厳粛な態度に戻ったと思うと、こちらには客への態度で向き直った。
独特の暗号のような喋り方をしていて心が躍る。
「お嬢様はご令兄や御父君により政界から遠ざけられたと聞いております。あたくしは明穂。兵臚省の石幹部の斧石です。」
改まった自己紹介をされる。
形式に伴った格式の高そうな挨拶に緊張してしまう。
「石幹部ってなんですか?」
「遺石の力の恩恵を受けて兵臚省で働く幹部のことを石幹部というんですよ。」
「遺石って九神の?」
「えぇ、九神の跡を継いでいますんで。辺境の領主もそれでだいぶ豊かになったんですよ。」
この世界に残っている神たちの力が遺された遺石には、それぞれ特殊な神に選ばれると加護があると言われている。
その鉱物にはどんな職人すらも触れてはいけない、と師匠から聞いていた。
そんな物を身につけるとは、と思っていたが、それに適応できる人がいるとは初めて知った。
宇儂にいた頃には一度たりとも聞いたことはなかった。
先程、明穂さんが言ってたように情報統制をされていたのだろうか。
色々と遺石について案じていると、明穂さんは思い出したかのようにつぶやいた。
「そういえば…、希㐴さんがお二人を実甘堂で待っていると言っていました。」
「え。」
的確な絶望に間抜けな声をあげた。
先程まで無表情の無関心を貫いていた鐘醴さんでさえ顔が青ざめている。
「では、これにて。斧石は撤退をさせて頂きます。」
明穂さんはあっさりとそう言ってニコリと笑うと、目の前を部下を連れて立ち去った。




