簡単な手術です
私は佐賀県に住んでいる。名は善治(よしはると読む)という。
私には身体障害がある。障害者認定を受けるほどの障害である。
もう、かれこれ17年この障害と付き合っている。
どのような障害かというと、左足首から下の機能全廃、右足首から下の著しい運動機能の低下である。
具体的には、左足首を上げられない、いわゆる「下垂足」であり、5本の指全部が動かない。右足は足首は上下に動かせるが、指が曲がったまま、真直ぐに伸ばすことはできないので、つま先立ちは不可能だ。
しかし、2年以上にわたるリハビリの甲斐あって、左足に革製の装具を装着すれば、杖なしで歩けるようになった。
ただ、右足の指は曲がっているので、相当に歩きづらいことに間違いはない。
勿論、走ることはできないし、歩く速度も健常者に比べれば遅い。
若いころには、100メートルを11秒台で走っていた私にとって、走ることができなくなったことは、かなりのショックだった。
この他にも、障害者認定を受けられない、外見では分からない障害がある。ところが、運動機能障害より厄介なのが、この障害のほうだ。
それは、腰から下全体に常時強いシビレがあり、左足底の感覚はほぼゼロに近いし、右足の感覚も100パーセントではない。
加えて、未だに、時々足に電撃痛が走る。
強いしびれが常時あるというのは、想像できますか?
感覚がないので、過去には、鋭利な物を踏んづけてしまって、床を血だらけにしたこともあった。
なぜこのような体になってしまったのか、皆さん興味がありませんか?
ない?でも話します。
この障害を負ったのは、忘れもしない、いや忘れられない2007年4月5日。
私は、自治体病院で腰椎椎間板ヘルニアの手術を受け、障害を背負うことになった。
私のヘルニアの部位は、腰椎の3番と4番の間であり、それも馬尾神経を極度に圧迫するほどのバカデカいヘルニアだった。
後に知ったことだが、この3番と4番の間のヘルニア手術は、背骨が小さい関係で、一般的に発症が多いとされる4番と5番の間のヘルニア手術よりかなり難しい手術ということだった。
私の手術をした医者は、実名を挙げるわけにはいかないだろうから、とりあえず「藪」とでもしておこう。
手術は、1時間にも満たないものだった。麻酔から覚めて、この藪医者から「足を動かして。」と声をかけられたが、もう、その時には、左足首はピクリとも動かなかった。
同時に、腰から下全体に極度のしびれが出て、感覚が鈍くなった。手術前には足に激痛は走っていたが、しびれは全くなかったのにだ。
病室に戻ってから、藪医者に、「腰から下全体がしびれて、感覚があまりない。」と告げると、この藪医者は、自分が持っていたボールペンの先で私のお尻を突いて、「感じないですか?」と一言。
全く感じなかったわけではなかったので、「当たっているのは分かる。」と答えると、「多分、引っ張った神経が圧迫されて、一時的に動かなくなっているだけでしょう。」と、まるで他人事のように言ってのけた。
「いや、2日前の手術説明の時に、神経を引っ張るなんて説明した?」「聞いてないぞ。」
この手術の時の入院日は、2007年4月1日であり、藪医者が、手術日の前々日の4月3日の夕方に手術説明をすると言うので、妻と共に待っていたが、立体駐車場が閉まる午後8時ころになっても、この藪医者が病室に顔をだす気配は一向になかったので、妻は、立体駐車場から自分の車を移動させたほどだった。
午後9時近くになって、やっと藪医者が顔を見せたかと思うと、「遅くなってすいません。今日が電子カルテへの移行日だったので、カルテ整理に手間取ってしまって、この時間になってしまいました。」とのことだった。
すぐにカンファレンスルームに移動して、手術説明を受けたが、その説明は、わずか5分程度の説明だった。
その説明も、手術説明書の提示もない「簡単な手術です。時間も45分、いや、あなたの場合は、ヘルニアが大きいので、1時間くらいかかるかもしれない。手術は、背中を10センチほど切った後、背骨を少しだけ削って、そこからヘルニアを削ります。簡単な手術なので安心して下さい。」との口頭のみの説明だった。
そして、藪医者は、「明日、手術説明書を渡しますので、その内容を見て、署名をして提出してください。」と言ったが、この時に、この医者の対応のいい加減さを疑うべきだったと未だに後悔している。
手術のリスクも説明せず、「簡単な手術」と言う、それこそが一番危ない医者だと気づくべきだった。
手術説明の翌日に渡された手術説明書を手術後に改めて読み返したところ、こう書いてあった。「背中を10センチほど切開し、背骨を僅かに削り、神経を避けてヘルニアを削ります。」と・・・
手術のリスクに関しても具体的な記述はなく、リスクなんて起こりえないような書き方だった。
藪医者から、神経を引っ張るという説明は受けていなかったので、私も妻も、「神経を避ける」という記述を見て、この時は「神経に触らずに」と理解した。
とにかく、こうして、5年以上にわたる藪医者との闘いが始まった。