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霤藉時103年。
平民や豪商、王室は身分の差が激しく、農民は他の身分に逆らえないのが常識になっていた。
つまり、豪商や貴族の娘が嫁いでくると、娘が家の実権を握ることになる。
とはいっても偉いところの娘が嫁いでくるなんて、普通はある話じゃない。
たとえ、そんなことを言われたってそんな娘が来る訳がない、と返すものが殆どだろう。
しかし、我が家に、2番目の兄が豪商の娘を娶って帰ってきた。
艶のない赤髪に隈のできた朧花色の瞳を持つ目。
美しい土台は持っているが特筆した美貌に欠けている、あどけなさの残る顔立ちの娘だ。
きっと、兄はいつも通り周りに騙されたのか。
向こうも向こうで口減らしとして売られそうだからと色仕掛けをしたのか、同情で娶ってきたのだろう。
可哀想な幼い女の子は放っておけない、次男はそんな心優しい幼女趣味なのだ。
おやっさんの持つ分厚い本では昔はここら一体は子供の売買はあまり無かったとある。
ここ、宇儂はただの農地だったが、この土地だけの作物が新たに生産されるようになった。
生産者は商売人としての才能も十分あったようで豪商となった。
それにより宇儂は栄えたことで数十年前から初めて明確な身分差と派閥ができたのだ。
というのが、よくおやっさんが読んで聞かせてくれたことだ。
おやっさんの祖父は達筆だったそうで、その豪商の書記として働く傍ら、今までの時事を日記とともに書いていたらしい。
そして、おやっさんの祖父から、おやっさんの母に、そしておやっさんへと、亡くなるたびに受け継いで書いてきたそうだ。
思い返せば、おやっさんに『死んだらお前に渡す』と言われて書く時のコツとやらの教えを受けてきた。
自分以外にも子供はいるのに、何故私なのかと、面倒くさくもあるが任されて調子に乗った。
おかげで、しっかりと怒られたが。
「ねぇ、聞いてるの!?」
私は耳に障る金切り声で喚く女を横目で見る次男を睨みつけていた。
眼の前の女のせいで現実に引き戻された。
申し訳無さそうな顔しかできない情けない次男を見て女は更に怒る。
「安紀、なにか言ってよ!お家が今大変なの知っているでしょう。」
なんで今こんなことになってるかというと、次男の引き連れてきた嫁であるこの女_榎禾_が私を都の屋敷の元に売り飛ばそうとしているからだ。
ここら一体が増税されたというのに次男が食い扶持を増やしたせいで、家計が圧迫した。
それをどうにかしようとした榎禾が、処女は高く売れるので私を売ろうとしている。
(私じゃなくても良くない??)
こんなことを言うのもなんだが、私よりも体力のある処女はいる。妹でも良いだろうに、と思うのは薄情なのだろうか。
「第三者の人身売買は去年から違法ですけど」
「私はもうこの家の者なんだよ、元の家と一緒にしないで。」
更に、この女の逆鱗に触れたようだ。
人身売買は都がある柑愈郊外で多く行われている。
この女は柑愈の隣にある愈湖の人攫いで生計を立てていた一族の娘だと調べた。
奴隷制が表向き廃止になり生活が苦しくなったことで口減らしが行われていたんだろう。
その家は商売販路を広げる為の政略婚の相手を探してはいたのだろう。
柑愈郊外では奴隷制が盛んに行われていた一方、隣国と隣り合わせのような端っこの領地では行われていない。
だから、規制の緩いが人口の多い地域でやろうとここに目処をつけていたのだろう。
郊外じゃなくても、時代は人身売買はされるらしい。
この女の元で奴隷になるくらいなら遠い屋敷で働いたほうがいい、と案外割り切っていた。
私は黙って女を眺める。
相変わらず、有りもしない天真爛漫を感じさせる大きな瞳だ。
「どうかしら?結構いい値段だと思わないかな」
質問で話す割には有無を言わさないぞ、という圧を掛けてくる。
「私に値段は分かりかねますが、ご意向に」
あくびしながら返事すると、榎禾は現実と思われてないと思ったのか眉を下げ更に無理難題を通した。
「ならば、2日後に柑愈へ向かいましょ。」
2日後に向かう、1日の猶予で何を持っていけるだろう。
思わずため息を漏らした。
「多分、2,3年で帰ってこれるよ」
取り敢えず布袋はいくらでも持ってっていいらしいので、おやっさんのもとへ向かう。
現在の情勢を知る良い機会になるだろう、とは未熟ながらに検討もついていた。
なので、日記をどうするか聞いた。
今までの時事日記も毎日の日記も持っていくようにと。
そして、おやっさんは別で日記を書くらしい。
実際の都の内情を見れる私が書いたほうが良いということらしい。
もらった日記を大事に詰め込む。
服や小銭の貴重品を入れると、本の選別作業に取り掛かる。流石に全部は持っていけないだろう。
とにかく、大事なものは捨てられないように持っていくとして、どれを持っていかないか選ぶのが難しかった。